天声人语


 「それは生前われわれに最も身近なものであり、最も愛すべきものであった」。アメリカの地方紙に、「現金の死亡広告」が載ったのは、ざっと40年前である。

 クレジットカードの「ダイナースクラブ」を創設したひとりの出身地の新聞で、この「広告」には、こんなくだりもある。「数千年の昔、物々交換の申し子として生まれ、交易の養子となり成育した『現金』は本日……死亡した」(『日本ダイナースクラブ 30』)。

 実際には、現金は死ななかった。しかし、その後に世界に広まる「キャッシュレス」や「プラスチックマネー」の時代を予告していた。数年前、偽造したクレジットカードによる犯罪が急増したが、最近では、金融機関のキャッシュカードの不正使用が大きな社会問題になっている。

 先日、偽造カードで預貯金を引き出されるなどした被害者が、被害金などを返還するよう銀行などに集団で要求した。1千万円以上の退職金がゼロになったり、十数分で400万円が消えたりと、被害者は金銭の損害と心の痛手を同時に受けた。

 欧米では被害者の責任限度額を設けている国があるという。金融機関のみならず、人も金も国境を越えて行き来する時代だ。預貯金者の保護で内外格差があってはなるまい。

 「それは生前われわれの身近なものであった。いつでも、どこでも、いくらでもという便利さでスピード時代の申し子となった。しかし、その便利さが命取りになり本日……」。銀行や国の対応次第では、いつの日か、こんな「広告」が出ないとも限らない。

 「エダマメの次はオクラですね」とオクラブームを予言する。米テレビドラマに出てくるニューヨークのレストランでの会話である。オクラ料理をつくったシェフが「おいしいでしょう」と自慢する場面だ。

 欧米での枝豆人気はかなりのものだ。豆腐と同じように、健康志向にあった手軽なスナックとして普及してきた。オクラの方はどうか。まだ珍しい食材の域を出ないだろう。はたして枝豆に取って代わる日が来るものか。

 日本料理といえばすき焼き、天ぷらの時代があり、やがて豆腐やしょうゆのように素材への関心が高まった。そしてすしは予想をはるかに超えて広がった。スシ?バーが急増する英国では日本食の市場は90年代末から5年で2倍になったという。

 そんな流れの中で昨年、日本料理の英語本がロンドンで出版された。栗原はるみさんの『はるみのジャパニーズ?クッキング』である。グルマン世界料理本大賞のベスト料理本にも選ばれ、先日スウェーデンで授賞式があった。

 海外メディアもいろいろ取り上げた。「仏教で肉食が禁じられてきた日本だが、はるみは楽しく肉を使う」といった紋切り型の誤解はあるものの「深い伝統に根ざしながら、軽やかに現代風である」と賛辞も少なくない。もちろん「日本のカリスマ主婦」ふうの紹介もあった。

 かつお節がなければ日本料理は成立しない、といった力みがない。どこでも代用品は見つかるという考え方だ。日本料理の「神秘性?カリスマ性」をはぎとった「カリスマ主婦」という評が適切かもしれない。

 60年前の今ごろ、岡本喜八郎さんは21歳だった。4月、愛知?豊橋の陸軍予備士官学校でB29に爆撃される。地獄絵のような惨状の中で、仲間の青年たちが死ぬ。やがて米軍の上陸に水際で備える遊撃隊要員となり、対戦車肉迫攻撃の訓練に明け暮れた。

 終戦の日、放送を聞く。「唖然(あぜん)。ある日突然、戦争が始まり、ある日突然、戦争が終る。茫然(ぼうぜん)。……一体、何があって、戦争が終わったんだ」。後年、青年は映画監督?岡本喜八として、この一日を描いた「日本のいちばん長い日」を撮る。

 昨日、惜しくも亡くなった岡本さんの作品の幅は相当広かった。面白くて躍動的だが、その底には、体験に裏打ちされた戦争と国家への厳しい視線があった。政府や軍の動きを追った「いちばん長い日」にあきたらず、「肉弾」では、魚雷をくくりつけたドラム缶で敵艦を狙う青年に自分を重ねて描いた。

 「なかなか寝つけない晩に、きまって戦争の夢をみるんです」と語ったのは10年ほど前だ。自分が銃や手榴弾(しゅりゅうだん)を手に人を殺そうとしている。はっとして目覚める。ぶるぶるっと震え「ああ、殺さなくてよかった」と思う。

 還暦の時に書いた自伝は『鈍行列車キハ60』(佼成出版社)。「キハは……型式記号である。このキハのハは、ハチと読めない事もない」。特急や急行ではなく、鈍行という思いを、鶴見俊輔さんは「あの戦争でなくなった三百万人と一緒に動いている故に早くは走れないのだ」と評した。

 戦後が「還暦」を迎えた年に、岡本さんは「キハ81」となって旅立っていった。

 書店で赤ちゃんの名前事典をめくると、外国風の名前を特集した章がある。男の子なら「吐夢(トム)」、女の子では「花連(カレン)」などが挙がる。好ましく感じる親もいれば、感心しない人もいるだろう。


 愛知県の知多半島にある美浜町と南知多町ではいま、命名話に花が咲く。人の名ではない。合併後の市名を「南セントレア市」にするかどうか。両町は先月これを新市名として発表し、内外から猛反発を浴びた。ひとまず引っこめて、結論は今月末の住民アンケートに持ちこされた。

 セントレアという新奇な言葉に接して、まず浮かんだのは南太平洋ニューカレドニアの島々、でなければ花のカトレアの変種かと思った。セントラルとエアポートを足した造語で、知多沖にできた新空港の愛称だという。まだ全国には浸透していない。

 地元ではセントレアはなお有力候補である。南知多、美南(みなん)など漢字の11案と人気を競う。斎藤宏一?美浜町長はあくまでセントレアを推す。「豊田はトヨタになり、松下はパナソニックになって飛躍した。斬新な名前で世界にPRしなければ、これからは市町村も経営できない」

 カタカナ市名の先駆けは山梨県の南アルプス市だが、ここではさほどの反発は起きなかった。合併した6町村に、もともと同じアルプス山麓(さんろく)の自治体という意識があり、提案された市名がとっぴな印象を与えなかったらしい。

 明治安田生命の調査によると、去年生まれた赤ちゃんで最も多かった名は、男が「蓮(れん)」、女は「さくら」と「美咲(みさき)」である。上位にカタカナの名前は見あたらない。

 税務署の前を通ると、確定申告を促す看板が立っていた。そばのボードにはこうある。「この社会あなたの税がいきている」

 常にそうならいいが、税金のでたらめな使われ方が問題になることが絶えない。税金が絡むかどうかは分からないが、自民党内部の金の使い方に疑問を投げかけるような証言が、東京地裁であった。

 旧橋本派の元会計責任者が、盆暮れの時期に党から計1億2千万円を受け取っていたと述べた。そしてこの金について、党の事務局長が「収支報告書に記載しなくていい」と言ったとした。事実なのだろうか。

 自民党などには、元はといえば国民の税金である政党交付金が毎年渡っている。一番多いのが自民党で、ざっと150億円にもなる。金には色がついていないから、交付金の一部が派閥に渡り、記載されずに使われたとは、もちろん言えない。しかし、党の運用する「公金」の使い方に疑いがあってはなるまい。

 昨年の場合、自民党の助成申請の代表者は、当然ながら小泉総裁だった。会計責任者は幹事長で、その職務代行者が「記載しなくていい」と言ったとされた党事務局長だ。総裁には、この交付金が、常に厳正に使われてきたのかどうかを改めて調べて、納税者に説明する務めがあるのではないか。

 法廷では、旧橋本派のパーティー券の売り上げ1億数千万円を裏金にした、という証言もあった。この党が、巨額の税金をつぎ込むに足るのかどうか。それを判断するためにも、党総裁、元首相らは、国民に向かって「確定申告」をしてほしい。

 「戦争に負けたから堕(お)ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ」。終戦直後に、旧来の道徳観を否定して注目を浴びた坂口安吾の「堕落論」の一節である。

 安吾は、50年前の2月17日に、脳出血のため、群馬県桐生市の自宅で急死した。48歳で、妻と幼い長男が残された。

 死の2日前まで、高知県に居た。『中央公論』の「安吾新日本風土記」取材のためで、15日の夜遅くに帰宅した。同行した編集部員が、後に「書かれなかつた安吾風土記」を書いた。「短気とうつり気があまりにも有名だつた」作家との旅を懸念したが「故人に対して誠に申しわけない危惧(きぐ)」だったという。

 しかし最後の晩には、訳のわからないことで怒鳴られる。帰途、その理由を聞くと「いや悪かつた。絶対に気にしないでくれ……高知が自分によくつかめなくてあせつていたんだ……俺には悪いくせがあつて、そういう場合、その場で一番親しい人に当つてしまう……許してくれ」。「一番親しい人」だった妻から同誌への寄稿文には、子煩悩で、しばしば荒れる無頼派作家の姿がある。

 高知から帰京した日、桐生への列車を待つ間、浅草のお好み焼き屋に行っている。ここでは、鉄板に手をついたことがあった。「テッパンに手をつきてヤケドせざりき男もあり 安吾」。その時の音が聞こえてきそうな色紙が残る。

 安吾は、「あちらこちら命がけ」とも書いている。もし今現れて、戦後60年を迎えた日本に「命がけ」で手をついたとしたら、どんな音がするだろうか。

 空を飛ぶ車を想像する。行き先を言うと、自動的に連れて行ってくれる。誰もが子どものころに考えそうな夢だ。いかにも子どもらしい夢、と一言ですますこともできるかもしれない。

 小学校の卒業文集に収められた「夢」と題する作文である。読み進みながら奇妙な違和感をおぼえたのは、陰惨な事件の後だからだろうか。「夢」を書き残して卒業した母校の小学校へ行って教職員を殺傷、逮捕された少年の中で夢はどうしぼんでいったのか。

 作文では、未来と現在とが混じりあっている。空飛ぶ車、お手伝いロボット、スーパー高性能チップ——。これから「できるかもしれない」ものと、既に「あるかもしれない」ものとが同列に「夢」として描かれる。かなわぬものが「夢」なのだという感覚がうかがえない。科学の発達ですべてが便利で手軽になる、なりつつあることへの楽観も読み取れる。

 夢と現実とが地続きであると思っていたのが、あるとき深い溝があることに気づいた。事件に直接はつながらないにしても、そんな苦い経験があったのではないか。この少年に限らず若い世代が共有する「夢と現実」ではないか。

 谷川俊太郎さんに「くり返す」という詩がある。「後悔をくり返すことができる/だがくり返すことはできない/人の命をくり返すことはできない/けれどくり返さねばならない/人の命は大事だとくり返さねばならない/命はくり返せないとくり返さねばならない」

 谷川さんの呼びかけを心に、悪夢をくり返さないための手だてを考えていかねばなるまい。

 美しい古都と廃虚と。ドレスデンという地名は、いつも二つの映像が重なり合って複雑な感慨をもたらす。「エルベのフィレンツェ」と美しさをたたえられたドイツの古都が連合国軍の空爆で一夜にして瓦礫(がれき)の街になったのは、60年前の2月13日だった。

 爆撃直後のドレスデンを列車で通過した17歳の青年が、後に語っている。「若くて事態をよくわかってはいなかった。しかし焼けこげた遺体が積み上げられている光景に衝撃を受けた」「以前のドレスデンを知っていたから、変わりようはよくわかった」

 後のノーベル賞作家ギュンター?グラス氏である。しかし彼を真に震撼(しんかん)させたのは、戦後初めて見た強制収容所の写真であり、ナチスのユダヤ人迫害だった。反ナチスを貫く戦後の彼の歩みを決める経験だった。

 「ドイツ人の罪」を考え、語り、書きつづけたグラス氏だが、同時にドイツ人の犠牲者にも言及する必要がある、と考えてもいる。英美術誌のインタビューでこう語る。「私たちドイツ人が始めた。まず、英国の都市を爆撃した。しかし、ドレスデンへの爆撃もまた罪だ」

 ドレスデンでは13日、「追悼と和解」の式典が催された。一方、「ドレスデン空爆は爆弾によるホロコーストだ」と主張する国家民主党などネオナチと称される極右グループは街頭デモをした。戦後最大規模といわれる。

 ナチスドイツの罪を重く背負いながら「ドレスデン」を問うグラス氏と、ナチスを擁護しつつ「ドレスデン」を非難する勢力との距離があまりに遠いことはいうまでもない。

 「とても偉大な人物とはいえない。あまりお金もうけもできなかったし、名前が新聞に出たこともない」平凡なセールスマンの物語が、半世紀以上にわたって世界の多くの人々を魅了してきた。

 1949年初演の「セールスマンの死」で知られる米国の劇作家アーサー?ミラーが89歳で亡くなった。劇の主人公と違って決して平凡とはいえない波乱の生涯だった。新聞をにぎわしたこともたびたびだった。

 まず、女優のマリリン?モンローとの結婚と離婚がある。「鳥小屋の中の見知らぬ鳥」のような彼女に魅せられ一緒になった。しかし、5年ほどで破綻(はたん)した。彼女を「神経症」と薬物依存から救い出すことができなかった、と後に明かす。

 一生つきまとったのは「アメリカとの闘い」だったといえよう。とりわけ50年代の「赤狩り」、マッカーシズムの時代には渦中に巻き込まれた。非米委員会に呼び出され、知っているコミュニスト作家の名前を挙げるように強要された。拒否し、罰金刑を受けた。

 「セールスマンの死」では、息子の将来に夢を託しつつ自分もささやかな成功者になろうと身を削った男が夢破れ、死を選ぶ。「アメリカの夢」が「アメリカの悲劇」に転じる物語だ。米国社会への苦い批評が込められる。9?11テロ後、米国に広がった息苦しい体制にも「市民の権利が脅かされる」と批評を怠らなかった。

 平凡な人間の夢と挫折を描いて演劇史を画する名作を残した非凡な作家だった。ニューヨークの劇場街は11日夜、入り口の明かりを暗くして死を悼んだ。

 今から1万年ほど前のことである。海の水がにわかに増え、海水面が上昇した。東京湾では、この「海進」によって、今より50キロも内陸まで海面下となった(『利根川と淀川』中公新書)。

 関東地方の貝塚の分布から推定した海岸線は、さいたま市よりも更に奥に達している。貝塚は、太古の暮らしぶりを伝えるだけではなく、海のありかを示すタイムカプセルでもある。

 埼玉県に隣接する東京の北区でも、いくつもの貝塚がみつかっている。その北区の住宅地の近くで、貝塚とは別の、とんでもないタイムカプセルが掘り出された。温泉の掘削で地下1500メートルまで掘り進むと、ガスが噴き出した。引火して激しく燃え上がり、なかなか消えなかった。

 関東南部には「ガス田地域」があり、深く掘ると天然ガスの溶けた地下水が噴き出る。ガスは、一帯が海だった頃のプランクトンや海藻などが起源という。

 このごろ、市街地で温泉を掘り当てようとする動きが目に付く。地盤沈下への懸念も聞く。東京都は来年度から、温泉付きマンションでの温泉使用に制限を設けるという。1日1所帯0?5立方メートル以下で、浴槽約2杯分だ。「限られた資源なので、湯水のごとくには使えないことを周知したい」

 ガス噴出や火災が市街地で起こるようでは住民はたまらない。噴き上げる炎と消火活動は、油田火災を連想させた。「町中(まちなか)温泉」掘りは、よほど慎重にしないと、大やけどをする。悠久のタイムカプセルから一気に現代に引っ張り出された太古の生き物たちが、身をもってそれを示した。

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