山路(やまみち)を登りながら考えた漱石は「兎角(とかく)に人の世は住みにくい」と「草枕」で書いた。「住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。こゝに詩人といふ天職が出来て、こゝに画家といふ使命が降(くだ)る」。芸術の誕生だ。

 東京で開かれていた「書はアートだ! 石川九楊の世界展」を最終日のきのう見た。「アートだ!」という言い方に軽みとユーモアを感じて行ったが、気鋭の書家の「書業55年?還暦記念展」の中身は重かった。

 福井県に生まれ、5歳で本格的に書を始めた。大学卒業後に会社勤めもしたが、書家として独立、実作の他、書や文字に関する評論も多く発表してきた。

 作品は、現代詩や自作の詩を書に表したり、「源氏物語」や「徒然草」を極細の線が延々と続く筆致でつづったりと、一つ一つの字は読み取れないものも多い。しかし細く震えるような線と線が重なり合って、新しい表現を生み出している。文字による絵のようであり、建築のようでもあった。

 次に東京の練馬区立美術館の「佐伯祐三展」(10月23日まで)へ向かった。パリの通りの壁に、広告の文字が所狭しと書き込まれた「ガス灯と広告」の前に立つ。

 石川さんは、「このような佐伯の文字への関心は尋常ではないように思われる」と書いている(『書と文字は面白い』新潮文庫)。この画風を書でいえば、草書をさらにくずした「狂草体」とする評もあるという。ひしめき合う文字の群れを見ながら、佐伯に「画家といふ使命が降」った時を思い浮かべた。