大地震に備えるには、建物を鉄やコンクリートで固めるのがよいのか、それとも柳のように揺れを吸収する方がよいのか。関東大震災の直後、建築界でそんな議論が起きた。「柔剛論争」と呼ばれた。

 地震にからむ論争は戦後もあった。総ガラス張りのビルが東京や大阪に建ち始めた1950年代、「地震が心配だ」「いやガラスの持つ不安感は芸術性を高める」と応酬が続く。こちらは「不安感論争」と命名された。

 建築評論家の宮内嘉久氏によると、不安感論争の象徴となったのは、皇居わきに建った米出版社リーダーズ?ダイジェストのビルだった。ガラス面が大きく、柱が細く見える。建築学者や建設省技官らが「一度揺すってみないと安全かどうかわからない」などと盛んに批判した。

 設計したのは、チェコ生まれの建築家アントニン?レーモンド氏である。戦前と戦後に計44年間日本で暮らし、関東大震災も体験した。「地震に強い」と評された建築家には心外な非難で、晩年に出版した自伝でもなお憤慨している。

 レーモンド氏に師事した建築家ふたりの回顧展を見て回った。東京?上野の東京芸術大で25日まで開催中の吉村順三展と、23日に東京駅で始まった前川國男展である。

 吉村氏は生前「大震災を見て建築家を志した」と語っている。前川氏も建物の頑丈さには終生こだわり続けた。どちらの会場でも、設計図や模型に顔を近づけて見入る人々のまなざしが印象に残った。戦前から日本の建築界が耐震や免震にどれほど心を砕いてきたのか改めて思いを致した。