フランスの19世紀の作家ビクトル?ユーゴーに「死刑囚最後の日」という小説がある。死刑判決を受けてから断頭台にのぼるまでの男の苦悩を克明につづり、死刑廃止を訴えた。

 同じ19世紀に、ハンガリー出身の画家ムンカーチ?ミハーイは「死刑囚監房」で、処刑を前にした房の様を描いた。うつむいた死刑囚や妻子の脇に、銃剣を持つ看守が立つ。20年ほど前、この絵にまつわる記事で、「権力を表す看守の銃剣の切っ先が光る」と書いた。

 しばらくして、読者から便りをいただいた。そうした役目を果たしてきたか、その周囲にいる人のようだった。「最後の時には、権力対罪人ではなく、お互いに人間と人間として接しているのです」という内容だったと記憶する。法に基づくとはいえ、命令によって人の命を絶えさせなければならない現場の厳しさと、それに向き合う人たちに思いを致した。

 小泉改造内閣で法相に就任した杉浦正健氏が、死刑執行について、命令書には「サインしない」と記者会見で述べた。以前、左藤恵法相が僧職という立場から署名を拒否したことがあったが、杉浦氏は弁護士資格をもち、衆院の法務委員長も務めた。しかし、約1時間後には「個人の心情だった」と撤回した。

 信念に基づく発言かともみえたのだが、すぐにひっくり返ったのはなぜなのか。犯罪被害者や、命令を受ける立場の人たちの思いも大きく揺さぶられただろう。

 命令にサインするかどうかを判断するのは法務大臣だが、それを委ねているのは国民だ。法相の悩みと無関係ではない。