天皇、皇后両陛下は25日、来月7日からのアイルランド立ち寄りとノルウェー公式訪問を前に、皇居宮殿で記者会見された。会見のやり取りは以下の通り。(地名 人物名などの固有名詞については宮内庁の表記による)

 天皇陛下 兵庫県で大きな列車事故があり、多くの人々が亡くなり、また、多くの人々がけがをされました。本当に心を痛めております。遺族の人々のご心痛はいかほどかと察しております。けがをされた人々が良い治療を受け、回復されることを切に願っております。


両陛下に伺います。今回、ノルウェーとアイルランドは共に20年ぶりのご訪問と聞いております。両国に対する印象とともに、今回のご訪問で楽しみにされていること、また3年ぶりの海外旅行を前にした現在のご体調をお聞かせ下さい。


 天皇陛下 回答については不十分な点があるといけないと思いまして書いてきましたので、それを読みながらお話したいと思っております。私がノルウェーを訪れたのは2回あります。最初は1953年、英国女王の戴冠式(たいかんしき)にあたって、戴冠式後、欧州諸国を回ったときのことです。もう今から52年がたちました。オスロの王宮にホーコン7世国王とオラフ皇太子をお訪ねし、その後、離宮で午餐(ごさん)を頂きました。ホーコン7世国王は100年前、ノルウェーがスウェーデンとの同君連合を解消したときに、デンマークの王族から迎えられて国王になられた方です。私がお会いしたときはすでに在位期間50年近くに及んでいました。第1次世界大戦前から国王でいらしたわけであり、在位中の様々なご経験を伺わなかったことを残念に思っております。なお、オラフ皇太子に初めてお目にかかったのは、英国女王の戴冠式のときで、皇太子妃もご一緒でした。皇太子は昭和天皇より2つ年下という、19歳の私とは親子の年齢差があるにもかかわらず、いつも丁重に接してくださったことが印象に残っています。このときお会いした皇太子妃は、その後、ノルウェーを訪問したときには病院にお入りになり、お亡くなりになったことを残念に思ってます。


 この後、オスロから飛行機で西に飛び、スタヴァンゲル ハウゲスンド間を船で渡り、そこからイエイロまでフィヨルドや木の生えていない高原を見ながら自動車で旅し、ノルウェーの自然景観を味わいました。平和条約発効の1年後に戦争の痛手を大きく受けた日本から訪れた者にとって、ノルウェーで訪れた各地が豊かで美しく感じられたことが印象に残っています。2度目は20年前のことになりますが、オラフ国王が日本を国賓としてご訪問になったことに対する答訪として、当時、皇太子であった私が、皇太子妃とともに昭和天皇の名代として訪問したときのことです。このときはデンマークの訪問を終えた週末に、当時のハラルド皇太子ご夫妻とベルゲン方面のフィヨルドを船で回り、楽しい一時を過ごしました。オックスフォード大学に留学中の現在の皇太子も招いて下さり、本当に心のこもったお持てなしを頂きました。その後のオスロの公式訪問では、高齢のオラフ国王が皇太子ご夫妻とともにほとんどの行事にご一緒していただきました。


 今年は日本との国交が樹立して100周年になります。これを記念して、両国間の理解を深める様々な行事が行われると聞いております。この記念の年にノルウェーを訪問することをうれしく思っております。この度の訪問を通して、両国の相互理解と友好関係の増進に資するよう努めたいと思っております。この度初めて訪れるトロンハイムはホーコン7世の戴冠式が行われた所であり、歴史を顧みつつノルウェーの理解を深めてまいりたいと考えています。国王陛下には今月初めに手術をお受けになり、ご療養中ですが、今回の訪問中にお会いすることができるほどご回復になっていると聞き、うれしく思っております。王妃陛下にはご心痛のこととお察ししてますが、先日お会いしたホーコン摂政殿下とともに行事にお出になり、再びお目にかかれることを楽しみにしております。


 アイルランドを訪れたのは2回あります。ただ、1回目は1953年に英国女王戴冠式に参列したのちに欧州諸国を巡り、米国へ向かう飛行中の給油のためシャノン空港に着陸したときです。2回目はヒラリー大統領が国賓として日本をご訪問になったことに対する答訪として、当時、皇太子であった私が皇太子妃とともに、昭和天皇の名代として訪問したときです。スペイン訪問を終えて、非公式にアイルランド西部で週末を過ごし、週が明けてからダブリンでヒラリー大統領にお目にかかるなど公式行事に臨みました。アイルランドで印象に残っていることは様々ありますが、訪れた所では、西部の木もないバレンの厳しい自然景観やハイキングの居城があった緑のタラの丘などは、印象に残っています。この度のアイルランド訪問は時差調節を兼ねた非公式の訪問ですが、先日、日本でお会いしたマッカリース大統領閣下と夫君に再びお会いすることをうれしく思っております。この前の訪問は3月の初めでしたが、この度は5月の初めであり、緑豊かなアイルランドを味わえることを楽しみにしております。


 皇后さま 私もこれまで記憶に頼ってお話しておりましたけれども、70になりましたので、今回からは書いたものに頼ってお話をさせて頂きます。前回の北欧4か国の訪問からすでに20年が経ち、この度、再びノルウェーを訪問するにあたり、改めて往事のことを懐かしく思い出しております。先の訪問の折り、当時の国王オラフ陛下は、そのころまだ東宮、東宮妃であった陛下と私をオスロ空港で迎えて下さり、滞在の全期間を通じて手厚く持てなして下さいました。ちょうど、昭和天皇に近いお年ごろの国王陛下にお連れ頂いて、フログナー公園でヴィーゲランの彫刻を見た夏の一時がそのとき、とりわけ印象深かったモノリッテンという作品の記憶とともに、忘れられない思い出となって私の心に残っております。


 このときの訪問ではオスロでの公式行事に先立ち、4か国訪問のちょうど中日にあたる週末を西海岸のベルゲンで過ごしましたが、当時、皇太子でいらした現国王陛下が妃殿下とともにオスロからいらして下さり、美しいソグネフィヨルドの航海を楽しませて下さいました。途中、小さな島に立ち寄ったときに、ちょうどその島で公演があったのか、もしかしたら私どものために計画して下さったのか、役者さんの一団がバイキングの服装で私ども一行を襲ってくれました。素晴らしい経験でした。


 ご夫妻はその後の公式日程においても、国王陛下とともに常に私どもに付き添って下さり、こうした訪問を成功に導くための大きな助けとなって下さいました。皇室、王室間のきずなに加え、厳しいけれども、美しいノルウェーの自然やその懐ではぐくまれた文化や芸術、国民性とも思われるノルウェーの人々の堅実な生活態度にも心をひかれてまいりました。先述したヴィーゲランを知ったのは前回の訪問のときでしたが、グリークやビヨルンソンの名を知ったのは、中学、高校時代のことでした。グリークの「最後の春」や「子守歌」などのピアノの小曲、「シンネエヴェソルバッケン」という美しい響きの題を持つ日向丘の少女の物語などを、私はそのころ特にノルウェーの作曲家や作家のものとは意識せず、世界の音楽、世界の文学として愛好し、やがてその魅力ある曲想や文体をノルウェーのものとして認識していったのだと思います。


 1970年の大阪万博でノルウェーは他の北欧の国々と合同でスカンジナビア館を出展いたしましたが、このときすでに今回の愛知万博のテーマである環境問題への認識を強く打ち出しており、ほぼ全館を使って公害への警告をしていたことが思い出されます。このころから北海の油田のことがよく話題に上るようになりましたが、最近になり、この油田のその後の開発に関し、当時のノルウェー政府が経済の過度の石油依存を回避するよう努力していたことを知り、感銘を受けました。ここ10年、20年を振り返っても、オスロ合意やスリランカ、スーダンのおける和平交渉などでノルウェーの国際平和への貢献は世界に知られており、20世紀の初期、赤十字や難民救済の事業に貢献し、ノーベル平和賞を受けたナンセンの理想が、今のノルウェーの国民の間に確かに受け継がれ、すでにこの国の国柄のようにもなっていることを感じます。


 ノルウェーと同じくアイルランドの訪問も20年ぶりのことで、当時を思い起こしますと、様々な美しい思い出がよみがえり、懐かしい気持ちで一杯になります。私の学生時代、聖心でも雙葉でもアイルランドの修道女のお姿を見る機会は多く、直接お教えを受ける機会は少なかったのですが、どなたも魅力的で美しく、今、そのお一人お一人をお名前とともに、思い出します。高校2年のとき、一生にただ一度の経験ですが、劇の主役に選ばれ、聖パトリックの布教が始まる異境時代末期にタラの居城から先ほど陛下がおっしゃったタラです…タラの居城からアイルランドを統べていた族長の王子の役をいたしました。


 前回のアイルランドの訪問のとき、このタラの地を陛下とご一緒に訪ね、かつてここで美しいハープの音が響いたと言われるその時代に思いをはせました。国花であるシャムロックを…国花は国の花…シャムロックを土地の子どもたちが摘んで見せてくれたことを思い出します。この聖パトリックの布教とそれに続く時代に作られたと思われる異教とキリスト教の両要素を持つ伝承の物語や、さらに古い、ケルトの諸種族の興亡の中で生まれたと言われる常世の国や妖精の伝説には心ひかれるものがあり、アイルランドの血をひく小泉八雲が日本の各地の伝承に関心を示したことは、この観点からも興味深いことに思われます。


 同じく前回の訪問のときにトリニティー大学で美しい詩の朗読を聞かせて頂きました。その1つはアイルランドの盲目の詩人、ラフタリの「カウンティー メイヨー」の詩で、1回を原文のゲイル語で2回目を英訳で読んで下さいました。私はこれまで多くの詩を読んできたわけではないのですが、このラフタリの詩のように、これまでにいくつかの心打つアイルランドの詩に出会えたことは幸運でした。「2つの川の出会うところ」のようなアイルランドの歌についても、同様のことが申せます。そして一方では、こうした心ひかれる詩や歌を通して私はアイルランドが国として経てきた苦難の歴史多数の国民が国外移住を余儀なくされた大ききんのことや、独立を求めた詩人たちの蜂起(ほうき)の歴史―についても少しずつ知る機会を持つようになり、自分の中のアイルランド像を膨らませてきたように思います。


 この度の訪問ではそれぞれの国の首都に加え、ノルウェーでは古都トロンハイムを、アイルランドではグレンダ ロッホを訪問いたします。オスロでは国王陛下がご病後にもかかわらず、私的な夕食会に出席されるということで、大層うれしく楽しみにしております。王妃陛下もさぞ、ご心労でいらしたこととお察しいたします。またアイルランドでは日本にいらしたとき、私がヘルペスを煩ってお会いできなかったマッカリース大統領とも、今回このような形でお会いする機会を持てることを幸せに思います。訪問するどちらの国おいても旧知の方々を始めとし、各所でその国の大勢の方々をお会いすることを今から楽しみにしております。


 天皇陛下 体調についての質問がありましたけれども、この前お話ししたのと同じような状況であり、今度の訪問には大丈夫だと思っております。心配している方もあると思いますが、安心して頂きたいと願っています。


 皇后さま 体調についての質問にお答えしますと、体調についてはまだご治療を受けていらっしゃる陛下にお疲れが出ませんよう念じております。私ももうひところのように若くはないので少し心配ですが、よく注意し、つつがなく務めを果たしたいと思います。


天皇陛下に伺います。昨年5月、皇太子殿下が欧州訪問前の会見でされた妃殿下をめぐる、いわゆる「人格否定」発言が発端となり、皇室の方々の外国訪問の在り方が話題となりました。両陛下は皇太子同妃時代から現在に至るまで、多くの国々を訪問され、国際親善に努めてこられましたが、皇室の方々の外国訪問のあるべき姿、果たすべき役割をどのようにお考えでしょうか。


天皇陛下 私どもは皇太子、皇太子妃として多くの国々を訪問しましたが、ほとんどの外国訪問は日本に国賓をお迎えした国に対する答訪であり、その多くは昭和天皇の名代という立場での訪問でした。これは当初は天皇の外国訪問の間の国事行為の臨時代行に関する法律がなかったためでしたが、法律制定後、昭和天皇、香淳皇后の欧州ご訪問と米国ご訪問が実現したのちも、両陛下のご高齢の問題があり、再び、昭和天皇の名代としての外国訪問が始まりました。昭和天皇、香淳皇后の欧州ご訪問までには国賓を迎えたほとんどの国々に対し、私どもは答訪を終えていましたが、その後は国賓の数も多くなり、昭和の終わりには相当数の未答訪国が残っていました。平成になってからは国賓に対する答訪はなくなり、私どもの外国訪問は、政府が訪問国を検討し、決定するということになりました。


 このように天皇の外国訪問の形も時代に伴って変遷を経、現在の私どもの外国訪問は、この度と同様にほとんどすべて、国際親善のための訪問となっています。国際親善の基は、人と人との相互理解であり、その上に立って友好関係が築かれていくものと考えています。国と国との関係は、経済情勢など良いときも悪いときもありますが、人と人との関係は国と国との関係を越えて続いていくものと思います。この度の訪問が訪問国の人々と日本の人々との相互理解と友好関係を深める上に、少しでも役に立てばうれしいことです。


――両陛下に伺います。今回のノルウェーで、即位後、王室のある欧州の国々をすべて訪問されることになります。各国の王室では一つの例として、男女平等に王位を継承できる動きが広がるなど、時代とともに変化してきています。今後の皇室を考えていく上で、これまでの欧州の各王室とのご交際の中から参考になることなどがありましたらお聞かせ下さい。


天皇陛下 私が欧州の各王室の方々と知り合うようになったのは今から50年以上前、私の19歳のときに、英国女王の戴冠式に参列した機会でした。戴冠式には国王や大統領は出席しませんが、皇太子や王族などそれぞれの国から名代が参列します。その中には後年、度々お会いする、当時の皇太子、王弟でいらしたノルウェー国王、ベルギー国王、ルクセンブルク大公もいらっしゃいました。戴冠式参列後、欧州諸国を訪ね、ベルギー、オランダ、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンで国王や女王にお目にかかりました。特にベルギーでは、お住まいのラーケン宮に2晩泊めて頂き、私より3つ年上のボードワン国王の手厚いお持てなしを頂きました。そのようなことから、その後も欧州やアフリカを訪問する機会には、当時、皇太子妃であった皇后とともに時差調節も兼ねてラーケン宮に泊めて頂き、何回か両陛下とお話する機会を持ちました。あるときは国王、王妃両陛下がオランダのベアトリックス女王ご夫妻をご一緒に招いて下さり、楽しい一夜を過ごしたこともありました。


 各国で王室の制度は異なっており、スウェーデンのように近年に至って日本に最も近い憲法を持ち、国王が国政にほとんどかかわることのなくなった国もあれば、隣のノルウェーのように毎週、国王主宰の下に、閣議が開かれる国もあります。そのスウェーデンも私が初めて訪問したときには、現国王の祖父にあたられるグスタフ6世の下で、閣議が開かれていたということを聞いております。このように国によって、制度も王室の在り方も異なり、また歴史に伴う変遷も見られますが、国民の幸せを願い、力を尽くしていくという点では、日本の皇室も欧州の王室も一致しており、様々なことで共感を覚えます。私は日本の皇室については過去の日本を振り返り、私どもがこれまでに経験してきたことをもとに、国民と心を共にすることを念頭に置きつつ、望ましい在り方を求めていきたいと思っています。


皇后さま 欧州の王室に限らず、アジアや中東の王室も含め、各国王室とのご交際からはこれまでたくさんの事を学んでまいりました。それらの事は、私の考え方や生き方にある種の幅を加えてきたと思いますが、こうした恩恵にも増して、私がいつも自分の大きな喜びとし、大切にしてきたのは、世界各地の王室の方々の長年にわたるご友情そのものではないかと思っております。今、親しい王室の方々の多くが、現代の激しく移り変わる社会の中で王制がそれぞれの国の好ましい発展にどのように寄与していけるかを真剣に考えておられます。こうした意味で私どもは離ればなれに暮らしていても、同じ目標に向かって生きており、その同じ志の中でお互いを支え合い、励まし合っているように感じております


 今の質問にあった「皇室の今後にとり、参考になること」と申しますのが、皇室制度や組織のことを指しているとすると、私の答えは少し外れたお答えをしてしまったかもしれませんが、私にとっての王室、皇室間のお付き合いについての気持ちのみを述べさせて頂きました。各国の王室や皇室がそれぞれの社会において成熟し、国民の中により深く内在し、国の安定に寄与していくことができ、お互いにさらにふさわしい同志として友情の質を高め合って行くことができればと願っています。


――天皇陛下にお伺いいたします。ご存じの通り、世界の人々は天皇、皇后両陛下、及び皇族の方々の日々のお過ごしされておられる生活環境に対し、非常に高い関心を持っています。しかしながら現在の状況、つまり我々外国メディアは天皇、皇后両陛下、及び皇族の方々の外国ご訪問の際の記者会見のみ参加できる機会しか与えられておりません。外国メディアと接する機会を更に多く増やされるというお考えはいかがでしょうか。


天皇陛下 皇室の活動について事実に基づいた正しい報道がなされることは極めて大切なことだと思います。ただ、メディアとの関係については、国によって様々な習慣や考え方があり、この問題はそれらを踏まえて宮内庁が扱っていますので私からこれ以上触れることは控えたいと思います。


――天皇陛下にお伺いいたします。読売新聞の調査によると学生の過半数は国歌斉唱と国旗掲揚には興味がありません。去年の秋には天皇陛下ご自身が国歌斉唱と国旗掲揚についてご発言を述べられましたが、学校で国歌斉唱と国旗掲揚を強制させることはどうお考えでしょうか。


 天皇陛下 世界の国々が国旗、国歌を持っており、国旗、国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。国旗、国歌は国を象徴するものと考えられ、それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。オリンピックでは優勝選手が日章旗を持って、ウイニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には強制された姿はありません。国旗、国歌については国民1人ひとりの中で考えられていくことが望ましいと考えます。


――20年ぶりのノルウェー、アイルランドのご訪問と思いますが、先ほどのお話の中にもありましたが、アイルランドのタラの丘を訪問されたときはちょっとハプニングなどもあったかと思うのですが、そういった前回の思い出で特に両陛下でお話になっていることがあれば、また、この間、ノルウェーのホーコン摂政殿下がお見えになったときに今回のご訪問について何か具体的にお話になったことがあれば教えて下さい。


天皇陛下 今、タラの話が出ましたけれど、今日の質問のお答えにも二人ともタラを挙げたようにそれぞれタラへの訪問は思い出深いものがありました。ただ、あのときは雨の後だったと思いますけれども、そこで転んでしまったので、それが今のハプニングということになったんではないかと思います。ノルウェーの皇太子殿下とのお話ということですが、まず、やはり国王陛下のご健康のお話を伺いました。それから皇太子殿下がどのようなことを今なさっているかということもお話を伺いました。先ほど、ノルウェーでは国王が閣議を主宰するということに触れましたけれども、これもそのときの話で出たことで、帰るとすぐに閣議に出なければいけないということを言ってらっしゃいました。