旧約聖書のイザヤ書に、こんな一節がある。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」(新共同訳)。赤ちゃんがさらわれた仙台市の光ケ丘スペルマン病院の「光ケ丘」の由来だという。スペルマンは、1955年の病院創設に力を尽くした枢機卿の名前だ。

 「光ケ丘」には「苦しみを通して喜びを見い出すの意味がこめられています」と、病院のホームページにはある。幸いにして無事に戻ったが、小さな命が引きずり込まれた闇は深かった。

 身代金を要求した脅迫文は漢字カタカナ交じりで、手書きだったという。カタカナには、文に覆面を施すような不気味なところがある。ひらがなでは、どこかに日ごろの書き癖が出るとでも考えたのだろうか。

 「何ニシロ 警察ノ臭イガスレバ スベテ中止」「赤チャンヲドンドン返セナクナッテ行ク」と冷酷に書く。一方で、「本当ニイイ赤チャンダト思イマス」などと揺さぶる。計画は周到に立てたつもりだろうが、やはり逃げ切れるものではなかった。

 病院の管理面では教訓を残した。無防備な多くの命を守る手だてが十分ではなかった。人の出入りを、より厳しくチェックする必要があるが、監視カメラだけでも、万一の時に犯人を速やかに追う手がかりになる。

 事件が大きく報道された後に報道協定が結ばれた。取材や報道を控えるのはメディアの根幹にかかわるが、協定がなければ結果は違っていたのかも知れない。生後10日余りの命が、50時間の闇を抜けて、両親のあたたかい光に包まれた。