天声人语


 ゆるい坂道に白い手袋が一つ落ちていた。人さし指が空を向いている。落ちた手袋は、妙に気にかかる。今は持ち主を失ってしまったものが、手の形を残しつつ何事かを語りかけてくる。

 貧しい男の子が雪道に落ちている真っ赤な手袋を見つけ、抱くようにして病気の姉に持ち帰る童話は、小川未明の「赤い手袋」である。手袋といえば、新美南吉の「手袋を買ひに」も印象深い。

 母狐(ぎつね)が、子狐の片方の手を人間の手に変える。店で、陰からその手を出して買うように教える。狐の手を出すと捕まる、人間は怖いからと。しかし子狐は狐の方を出してしまう。ところが店の人は手袋を売ってくれた。人間はちっとも怖くないと子狐から聞いた母狐がつぶやく。「ほんとうに人間はいいものかしら」

 現実の世界では、防寒以外にも手袋の使い道は多い。大勢の人を指揮するような立場の人たちにも使われてきた。

 巨大な西武グループを長く指揮してきた堤義明?コクド前会長が、株の虚偽記載などの容疑で逮捕された。元コクド役員は「専制君主の終焉(しゅうえん)」と述べた。この「専制君主」が君臨し指揮する時には、常に「先代」という、目には見えない手袋をしていたように思われる。創始者である父?康次郎氏の遺訓の指し示す方へ、自らの手を動かしていたのかも知れない。

 先代によって「三十にして立つ」の頃に社長に据えられたこの人も「心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」の70歳となった。今は、ひとまず手袋を脱いで、検察が「矩を踰えた」とする事柄と向き合ってほしい。

 「国民の皆さん。私は先般、日曜日に独立記念館を訪れました」。ソウルで盧武鉉(ノムヒョン)?韓国大統領が1日に行った演説の一節だ。記念館はソウルからかなり南の天安市にある。

 以前、そこを訪ねたことがある。朝鮮民族の歴史や、支配する日本に抵抗して独立するまでを、七つのパビリオンに展示していた。開館から1年足らずで800万人が来たと係員は言った。人々は「日本の侵略館」に殺到しており、入り口には100メートル近い行列ができていた。

 大統領は、その記念館に行き、ソウルでは、日本に抵抗する「3?1運動」に身を投じて命を落とした「韓国のジャンヌ?ダルク」とも呼ばれる柳寛順(ユガンスン)の記念館で演説した。日本支配の時代を強く思い起こさせる場所をたどっての演説だった。

 それもあってか、日本に対して歴史の清算や謝罪をこれまでにない厳しい口調で求めたという。演説の要旨からは、そう受け取れる。しかし演説の細部を見て、少し違う印象を受けた。

 演説の中程では、日韓関係が相当な進展をしてきたと述べた。過去の村山首相の「痛切な反省と謝罪」や、金大中大統領と小渕首相の「未来志向」の関係構築の確認に触れ、日韓は「運命共同体」とも言った。

 そして「日本の知性に再び訴えます」と述べた。ここでは訴える相手を、政府とも国民ともしていない。「真の自己反省の土台の上で両国の感情的なわだかまりを晴らし、傷を癒やすことを率先しなければならない」と続けた。日本への厳しい言葉の裏に、大統領の悲痛な思いがこもっているように思われた。

 朝方の冷え込みは、まだ厳しいものの、晴れた日の陽光には春めいた柔らかさがこもる。「弥生(やよひ)ついたち、はつ燕(つばめ)、/海のあなたの静けき國の/便(たより)もてきぬ、うれしき文を……弥生来にけり、如月(きさらぎ)は/風もろともに、けふ去りぬ」。この「燕の歌」の作者?ダヌンチオは、イタリアの詩人?作家だ。

 日本での「弥生来にけり」の実感は、シェークスピアの「花くらべ」の方に近いかもしれない。「燕も来ぬに水仙花、/大寒こさむ三月の/風にもめげぬ凛々(りり)しさよ。/またはジゥノウのまぶたより、/ヴイナス神の息よりも/なおらふたくもありながら、/菫(すみれ)の色のおぼつかな」

 この2編を含む欧州の詩人29人の作を上田敏が訳した『海潮音』が出版されて今年で100年になる。「山のあなたの空遠く」のブッセ、「秋の日のヴオロンのためいき」のベルレーヌ、ボードレールらの詩句がきらめく。

 「人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない」と書いたのは芥川龍之介だった。彼の妻の文(ふみ)が初節句に買ってもらった雛(ひな)人形が今、ふたりにゆかりの深い東京都墨田区の「すみだ郷土文化資料館」に展示されている(10日まで。月曜休館)。

 箱書きは、明治34年3月だった。『海潮音』が出る4年前だが、1世紀もたっているとは思えないほど、保存状態が良い。五人囃子(ばやし)の細やかなしぐさからは、笛や鼓の音が響いてくるようだ。

 龍之介と文の孫の芥川耿子(てるこ)さんが寄贈した。文が、60歳の節句に書いた色紙もある。〈古雛や顔はればれと六十年〉。雛祭りの明日、耿子さんが60歳になるという。

 黒人で初めてアカデミー主演女優賞を獲得した。ハル?ベリーにその名誉は一生ついてまわるだろう。3年前の贈呈式での受賞の弁はとまらなくなり、終了を促されたほどだった。「待って! 74年分の時間がほしいんです」。黒人受賞者が出なかった長い過去に言及したのが印象深かった。

 今年は彼女を思いがけない賞が待っていた。失敗作「キャット?ウーマン」の主演が「評価」され、ゴールデン?ラズベリー賞の最悪女優賞に選ばれた。パロディー版アカデミー賞である。

 先週末、贈呈式に現れた彼女は「ここに来たいと熱望したことは決してないが、とにかくありがとう」とあいさつし、あえて式に出席した理由を語った。「子どもの頃、母に言われた。良き敗者になることができなければ、良き勝者になることもできない、と」

 最悪男優賞、最悪助演男優賞、最悪共演賞にはマイケル?ムーア監督「華氏911」に出演した米政権中枢の面々、ブッシュ、ラムズフェルド、ライス各氏が選ばれた。現職大統領としては初めてという「栄誉」だったが、贈呈式に彼らの姿を見ることはできなかった。

 最悪女優賞をめぐるベリーの言葉はなかなか味わい深い。「アカデミー賞をもらう前に転んでも誰も気にしない。起きあがってほこりを払い、またゲームに戻ればいい。受賞後だと災難。頂点からどん底への落下だから」

 華やかな本番のアカデミー賞にはない苦みがにじみ出る。ベリーはこう言って会場を後にしたそうだ。「あなたたちに二度と会わずにすみますように」

 そのむかし元号は頻繁に変更された。皇位が代わった時だけではない。天災や兵乱の年、吉祥の動物が献上された年にも改元されている。大化から平成まで平均で5年、短いと2カ月で変わった。

 一番長いのは昭和だが、最初の昭和元年はごく短かった。暮れの25日に大正天皇が亡くなって昭和の世となり、1週間後にはもう昭和2年が始まる。元年の短さが最近、裁判で争点になった。

 怪しい一味が東京都板橋区内の女性宅に忍び込んだ。通帳と印鑑を盗み、女性が1926年の6月1日生まれであることも割り出した。暦の換算表でも見たのか、一味は偽造した保険証に「昭和1年6月1日」生まれと書き込む。実在しない日付である。銀行に現れたのはそれらしい年格好の女性。窓口で保険証を見せ、定期預金600万円を引き出して逃げた。

 被害女性は裁判を起こしたが、銀行は非を認めない。法廷では「昭和改元の詔書」も持ち出された。先週言い渡された地裁判決で、軍配は女性の側にあがった。「昭和1年がほとんどないことは社会常識のはず。行員は怪しい生年月日に気づくべきだった」と。

 作家の佐野洋氏に『元号裁判』という小説がある(文春文庫)。大正15年12月24日に生まれた主人公が、あと1日遅ければ「昭和の子」になれたのに、とつぶやく場面がある。実際に時代の境目に生を受けた人たちにも、格別の思いがあるのだろう。

 今年は昭和なら80年である。大正だと94年、明治では138年にあたる。「なりすまし犯」ならずとも西暦との換算には悩まされる。

 最近の言葉から。「ジャンケンから、日本社会が見えてきます」とウィーン大日本学科のセップ?リンハルト教授。ジャンケンの「三すくみの思想」に着目、「相互依存的で、絶対的な勝者や敗者をつくらない。平等思想の表れとも考えられます」。大阪府の山片蟠桃(やまがたばんとう)賞を受けた。

 作家で僧侶の玄侑宗(げんゆうそう)久(きゅう)さんはよく逆立ちをする。「元気になるには言語機能を休ませないとだめです。生命体の本質は変化。固定化、つまり言語化できない状態にしなければ……(逆立ちで)あれこれ考えると倒れますから」

 英国放送協会(BBC)に管理強化などの改革の波が寄せている。グレイド経営委員長は「BBCがBBCと認められるために譲れぬ一線がある。BBCの核心は公共の利益であり、政治的、商業的影響から完全に独立しているべきだという一線だ」

 86年刊の『ミカドの肖像』で、西武グループが旧皇族の土地を次々に買収する様を描いた作家?猪瀬直樹さん。「鬼の亡霊に衝(つ)き動かされた歪(ゆが)んだビジネスはいずれ破綻(はたん)が待っている、その思いが筆を走らせた」

 長野でスペシャルオリンピックス開幕。他人との意思疎通が苦手な選手たちの心のケアを5頭の犬が担う。「吃音(きつおん)に苦しんだ子供のころ、飼い犬に救われました。犬は人間を差別しません」と国際セラピードッグ協会代表の大木トオルさん。

 寝台特急「あさかぜ」と「さくら」が終着へ。ブルートレイン乗車歴20年のJR西日本車掌?尾田勝志さん。「よくがんばった、お疲れさんって言って、さすってあげたいね」

 公園の一角に、梅の木が十数本植えられている。品種が様々なのか、開花の時期がまちまちだ。桜の方は、町中で見るかぎりは時をおかずに咲きそろう。それが本格的な春の到来と重なって華やかさを生み、同時に、その終わりを惜しむ思いを誘うのだが。

 もう十日近く前に花が開いた白梅の隣の1本は、まだつぼみが堅い。一方で、白と紅の2本が重なり合うように咲いている。少し離れてながめると、紅白の無数のあられをパッと宙に散らしたようだ。

 黒っぽいよじれた幹から下方に伸びている枝の先の花に近づく。いつもなら、そこまでは見ることのない花の中をのぞき込みながら「梅の雄蘂(おしべ)」という短編を思い起こす。

 「彼等は一本一本が白金の弓のやうに身を反つてゐた。小さい花粉の頭を雌蘂に向つて振り上げてゐた……彼は花をかざして青空を見た。雄蘂の弓が新月のやうに青空へ矢を放つた」(『川端康成全集』新潮社)。

 青い空の方を見上げると、高い小枝の先に鳥が1羽とまっていた。体はスズメぐらいで、花の中に小さなくちばしをしきりに突っ込んでいる。中では、身を弓のように反らした雄蘂が小刻みに震えているのだろう。鳥の体の一部は緑がかっているが、ウグイスではないようだ。

 改めて十数本の梅をながめやる。咲いているもの、つぼみのままのものが、寒さの残る中で、静かに、それぞれの時を刻んでいる。落ち着いた雰囲気が漂う。それは、咲きそろわずに、ゆったりとした継走のようにして花を付けてゆく姿から醸し出されているようだった。

 本名は、赤羽丑之助である。とはいっても、小説の主人公なのである。獅子文六は、東京?兜町を舞台に、「ギューちゃん」こと丑之助が活躍する『大番』を書いた。加東大介の主演で映画にもなった。

 株や相場での金言が出てくる。「もうは、まだなり。まだは、もうなり」。売り時、買い時の難しさのことだろう。こんなのもある。「人の行く裏に道あり花の山」

 生き馬の目を抜くとも言われてきた株の世界で、ニッポン放送株を巡って激しい攻防が続いている。時間外取引という策で株を手にしたライブドアに対し、ニッポン放送?フジテレビ側は、株を倍増させてライブドアを振り切ろうとする策に出た。新しい大量の株で相手の株を一気に薄める作戦のようだ。

 昨日の市場では、3社の株は共に下がった。「生き物」とも「化け物」ともいわれるこの世界だ。今後の展開は分からないが、メディアの行方にかかわることでもあり、気にかかる。

 米国の伝説的な相場師で、1929年の金融大恐慌を予言したともいうギャンは、取引に際して、旧約聖書の「伝道の書」の一節を念頭に置いていた。「かつてあったことは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。太陽の下、新しいものは何ひとつない」(『W?D?ギャン著作集』日本経済新聞社)。

 インターネット対ラジオ?テレビという構図のせいか、今回の攻防は、これまでになかったもののように見える。しかし「花の山」を巡る争いと見るならば、何ひとつ新しいものはないのかも知れない。

 子育てに悩みのない親は、まずいないだろう。古今東西、この難問に絡んだ寓話(ぐうわ)や警句は多い。

 子は「親の鏡」、あるいは「親の背を見て育つ」ともいう。イソップには、真っすぐに歩くお手本を見せようとして、横歩きしてしまう親ガニの話がある。ゴーゴリは「自分のつらが曲がっているのに、鏡を責めてなんになる」と書いた。「子どもは眠っているときが一番美しい」と、キルケゴールは記している。

 皇太子さまの会見で引用されていたスウェーデンの教科書の中の詩「子ども」は、皮肉な警句のたぐいとは全く違ったものだった。子どもとの真摯(しんし)な向き合い方を、詩的な響きに乗せて、直截(ちょくせつ)に述べている。

 「笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる/皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる/しかし、激励をうけた子どもは 自信をおぼえる……友情を知る子どもは 親切をおぼえる/安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる」。皇太子家もまた、一組の親子として、子育てに真摯に向き合いたいとの思いが込められていると推測した。

 先日、女性天皇を認めるかどうかなどを検討する「皇室典範に関する有識者会議」が発足した。議論の必要はあるのだろう。将来の国の姿にもかかわるのだから慎重に考えを巡らせてもらいたいと思う。そして同時に、あのいたいけな幼子の姿が思い浮かんでくる。結論によっては、その人の将来が左右されうるという厳しさに粛然とする。

 この議論は重いが、ひとりの人生もまた、限りなく重い。

 おなじみのチョコレート菓子キットカットは1935年、英ヨークシャーの生まれである。第二次大戦中、チャーチル政権が「廉価で体によい」「ひとかじりで2時間行軍できる」と推奨し、国民的なおやつになった。

 サッチャー政権下の80年代、その発売元をスイス企業ネスレが力ずくで買収する。「英国の味を守れ」と反対するデモが起き、チョコ戦争と呼ばれた。肥満対策を掲げるブレア政権は、もうチョコを食べるよう国民に薦めたりはしない。

 そんなキットカットが今月、本場で久しぶりに話題を呼んでいる。英紙やBBCが相次いで「わが国伝統のチョコが日本で受験生のお守りとして大人気」と報じたからだ。「かつて日本の受験生は縁起をかついでカツ丼を食べたものだが、キットカットがそれに取って代わった」。若干、大げさではある。

 ネスレジャパンは、受験生に好評なのはだじゃれのおかげと言う。何年か前、九州の受験生が「キットカットできっと勝つとお」と言い始めた。ネットに乗ってたちまち全国区の流行になった。

 ここ一番の試験でお守りにすがるのは、日本の受験生だけではない。米国ではうさぎの足、インドでは象の顔をした神、トルコでは青い目玉の魔よけが有名だ。どれも土俗的な信仰や伝承を感じさせる。

 これらに比べると、日本で流行している受験のお守りは世俗的である。キットカットのほかに、カールを食べて試験に受かーる。キシリトールガムできっちり通る。伊予柑(いよかん)食べればいい予感。本番前の食べすぎにはくれぐれもご用心を。

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