長さが一定で改行のないこのコラムでは、句読点の置き方に制約がある。字数があふれて削るテンもあれば、半端な位置のマルに手を焼く日もある。句点も読点も、一筋縄ではいかない。

 どの道にも専門家はいるもので、たとえば群馬県高崎市の元高校教諭、大類(おおるい)雅敏さんは句読法を研究して40年になる。『句読点活用辞典』など著作も多い。同学の士が集まると「モーニング娘。」の「。」は是か非かなどと議論に花が咲くそうだ。

 大類さんによると、西洋ではプラトンの昔から句読法が盛んに研究されてきた。コンマ、ピリオド、セミコロンと種類も多い。日本では紫式部のころには文章に句読点がなかった。疑問符や感嘆符も江戸期の輸入品である。

 大類さんが句読点にひかれたのは20代後半、権田直助という幕末の学者の著作に接してからだ。権田は神官にして医家で尊皇の志士でもあった。政治犯として幽閉された明治初年、句読研究に没頭し、「国文にもきちんとした句読法を確立せよ」と主張した。生家の跡が埼玉県毛呂山(もろやま)町にある。

 句読点といえば、福島県猪苗代町の野口英世記念館で見た、母シカ自筆の手紙が忘れがたい。「おまイの。しせ(出世)にわ。みなたまけました」。どうか帰国して下されと英世に訴える書状だが、実物を見ると、マルの一つひとつが字ほどに大きい。しかも行の隅でなく中央に置かれている。

 幼い頃に覚えた文字を思い出してつづった手紙だという。テンも兼ねた大きなマルが、母親の一途な思いを伝える。句読点の結晶を見る思いがした。