40年も前の夏のことである。太宰治の作を次々に読んで、その世界にひたりかけていた。しかしある日、地方での疎開生活から終戦後の東京に戻った「私」が、「何の事も無い相変らずの『東京生活』」と述べるくだりでつまずいた。

 おびただしい人が死に、家を失った戦禍の街の営みを「何の事も無い相変らずの」とする語り口に違和感を覚えた。若い時分の勝手な読み方ではあったが、太宰への旅は、この「メリイクリスマス」の冒頭で、いったんは途切れた。

 この短編は、占領下の昭和22年、1947年の「中央公論」1月号に掲載された。昨日、図書館で手に取ってみた。茶色に色変わりし、古い本に特有のひなたくさい香りをまとっている。太宰が生きていた時に印刷された一冊かと思うと、「相変らず」のくだりも、その先の「この都会」を「馬鹿は死ななきや、なほらない」と語る段も、実際には聞いたことのない肉声を聞く思いがした。

 同じ昭和22年1月の「群像」に、太宰は「トカトントン」を発表している。兵舎の前で敗戦の玉音放送を聞き、「死のう」と思った男が、背後から聞こえてくる音に気付く。金づちでクギを打つトカトントンという音が、それまでの悲壮も厳粛も一瞬のうちに消し去った。

 確かに敗戦で日本は変わった。しかし、人間たちでつながっているこの世の営みは「相変らず」でもある。いつの頃からか、そう読むようになった。

 60年前の8月28日、連合軍の先遣隊が神奈川県の厚木飛行場に到着した。焦土の日本での占領の時代が始まった。