本名は、アルトゥール?アントゥネス?コインブラという。そのアルトゥールがアルトゥジーニョになり、アルトゥズィーコが簡略化されてズィーコ(Zico)になった。後に世界中に知れ渡るこの愛称を付けたのは従姉妹(いとこ)リンダだった(『ジーコ自伝 「神様」と呼ばれて』朝日新聞社)。

 監督?ジーコの声が、タイ?バンコクのスタジアムに響いた。からっぽの白いスタンドに囲まれた異様な無観客試合を見事に制して、日本代表が帰国した。

 サッカー?ワールドカップ(W杯)出場を決め、ジーコ監督は「日本に恩返ししたいと思っていた。それが出来て感激でいっぱい」と述べた。一時は、監督の進退を問う声もあがった。就任から1千余日、力を尽くし、ついに期待された結果を得たという思いが強いのだろう。

 時に、印象的な言葉を残す人だ。「我々がスポーツをしているのと同じ時間に、人が殺し合い、幼い子どもが命を落としていることを思うと非常にやりきれない」。一昨年3月、イラク戦争の開戦後に語った。「私はブラジルという平和な国で育ち、愛の大切さを教えられた。戦争の当事者たちに、愛と平和についてもう一度考えてもらいたい」

 「自伝」には、こうある。「(私を)どうか過大評価しないでほしい。私はサッカーが好きで、そのサッカーを続けていくために人より努力と犠牲を惜しまなかっただけなのだから」

 ジーコ流とはそれぞれが「個」を磨き続けることのようだ。世界からドイツの空の下に集う、磨かれた「個」の競い合いが楽しみだ。