通りの敷石の上に茶色いセミの羽が1枚落ちている。その先に、もう1枚。体はどこへ行ったのか。夏の終わりの始まりを感じさせる光景は、幼かった時へ、懐かしい場所へと人を誘う。

 「八月の石にすがりて/さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。/わが運命(さだめ)を知りしのち、/たれかよくこの烈しき/夏の陽光のなかに生きむ」。「日本浪曼派」同人だった伊東静雄の詩集「夏花」の一節だ。

 故郷は長崎県の諫早だった。詩集「わがひとに与ふる哀歌」の「有明海の思ひ出」で、うたう。「夢みつつ誘(いざな)はれつつ/如何(いか)にしばしば少年等は/各自の小さい滑板(すべりいた)にのり/彼(か)の島を目指して滑り行つただらう/あゝ わが祖父の物語!」

 多くの人が故郷へ行き、故郷を思い、あるいは自分にはあるのか、などと思い巡らす時期である。この人の場合はどうなのかと、東京?上野の東京 国立博物館で展示中の石の前で考えた。

 「遣唐使と唐の美術」展(9月11日まで)に出品されている井真成の墓誌で、中国の古都?西安で昨年発見された。縦横約40センチ、厚さ約10センチの黒っぽい石板に伝記が刻まれている。

 「公は姓は井(せい)、通称は真成(しんせい)。国は日本といい、才は生まれながらに優れていた。それで命を受けて遠国へ派遣され……よく勉学し、まだそれを成し遂げないのに、思いもかけず突然に死ぬとは」(東野治之?奈良大教授訳)。36歳だったという。「身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている」。その魂は千年以上の流離を経て里帰りを果たし、安らいでいるかのようだった。