天声人语


  瞬間最高視聴率は57?7%だった。その時、おそらく数千万の眼の追うボールが、北朝鮮ゴールに飛び込んだ。日本チームは最後まで粘り、よくやった。

  やがて、勝ち負けとは別の感慨が浮かんだ。それは、北朝鮮チームのメンバーとして戦ったJリーガーの姿から来るようだった。日頃は日本のチームの一員として戦い、ここでは日本代表と戦う。この「よじれ」を背負いながら走ったふたりに、国や国籍と人間との複雑な関係が重なって見えた。

  ふと、穐吉(あきよし)敏子作の「ロング?イエロー?ロード」を聴きたくなった。中国東北部(旧満州)に生まれ、戦後帰国する。ジャズピアノを究めようと単身渡米して約半世紀がたつ。「ジャズにとって、もともと異物」と述懐する「東洋人」のひとりとして、ジャズと日本とを結ぶ活動を続け、今年朝日賞を受賞した。

  曲名は、どこまでも続く黄色っぽい中国の道からヒントを得たという。日本の童謡を思わせる一節もあり、軽快な中にも懐かしさを感じさせる。「東洋人」が米国で歩んできて、これからも歩み続ける道をも意味しているという。穐吉さんは『ジャズと生きる』(岩波新書)で、米国での人種偏見についても記しているが、乗り越えて自らの道をつかんだ。

  在日のJリーガーのひとりの後援会は、8割が日本人だという。57?7%の中には、試合を国籍にかかわらずに楽しんだ人も多いのではないか。

  サッカーにしろ音楽にしろ、その魅力の根っこには、生まれた国や国籍を超えて訴えかけてくる、個人のひたむきな姿がある。

  エルサレムの「嘆きの壁」に行ったのは、10年ほど前のことである。ユダヤ教の聖地の古い壁を前に多くの人が祈っていた。キッパという丸い小さな帽子を借りて頭に載せ、壁に手で触れつつ思った。ユダヤ、キリスト、イスラム教の聖地が入り組むエルサレムという小さな一つの椅子(いす)に、どうすれば反目する人々を座らせられるのかと。

  「嘆きの壁」に近いイスラム教の聖地に、当時イスラエルの野党党首だったシャロン氏が行き、大きな衝突になったのは4年半近く前だ。以来、イスラエル軍の攻撃やパレスチナ側の自爆テロが続いてきた。イスラエル側は、分離壁も築いた。

  双方の首脳が久々に会談し、停戦を宣言した。会談が開かれたエジプト?シナイ半島のシャルムエルシェイクは、かつてイスラエルが占領していた時期もあった。北方のシナイ山で、モーゼが十戒を授かったといわれる。

  「殺してはならない」や「盗んではならない」の後に「隣人の家をむさぼってはならない」とある。しかし長い歴史の中で、この中東の地域も様々な国にむさぼられてきた。

  トルコ支配下のエルサレムを訪れた明治の作家?徳富蘆花は、「嘆きの壁」を「哀傷場」と記している。「風日に黒める石の面(おもて)に、希伯来(ヒブライ)字もてさまざまに猶太(ユダヤ)人等の情懐祈願を刻す……草花のさりげなく石垣に咲けるはあはれなり」。前世紀初頭、トルストイに会う旅の途中だった(「順礼紀行」『明治文学全集』)。

  停戦が、今世紀の最初の停戦ではなく、平和に帰結する「最後の停戦」になるようにと願う。

  アインシュタインに「生涯最大のあやまちをおかした」と後悔させたといわれるのが天文学者ハッブルである。1920年代に宇宙が膨張していることを確認し、当時は「静止宇宙」を想定していたアインシュタインの議論を見事に打ち砕いた。

  彼の名を冠したハッブル宇宙望遠鏡の短い生涯が終わりそうだ。近く寿命がくる部品を修理するかどうか論議されてきたが、7日発表の米予算教書に修理費は盛り込まれなかった。誘導して太平洋に落下させる「水葬」費用だけが盛り込まれた。

  大気に邪魔をされず、高度600キロの軌道から宇宙を観測する。天文学に革命をもたらすとの期待がかけられていた。しかしスペースシャトルの事故などもあって打ち上げは遅れに遅れた。90年に打ち上げられた後もトラブル続きだったが、順調に観測を始めてからは驚異の映像を送り続けた。

  星の誕生や死の現場を見せてくれた。とりわけ星が壮麗ともいえる大爆発を起こして死んでいく様は印象深い。130億光年先という宇宙の果ての銀河もとらえた。宇宙誕生まもないころの姿でもある。星が死んでつくる暗黒の穴、ブラックホールの存在も証明した。

  宇宙が刻々と変容を続けていることをまざまざと見せてくれたこの望遠鏡を三大望遠鏡の一つという人もいる。ガリレオの望遠鏡、ハッブルが宇宙の膨張を発見したウィルソン山の望遠鏡とともに、宇宙観を根本から変えた、と。

  ハッブル望遠鏡の使命はまだ終わっていない、と延命を訴える人もあきらめてはいない。その論議は米議会に移る。

  ゲーテの大作「ファウスト」の総行数は万を超え、12111行に及ぶ。読み通すのが難しい名作の一つだが、心に強く残るくだりは多い。

  ファウストが、悪魔のメフィストフェレスと賭けをして語る場面もそうだ。「己が或る『刹那(せつな)』に『まあ、待て、お前は実に美しいから』と云つたら、君は己を縛り上げてくれても好い。己はそれ切(きり)滅びても好い」(森鴎外訳 岩波文庫)。

  結局ファウストは、様々な遍歴を経た後、「刹那」に向かって「止まれ、お前はいかにも美しいから」と呼びかけ、絶命する。メフィストは「この気の毒な奴は、最後の、悪い、空洞(うつろ)な刹那を取り留めて置かうと思つた……時計は止まつた」

  止まっていた時計が、60年ぶりに動き始めたかのような記事が載った。戦時中、情報工作員を養成していた「陸軍中野学校」の、たまたま焼却されなかった教科書が、卒業生の手元に秘蔵されていたという。「宣伝」の教科書に、メフィストフェレスが登場する。

  「『メフイスト』氏ノ手口ヲヨク研究シテ見ルト其ノ極意ハ『身ヲ磨(す)リ寄セテ行ク気持』デアル」。例えば前線での敵将兵への放送では、「貴方方ガ前線ニ出テ来タ愛国的ナ気持ハヨク解リマス」と、まず同情し、後に問う。「デスガ貴方方ノ努力ハ一体誰ノ利益ニナルノデセウカ」

  ゲーテのメフィストとは、役回りは異なっているようだが、この教えは、戦争の現実とは、どう擦れ合ったのだろうか。悪夢のような刹那を呼び止めてしまった時代を記録する、貴重な手がかりとして生かしたい。

  ——この日本という国では、わが帝国のものとは比べようもないほどの速さで動き回る「戦車」によって、年に何千人もの命が奪われている。世界全体では、何万以上の命が毎年失われ続けているらしい。果たして彼らは、この大量の死を、永遠に続けるつもりなのだろうか……。

  もしも古代ローマ人が今現れたとしたら、こんな「未来社会の驚くべき蛮行」という報告を書くかも知れない。自動車事故による多くの死が永遠に続くかどうかは分からない。しかし、古代人なら驚くはずの膨大な死への恐れが、現代人では薄れつつあるのではないか。

  「戦車」が勝手に人の命を奪うはずもない。人が操る「戦車」が殺すのである。千葉県松尾町で、同窓会帰りの男女がひき逃げされ、4人もが亡くなった。痛ましい限りだが、この事件は、車を操る責任の重さと、車の凶器としての恐ろしさを、改めてみせつけた。

  「いつ人をひくことになるか分からないし、いつひかれるかも分からない」。こんな、古代にはない覚悟をしながら、現代人は暮らしている。いちいち口には出さず、のみ込んでいるが、死の影が消え去ることはない。

  養老孟司さんは『死の壁』(新潮新書)の中で、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いへの答えとして、「二度と作れないものだから」と述べている。「蠅を叩き潰すのには、蠅叩きが一本あればいい。じゃあ、そうやって蠅叩きで潰した蠅を元に戻せますか」

  ひき逃げに限らず、元に戻せない人の命を、むやみに奪い去るような事件が続く。

  米国で最も親しまれている硬貨が、クオーターと呼ばれる25セント硬貨だ。少々大ぶりだが、自動販売機をはじめとして、ちょっとした買い物には欠かせない。

  50種類ものクオーターを発行する計画が6年前から進行している。50州が硬貨の裏にそれぞれ独自のデザインを考え、順次、米造幣局が発行していく。各州の歴史や特色を図案に取り入れることが条件だ。多くの州では、デザインを公募、最終的には知事が決める。

  ニューヨーク州だったら誰もが考えるのは「自由の女神」だろう。実際、4年前に発行されたクオーターでは、州の外形を背景に「自由の女神」が描かれた。そして「自由への玄関」の文字を浮き彫りにした。9?11テロの前のことだった。

  バイオリンとギターとトランペットを描き「音楽の遺産」と銘打ったのはカントリーミュージックの故郷テネシー州だ。一方、ジャズの都ニューオーリンズをかかえるルイジアナ州もトランペットを欠かすわけにはいかない。州鳥のペリカンを加えた図案になった。

  99年に始まり、08年までの10年計画で進んでいる。憲法を批准し、合衆国に加わった順番で発行されるからハワイ州が最後だ。もちろん硬貨は州外でも通用する。「無難なデザインが多すぎる」という批評はあるが、話題づくりには成功した。推進する米造幣局は「クオーターでアメリカの歴史と地理、そして多様性を学ぼう」と呼びかけている。

  確かに偽造硬貨騒ぎに関心が集まるよりは、はるかに建設的で、いかにもアメリカらしい「多様化」の試みである。

  海の底には、富士山やキリマンジャロに勝るとも劣らないような大きな孤立した山が、数多く潜んでいるという。千メートル以上の山を、海山と呼ぶ。ある共通する分野の人の名前がつけられた海山の集団もある。

  ハワイの北の太平洋には、音楽家海山列がある。バッハ海山から、ベートーベン、チャイコフスキー、ラベル、マーラー海山までがそろっている。アラスカ沖には、数学者海山列もある。「海山は深海という夜空に輝く星座である」と言った人もいる(『生きている深海底』平凡社)。

  海山が輝く星ならば、海溝は沈黙の闇だろうか。世界で最も深いマリアナ海溝の闇の中で、「生きた化石」とされる生物が見つかった。アメーバに近い「有孔虫(ゆうこうちゅう)」の仲間で、8億~10億年前からその姿を変えていないという。深さ1万メートルを超す闇が、この原始的な生物の「避難所」だったとの見方もあった。

  「ここはどこだろう?……私がしゃべろうとすると、ネモ艦長は手振りでそれをとどめ、(海底に)落ちている白い石を拾って、黒い玄武岩のそばに進みより、その上に『アトランティス』と、ただ一語書き記した」

  ジュール?ベルヌ作「海底二万リーグ」(『世界SF全集』早川書房)の一節だ。「アトランティス大陸」の水没伝説のように、未知の海底は謎に満ちた闇でもあった。

  海底には、泥や砂が、ゆっくりだが絶え間なく積もり続けているという。陸上では、人間の手や浸食で消えてしまう記憶が、深海の底では残る。小さな有孔虫にも、地球の太古の記憶が刻まれている。

  〈大空に延び傾ける冬木かな 虚子〉。昨日、東京の空には雲がほとんどなく、木々は、目にしみるような青を背に立っていた。

  冬木には、天に向かってのびようとする勢いが感じられる。道に並ぶ木々を見ながら、その勢いは、葉を失ったことで得られるのではないかと思った。

  葉は枝から上向きに出ていても、葉の先の方は下を向いていることがよくある。葉先を、いわば下向きの矢印とすれば、葉を落としきった木には、それが全く無い。かわりに、多くが天を指してのびている枝や枝先という無数の上向きの印が強調される。それが、のびる勢いを感じさせる。

  「大きな枝から、また大きな枝が手を伸ばし、更に小枝が四方にこまやかに散らばり、となりのけやきと絡みあつてゐる。それらの梢の先々は、どこで終つてゐるのか、見究めがつかぬほどに、遠いところで消えてゐる」(「冬木立の中で」『結城信一全集』未知谷)。葉に隠れていた所があらわになり、枝の向きや傾きが目で追える。

  一本のサクラに近づく。細い枝の先をたどると、そこには芽がいくつもついていた。まだ小さくて堅い。しかし、内側から外の世界へ出てゆこうとする気配は十分にある。芽は、葉や枝ほどには目につかないが、枝と同じく、空に向かってのびようとする矢印のようにも思われた。

  〈斧(をの)入れて香におどろくや冬木立 蕪村〉。冷たい風に揺れながら空を掃いているような木々の姿は、ものさびしくもある。しかし、その内には新しい息吹が宿り、近づく時を待っている。今日は立春。

  フランス語教育が充実していることで知られる暁星学園でフランス人教師に囲まれて11年間学んだ。東京大学の仏文に進み、卒業後もデカルトやパスカルを研究、助教授になった。

  1950年、戦後第1回のフランス政府給費留学生に選ばれた森有正は、フランス語に不安はないはずだった。本人もある程度自信をもっていたが、同時に「心の底には一種の形容するのがむつかしい恐怖の念がありました」と述懐している(『森有正エッセー集成3』ちくま学芸文庫)。

  日本で学んできたものが根本から揺るがされるのではないかという恐れは、的中した。生きたフランス語や社会、文化に接しているうち、「最初の自信めいたものは跡かたもなく消えてしまいました」。彼の苦闘が始まる。それは哲学者として思索を深めていく過程でもあった。結局、76年の死までフランスにとどまった。

  在仏日本人に「パリ症候群」があとを絶たないという。あこがれのパリで暮らし始めたものの、うまく適応できず、精神的トラブルを起こしてしまう人たちだ。90年代にパリ在住の精神科医太田博昭さんが命名した。最近、仏紙も話題にしたという。

  「フランスはあまりに遠し」という時代ではもはやない。だが、どんなに身近になってもパリには「有史以来、日本人が異文化と接触した時のあらゆる幻想が、凝縮されて盛り込まれている」と太田さん(『パリ症候群』トラベルジャーナル)。

  「症候群」に苦しみつつ、あえて深みにはまることで新しい地平を開いたのが森有正だったといえよう。

  「不便でも自然の中で暮らす方がいい」。そう語っていたジャック?モイヤーさんは昨年1月、74歳で亡くなった。長年、三宅島で暮らし、海洋生物の研究や自然保護に取り組んできた人だ。

  米カンザス州出身で1950年代に来日して以来、三宅島の魅力にとりつかれ、やがて住みついてしまった。住民に慕われ、子どもたちの野外学習にも熱心だった。96年には「朝日 海への貢献賞」の「ふれあい学習賞」が贈られた。

  全島避難で東京都北区の都営アパートに移ったが、昨冬、自室で遺体が発見された。自ら命を絶ったらしい。モイヤーさんのようについに帰島を果たすことなく島外で亡くなった人は約200人にのぼる。

  一足先に帰島した集団もいる。国の天然記念物で島のシンボルともいえるアカコッコをはじめ多くの鳥類だ。噴火直後は激減したとみられていたが、2年後の調査では大幅に回復していた。近くの神津島に避難していたらしい。昨年は、一時帰島した住民が家の庭に小鳥たちが集まっているのを見て「もう大丈夫」と話し合ったという。

  三宅島の名物の一つに太鼓がある。長い伝統を誇る「神着木遣(かみつききやり)太鼓」である。世界各地で演奏活動をする「鼓童」が伝授を受け、演目に取り入れたことで広く知られるようになった。都内などで開催されてきた「島民ふれあい集会」ではしばしば木遣太鼓が登場、涙ぐみながら聴き入る人も少なくなかった。太鼓の音が島に復活するのはいつの日か。

  4年半の空白を取り戻す。容易ではないだろうが、着実に進んでほしい。

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