ローマの中心部にあるフォロロマーノには、古代ローマの都市遺跡が立ち並んでいる。そばのローマ市の庁舎も、古代のタブラリウム(記録保管所)の上に築かれていると聞いた。

 東京の都庁舎が建て替えられる頃、ローマ市の美術館局長に「東京では、築30年ほどの庁舎を捨て、千数百億円かけて新庁舎を建てるところです」と話したことがある。答えはこうだった。「おじいさんや、そのまたおじいさんがつくったものに手をかけて暮らすのは、楽しく、よいことです」。建物がどんどん新しいものに変わる日本を、都庁舎は象徴していた。

 新旧の都庁を設計した丹下健三さんが亡くなった。『丹下健三』(新建築社)を著した藤森照信さんが「昭和という時代に形を与えた人」と述べていたが、戦後の、その時々の日本を象徴する作品を残した。

 藤森さんが、丹下さんに尋ねた。「世界の古今の建築家の仕事をたくさん見てこられて、誰が一番と思われますか」。「……ル?コルビュジエとミケランジェロですね」

 近代建築の祖の一人とされるコルビュジエには、旧制広島高校時代に図書館の雑誌で出会う。衝撃を受け、建築家を志した。「装飾的なものを一切取り払いながらも、凛(りん)とした美しさを持つその設計に、私はすっかりほれ込んでしまった」(『一本の鉛筆から』日本経済新聞社)。

 現代の巨大建築であっても、必ずどこかに凛とした美しさを込めようとしていたのだろうか。この時代に、それを求め続けることの途方もない難しさを、誰よりも味わっていたのかもしれない。