名古屋地裁で今月初め、公判に出廷した男性が裁判官にこう名乗った。「こじきの仏(ほとけ)です。仏の国から来ました」。公園に置いた野宿ベッドの撤去をめぐって市職員にけがをさせたとして訴追された。不当な逮捕と訴えて決して身元を明かさない。

 本名を隠したり記憶を喪失したりした被告でも、起訴された当人であると確認できれば公判は進められる。起訴状には「自称○○こと氏名不詳」などと記載され、照合用に写真が添えられる。

 氏名不詳者の氏名をどう書くか。米国ではジョン?ドウがよく使われる。女性ならジェーン?ドウだ。身元がわからない被告や遺体を指す。標準的で善良な市民という含意もある。米国で以前、街頭取材の相手に名前を尋ねたが、「ジョン?ドウでいい」と譲らない。本名を隠すにも便利な名だと思い知らされた。

 公的な申請書では氏名の記入見本にジョン?Q?パブリックの名がよく登場する。日本でいえば山田太郎だろう。韓国では洪吉童(ホンギルトン)が多い。17世紀ごろ書かれた大衆小説の主人公で、義賊として腐敗官僚をこらしめる。童話や映画、教科書にも登場し老若男女に愛された。

 今年、名前の扱い方が右へ左へ揺れている。個人情報保護法の影響で、春先はとにかく名を秘す方向に揺れた。学級名簿は作られず、病院は患者を名でなく番号で呼んだ。国家試験合格者の発表も減った。今は一転、衆院選で、意外な人物の名が日替わりで出てくる。

 行きすぎた匿名社会は息苦しいが、名前に頼るばかりの擁立騒ぎも、見ていてかなり暑苦しい。