「戦争に負けたから堕(お)ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ」。終戦直後に、旧来の道徳観を否定して注目を浴びた坂口安吾の「堕落論」の一節である。

 安吾は、50年前の2月17日に、脳出血のため、群馬県桐生市の自宅で急死した。48歳で、妻と幼い長男が残された。

 死の2日前まで、高知県に居た。『中央公論』の「安吾新日本風土記」取材のためで、15日の夜遅くに帰宅した。同行した編集部員が、後に「書かれなかつた安吾風土記」を書いた。「短気とうつり気があまりにも有名だつた」作家との旅を懸念したが「故人に対して誠に申しわけない危惧(きぐ)」だったという。

 しかし最後の晩には、訳のわからないことで怒鳴られる。帰途、その理由を聞くと「いや悪かつた。絶対に気にしないでくれ……高知が自分によくつかめなくてあせつていたんだ……俺には悪いくせがあつて、そういう場合、その場で一番親しい人に当つてしまう……許してくれ」。「一番親しい人」だった妻から同誌への寄稿文には、子煩悩で、しばしば荒れる無頼派作家の姿がある。

 高知から帰京した日、桐生への列車を待つ間、浅草のお好み焼き屋に行っている。ここでは、鉄板に手をついたことがあった。「テッパンに手をつきてヤケドせざりき男もあり 安吾」。その時の音が聞こえてきそうな色紙が残る。

 安吾は、「あちらこちら命がけ」とも書いている。もし今現れて、戦後60年を迎えた日本に「命がけ」で手をついたとしたら、どんな音がするだろうか。