言葉とは、人生に寄り添う愛(いと)しい道連れではないか。文化庁の国語世論調査に表れた「世間ずれ」についての回答のずれをみて、そう思った。

 この慣用句の意味を「世の中の考えから外れている」と答えた人が、10代では6割いた。本来の意味である「世間を渡ってきてずる賢くなっている」の方は、この年代では1割強だった。

 本来の答えの方は、年かさが増すほど増え、60歳以上では6割強に達した。人生の経験を積みながら、この句を実感してゆくさまがしのばれる。一方で、この年代でも、「世の中とのずれ」と答える人が2割近くいた。

 もうひとつ、目をひくのが、「最近の言い方」についての調査だ。すばらしい、おいしい、かっこいいなどの意味で「やばい」を使う人が、10~20代で半数を超えた。「わたし的には」「うざい」も、この年代が目立って多かった。言葉が人の道連れならば、時には揺らぎもあるのだろう。

 「大体の見込をいふと、日本語は日ましに成長して居る。語彙(ごい)は目に見えて増加し、新らしい表現法は相次いで起り、流行し又模倣せられて居る」。民俗学者の柳田国男が、『国語の将来』(創元社)にこう書いたのは、60年余り前だった。

 柳田は、さらに述べている。「日本語を以て、言ひたいことは何でも言ひ、書きたいことは何でも書け、しかも我心をはつきりと、少しの曇りも無く且つ感動深く、相手に知らしめ得るやうにすることが、本当の愛護だと思つて居る」。難題と自覚しつつ、愛しい日本語の未来を信じた言葉のように思われる。