天声人语


 南米のチリ沖に浮かぶ島の高台に、小さな記念碑がひっそりと立っている。「この島で四年四ケ月、完全に孤独のまま生きのびたスコットランド……ラルゴ出身の船乗り、アレクサンダー?セルカークを記念して」。「ロビンソン?クルーソー」のモデル、セルカークの足跡をたどっている探検家?高橋大輔さんの『ロビンソン?クルーソーを探して』(新潮社)の一節だ。

 約300年前にセルカークが漂着した島は、今ではロビンソン?クルーソー島と呼ばれているという。今年の初めに島で5度目の調査をした高橋さんらが、セルカークの作った小屋の痕跡を見つけたと発表した。出土品や地層の年代測定などで判断したという。

 99年刊の高橋さんの本には、こんなくだりもあった。「セルカークが実際に住んだ小屋、生活の痕跡……それらは歴史の中で 撹拌(かくはん)され、散り散りになり、核心へと近づくのはどうやら遅すぎたようだ」。執念が実ったということか。

 ルソーが教育小説『エミール』に書いている。「わたしたちにはどうしても書物が必要だというなら……自然教育のもっともよくできた概説を提供する一巻の書物が存在するのだ……アリストテレスか、プリニウスか、ビュフォンか。いや、ロビンソン?クルーソーだ」(岩波文庫?今野一雄訳)。

 難破、恐怖、希望、生存。幼いころに読めば、冒険の世界へといざなわれる。長じれば、人生の現実に重ねてクルーソーの生き方や言葉を味わうこともできる。

 今回見つかったという痕跡からは、どんな伝言が聞けるだろうか。

 古代の中国に、指南車という車があったという。歯車仕掛けで、初めに南を向けておくと、車上の人形の手が常に南を指し示して人を導いた。そこから、教え示すことを「指南」というようになったと辞書にはある。

 世の習い事は様々だが、あくびの師匠が登場するのが落語の「あくび指南」だ。にわかに弟子入りした男が、師匠の言う「四季のあくび」のうち、長い舟遊びの後に出るという「夏のあくび」の稽古(けいこ)をつけてもらう。

 何度やっても様にならない。弟子入りにつきあって来ていた別の男がしびれをきらす。「教えるやつも教えるやつだ、へッ、教わる野郎も教わる野郎じゃねえか」(『名人名演落語全集』立風書房)。

 東京の大手監査法人の公認会計士4人が、証券取引法違反の疑いで東京地検に逮捕された。カネボウの粉飾決算への共謀容疑で、見かけの決算を 実際よりもよくした際、「隠すなら、こうしないと隠せない」などと「指南」した疑いもあるという。事実なら、帳簿の番人であるはずの公認会計士が帳簿の粉飾の稽古をつけたことになる。教えた方も教えられた方も病んでいる。

 近年、大手の監査法人の公認会計士らが、企業の不正経理に手を貸す事件が続いている。企業との密接な関係の中で帳簿の数字を扱うという仕事のありようが、罪の意識を薄れさせたのだろうか。

 これでは、どの会社にも欠かせない帳簿という社会への報告書の信用までが揺らぎかねない。「日本株式会社」を監視するはずの会計士や監査法人の「指南車」の向きが問われている。

 漂流中に救われて米国で10年暮らした幕末の漁師ジョン万次郎は、帰国後、藩の子弟に英語で数をこう教えた。ワン、ツウ、テレイ、ソワポゥ、パッイワ。1から3はわかるが、4と5は現代人には理解しがたい(斎藤兆史『英語襲来と日本人』講談社)。

 英語の音を日本語に置き換えるのは難しい。同じ課題に終戦直後の出版界も直面した。米兵に何か売るにも、占領機関に職を求めるにも、とにかく通じる英語が欠かせない。次々に出版された英会話の手引書はどれも発音表記に工夫を凝らした。

 まっ先に出て人気を呼んだのが誠文堂新光社の『日米会話手帳』である。今から60年前の9月15日に売り出された。復員した編集者加藤美生氏が、英語に強い大学院生の力を借り、突貫作業で79の文例に発音を付した。

 タマネギはオニオンでなくアニヤン、料理屋はレストランでなくリストウラン、「お掛けなさい」のTake your seatがテイキヨゥスィートである。限りなく原音に近いカタカナをという気迫が感じられる。

 3カ月余りで360万部が売れた。「出社すると、玄関前に空のリュックを抱えた書店主が大勢待ち構えててね」。ブームのさなかに生まれた長男美明氏(59)は、加藤氏から思い出話を聞いている。

 81年に黒柳徹子さんの『窓ぎわのトットちゃん』が出版されるまで、戦後ベストセラーの首位を保った。加藤氏は10年前に79歳で亡くなり、1冊が家族に残された。紙質が悪く、触れると指先からポロポロ崩れる。いまは書棚の隅で静かに眠っているそうだ。

 ダークスーツにネクタイ姿が目立つ自民党の幹部のそばで、襟元の開いた小泉首相の明るいシャツが浮き立って見える。大勝から一夜明けた昨日午後の記者会見では、総選挙の締めくくりに臨む主役の余裕のようなものが漂っていた。

 郵政民営化は長年「暴論」といわれていたが、いつかは必ず「正論」になると考えていた、と首相は会見で述べた。国民は、民営化法案を否決した国会の方が「暴論」だと判断したと。

 シェークスピアの「マクベス」の中の有名なせりふを思い出した。「きれいは汚い、汚いはきれい」(中野春夫訳)。世の中には、絶対的に良いものも悪いものもないと魔女が言う。

 「『今が最(いつ)ち悪い境遇ぢや』なぞとは容易に言へんものぢや」。こちらは「リア王」に出てくるせりふだ(坪内逍遥訳)。民主党が、小泉旋風に巻き込まれて民意をつかめなかったのはなぜなのか。それを突き詰めて出直さないと、「今が最も悪い境遇」どころではなく、さらに深く落ち込みかねない。

 劇といえば、比例東京ブロックでは「喜劇?棚ぼた」が演じられた。圧倒的に多くの票を得た自民党で名簿登載者が足らなくなり、1議席が社民党に転がり込んだ。「国会の質問王」と呼ばれた保坂展人氏が、一夜のうちに負けと勝ちを味わった。

 「世界はすべてお芝居だ。男と女、とりどりに、すべて役者にすぎぬのだ」(「お気に召すまま」阿部知二訳)。今年の暑い夏をいっそう暑くした「小泉?総選挙劇場」が、ひとまず幕を閉じた。残暑の列島に、厳しい日常が戻った。

 戦後が還暦になった今年は、折に触れて、昭和20年、1945年にあったことを振り返っている。9月の11日には、連合国軍総司令部(GHQ)が、東条英機元首相らの身柄拘束に動いた。最高司令官マッカーサーによる日本統治が、本格的に始まっていた。

 9月2日、マッカーサーは東京湾に浮かぶ米戦艦ミズーリで、日本の降伏文書の調印に立ち会った。艦上では、連合国や日本の代表を取り囲んで、水兵たちが鈴なりになっていた。その一角に、一枚の古びた大きな星条旗が掲げられていた。それは、幕末に来航して日本に開国を迫ったペリー提督の旗艦に翻っていたものだった。

 マッカーサーは、米国民に向けてこう述べたという。「きょうの私たちは九十二年前の同胞、ペリー提督に似た姿で東京に立っている」(『マッカーサー回想記』朝日新聞社)。日本にとって、敗戦による占領は、幕末に次ぐ「第2の開国」だった。

 それから60年、日本は占領下に定めた平和憲法を掲げつつ、軍備では世界有数の国となった。しかし今のところ、自衛隊は、一人の外国人も殺害していない。一方米国は、世界の各地で戦争を繰り返し、自、他国に、おびただしい数の墓碑を築いてきた。

 今の時代は、どの国も、外国との関係を重くみなければ立ちゆかない。一国への偏重ではなく、視野を広げ、とりわけアジアの一員として、尊敬の念をもって交われるようにしたい。

 総選挙が、戦後還暦の年に巡ってきた。この国の未来を選ぶことは、世界の中の日本のありようを選ぶことでもある。

 冠省 小泉純一郎様。圧勝でしたね。一夜明けて、勝利の味はいかがですか。戦後の日本に保革二大政党の「55年体制」ができて、今年で半世紀ですね。今度の「05年体制」は、「小泉マジック体制」とか「小泉劇場体制」と呼ばれるようになるかも知れません。

 あなたは、郵政民営化の賛否を国民に問うと言って解散しました。しかしこの票の大雪崩は、郵政の民営化への賛成だけで起きたとは思えません。

 「殺されてもいい」「賛成か反対か」。こんな、あなたの「歯切れの良さ」や、目や耳にはっきりと届く一言?ワンフレーズが、人々を強く引きつけたと思います。尊敬しておられると聞くチャーチル元英首相の語録には「短い言葉は最高」というのがあるそうです。

 圧勝するさまを見ていて、「独」という字が思い浮かびました。独特な党首の独断による独(ひと)り勝ちでした。今後、国政が小泉自民党の独壇場になって、独走や独善にまで陥ることはないのでしょうか。圧倒的な多数を与えた有権者でも、それは望んでいないはずです。

 明治時代、口の悪さで知られた斎藤緑雨という文人がいました。「拍手喝采は人を愚にするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ、渠(かれ)おのづから倒れん」(『緑雨警語』冨山房)。

 タフなあなたのことです。いくら拍手喝采されても、倒れることはないのかもしれません。しかし、郵政以外に、待ったなしの課題は山ほどあります。勝利の勢いあまって、肝心の日本という国が倒れないように、くれぐれもお願い致します。 不尽

 羽ばたくチョウの絵に詩が添えられている。「チョウが はねを うごかすと/くうきも いっしょに うごく。(略)きみが いま/すいこんだ くうきの なかにも/いつかの アゲハチョウの はばたきが/はいっていた かもしれない」(『くうきのかお』福音館書店)。

 90年に来日し、日本語で詩を書いている米国人、アーサー?ビナードさんの詩の一節だ。近著『日本語ぽこりぽこり』(小学館)が、講談社エッセイ賞に選ばれた。

 4年前には『釣り上げては』(思潮社)で中原中也賞を受けた。幼い頃、よく魚釣りに連れていってくれた父を、ミシガン州の思い出の川で追憶する。

 「ものは少しずつ姿を消し 記憶も/いっしょに持ち去られて行くのか。(略)記憶は ひんやりとした流れの中に立って/糸を静かに投げ入れ 釣り上げては/流れの中へまた/放すがいい」。透き通った表現の中に、生あるものの哀(かな)しみと躍動とが宿っている。

 本紙の東京本社版の夕刊などに連載中のコラム「日々の非常口」では、時に、辛口の言葉を投げかける。先日のテーマは総選挙だった。

 米国の大統領選では、国民は共和党か民主党かという二者選択のシャワーを浴びせられ、議論が深まらないようにしむけられる、と語る。「日本における二大政党への流れを、『民主主義の成熟した形』などといって、耳に聞こえがいいが、米国人としての体験からいうと、『民主主義の行き詰まりの形』だ」。今も、米国の投票権を持つ。大統領選では毎回、国際書留郵便で一票を送る。

 「郵政民営化に賛成か、反対か」。それを国民に問うために解散したと小泉首相は述べた。国政選挙で争点を一つに絞ろうという異例の作戦で始まった総選挙に、審判が下る日が近づいた。

 「首相のリーダーシップ」について、本社の世論調査の結果が載った。首相が強いリーダーシップを発揮することに「期待している」と答えた人が58%、「不安を感じる」人が26%だった。期待がかなりある一方で、不安を覚える人も少なくない。党内だけでなく、国民にも二者択一を迫るやり方への戸惑いもあるのだろうか。

 郵政民営化への賛否だけでなく、A党かB党かといった二者択一を、これまでの総選挙以上に迫られていると感じる有権者は少なくないのではないか。小選挙区制では、二つの大きな党の争いの渦で、小さな党がかき消されてしまう傾向がある。

 福沢諭吉が「文 明論之概略」で述べた。「自由の気風は唯(ただ)多事争論の間に在りて存するものと知る可し」。政治学の故丸山真男氏が注釈を付けている。自由の気風は「必ず反対意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する」(『丸山眞男集』岩波書店)。

 諭吉は、こうも書いた。「単一の説を守れば、其の説の性質は仮令(たと)ひ純精善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず」。丸山氏の注釈では、ある社会に一つのものの考え方だけが流通しているような場合には自由の気風はないということだ。

 ものの考え方の、より広い幅を求めて、ともすれば消されそうな主張にも耳を傾けたい。

 朝刊に挟み込まれて届いた衆院選の選挙公報を見る。東京の各政党から来た原稿を、都選管がそのまま印刷して発行した。党首や候補者の写真、キャッチフレーズがひしめく中に、短い一文が目についた。

 「日本を今一度洗濯いたし申し候」。幕末の志士、坂本龍馬の言葉で、姉の乙女に送った手紙の中に出てくる。徳川幕府に対し、薩長連合を策して大政奉還に力を尽くした龍馬の心意気と気迫が伝わってくる。

 言葉は古びていないし、「洗濯」は今の日本にも大いに必要だと思われる。しかしこれが、「改革を止めるな。」のキャッチフレーズや党首の写真とともに、選挙公報の一角に置かれているのは、いささか違和感がある。

 この文の下には「TOKYO自民党も、この言葉のように、断固とした決意をもって改革に臨みます」とある。多くの日本人の心をつかむ龍馬 の言葉と並んでいるのを見て、気恥ずかしい思いもしたが、ほかの各党がどんな「日本の洗濯」を掲げているかを公報で横断的に見るきっかけにはなった。

 アメリカからペリーの黒船が来航して、欧米の列強の脅威にさらされた龍馬の時代には、日本という国の成り立ちそのものが大きく揺らいだ。そこまでの切迫感はないとはいえ、今の日本でも、将来の国の成り立ちが大きく揺らぐような難題は数多くある。

 公報では、各党それぞれに、課題と方策をあげていた。しかし、くっきりと目に浮かんでくるような「洗濯」の仕方は、なかなか見あたらない。龍馬ならどんな「洗濯」をするのか、聞いてみたい気がした。

 繰り返し見る映画の一つに、黒沢明監督の「七人の侍」がある。大詰めを迎えた総選挙で走り回る7党のリーダーについて「七人の党首」という言葉が思い浮かんだ。

 七という数は、何かをひとまとめにしたり、区切りを付けたりするのにいいようだ。七曜、七草に七変化、七つの海に七不思議。七転八倒やラッキーセブン、七光りというのもある。

 「七人の党首」は、「七福神」のように、それぞれ笑顔をふりまいている。皆、おそらくは「七つ道具」があり、「なくて七癖」もあるのだろう。

 各党首を取り上げた本紙の記事によると、激しく競い合う党首には、重なっているところもある。「尊敬する人」に「信長」をあげるのは、自民?小泉氏と民主?岡田氏だ。共産?志位氏と国民新党?綿貫氏は、ともに「父」という。「好きな映画」では、広島の被爆を扱った「父と暮せば」を、志位氏と社民?福島氏があげた。公明?神崎氏の「男はつらいよ」は、志位氏もあげている。

 カラオケでうたう歌は、さまざまのようだ。X JAPAN(小泉氏)、村田英雄(神崎氏)、ビートルズ(志位氏)、松田聖子(福島氏)、北島三郎(綿貫氏)。新党日本?田中氏は唱歌「ふるさと」、岡田氏は、歌わないという。

 カラオケの歌とは別に、「七人の党首」はそれぞれ、日本の未来をうたっている。ちまたに流れている「七つの未来」のうちで、本当に未来へ希望を託せる「七色の虹」はどれなのか。よく見比べてから「今」を選んで、未来への責任も果たしたい。

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