この時代を考えるために、時代をさかのぼってみる。そんな思いもあって、ルネサンスにゆかりの深いイタリアの地へ、短い旅をした。

 ローマ発の列車で半島を横切り、バスに乗り換えて着いたのが古都ウルビーノだ。早朝、小高い丘から眺めると、古い城壁の下に霧がわいていた。

 16世紀の初頭、この地にはレオナルド?ダビンチや、「君主論」のマキャベリも来たことがあるという。ふたりは、共同で大きな川の流れを変える計画も立てていた(R?マスターズ『ダ?ヴィンチとマキアヴェッリ』朝日選書)。ふたりの巡り合わせの妙を思いながら、フィレンツェを経由して、レオナルドの生地のビンチへ行った。

 「生家の跡」といわれている石造りの家は、オリーブの木の立ち並ぶ丘にあった。前は小さな谷で、視界は大きく開けている。夜空の広がりや闇にきらめく星々が、やがてルネサンスの巨人となるレオナルド少年の心を大きく羽ばたかせたのだろうと想像した。

 ルネサンスは、清新な機運を広く引き起こした。丘を吹き渡る風の中で、その言葉の意味が「再生」だったことを改めて思った。最近、日本では、長く信頼してきたものが崩れている。安全や安心の土台も大きく揺さぶられている。世界を見ても、力の強い者の強弁がまかり通る場面が続く。人間が、苦難を重ねて築いてきた大事なものが壊されてしまうのではないか。

 「再生」は、時を超えて、今の時代のために発せられた警句のようだ。信頼というきずなを、再び結びたい。そう思いつつ、丘を下りた。