Archive for 8月, 2005

 暑い時分には、塩味はやや濃いめで、酸味も強めが望ましい。これは勝手な好みでしかないが、料理に味の加減はつきものだ。足す引くだけではなく、割ったり掛けたりもする四則演算の舞台である。

 料理をすると「脳」が鍛えられる、という記事が本紙に載っていた。料理を習慣づけると、前頭部の血流が良くなり、判断したり計画を立てたりする脳の機能が上向くそうだ。材料を、加減乗除で思い通りの姿と味に仕上げる。難しい課題に挑むことに通じる気はする。

 帝国ホテルの総料理長として活躍し、84歳で亡くなった村上信夫さんは「料理は腕で作るのではなく、頭で作るもの」と書いている(『村上信夫のフランス料理』中央公論社)。波乱に富んだ人生を思えば、「頭で」の意味合いは、そう単純ではなさそうだ。

 東京?神田の大衆西洋料理屋に生まれたが、両親を早くに亡くした。小学校に通えたのは6年生の2学期までで、3学期からは洋食屋で働き、仕事の合間に登校した。卒業はしたが出席日数が足りず、ひとりだけ卒業証書をもらえなかった。

 67歳の時、NHKの番組で、母校の小学校の子供たちにカレーづくりのコツを教えた。お礼にと校長先生がくれた卒業証書に、「昭和九年三月二十四日」と書き込んだ。「卒業証書をもらえない卒業式の日付を私は半世紀あまりも忘れたことがなかった」(『週刊朝日』)。

 フライパンのような丸顔と笑顔が魅力的だった。その風貌(ふうぼう)のようにふくよかな味の世界には、ちょっとしょっぱい人生の味加減が利いていたようだ。

 昨日の朝6時ごろ、出張先の宿で目が覚めた。朝刊を手にテレビをつけると、飛行機が燃えている。カナダの空港に着陸した直後のエールフランス機だという。垂直尾翼が地面近くから突き出ている。胴体は壊れたのか、ほとんど見えない。黒煙が上がる。

 大惨事かと思ったが、幸い、そうではなかった。300余人全員脱出、死者なし、けが人は軽傷、などと続報が流れた。滑走路からオーバーランし、衝突、炎上で結果がこれなら、よほど幸運が重なったのだろう。カナダの運輸相は「奇跡としか言いようがない」と述べたという。

 「奇跡」は、なぜ起きたのか。想像するのは、全員が脱出し終わるか、それに近いころまで炎が広がっていなかったということだ。

 迅速な動きと冷静さが、結果を決める。乗員の的確な指示と乗客の敏速な対応、協力が欠かせない。詳しいことは不明だが、人の動きと、出火の時期や火勢、くぼ地に突っ込んだ時の速度などの要因が掛け合わされて「奇跡」がもたらされたような気がした。

 帰京する新幹線で、猛スピードで後ろに飛んでゆく車窓の景色を見つつ思った。新幹線の速度は、ジャンボ機が滑走路に着陸する時の速度に近い。もし翼があれば飛びそうな速度で、これだけ大量の輸送を重ねながら、長年事故がない。これも、一つの「奇跡」とは言えないだろうか。

 安全確保のために昼夜を分かたず励む、数多くの人たちがいる。天災など、人知を超える事態もいつかは起こり得るが、この「奇跡」は、いつまでも続いてほしいと思った。

 ふるさとへ、あるいは海へ山へ、多くの人が旅をする季節である。しかし、車で移動する人たちは、今年は複雑な思いを抱いているのではないか。日本をつなぐ幹線道路を造ってきた日本道路公団が、公団ぐるみで「官製談合」に関与していた疑いが濃くなっている。

 もう一つの「談合」も浮上した。公団と国土交通省が、公団民営化推進委員会の懇談会への、幹部の出席を見送ったという。「事件が捜査中で委員の質問に答えられない」「談合対策で多忙」などと弁明しているようだが、両者間に「欠席談合」があった気配が感じられる。

 本来、推進委員会は、道路をめぐる構造的な問題を、広く深く検討する場のはずである。そこに背を向けるような姿勢をとるのでは、両者に日本の道路の将来を託すことはできない、との思いが強まる。

 公団が約20年前に刊行した『日本道路公団三十年史』に、終戦直後の道路の状況が記されている。「(昭和)20年度末における我が国の道路総延長は89万9000kmで、このうち舗装されていたのはわずか1?2%である」。戦後しばらくは、どろんこの道も多かった。

 昭和21年、民俗学者で歌人の折口信夫が「日本の道路」と題した一文を書いている。「まつ直な道、うねつた道、つゞらをり、光る道、曇る畷道、さうした道の遠望に、幾度魂を誘はれたことか」(『折口信夫全集』中央公論社)。

 人に寄り添っていたはずの道が、国や公団、業界のものになってはなるまい。戦後60年、この国の道を本来の姿につくりかえる時である。

 プルートー(Pluto)は、ローマ神話の黄泉(よみ)の国の神である。そんな名前をつけられた星を、日本では冥王星と呼んでいる。75年前に発見され、太陽系の最も外側を回る第9惑星とされるが、本当に惑星と言えるかどうかで論争があるという。

 星にとってはどちらでもいいことかも知れないが、今度は「第10惑星が見つかった」と、米航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所が発表した。第3惑星?地球に居る身からは、この太陽系が何人きょうだいなのか、いささか気になる。

 この星の存在は、2年前に米?パロマー天文台の望遠鏡で確認された。遠すぎて正体不明だったが、軌道を調べ直して太陽を周回していることがわかった。

 確かに遠い星だ。太陽までの距離が、遠い所では、地球から太陽までの距離の100倍近い。公転の周期が約560年というから、この星が、今いる位置に前回いたのは、地球ではあのレオナルド?ダビンチが生まれる少し前ごろになる。惑星と認めるかどうかは国際天文学連合で決めるそうだ。

 惑星の「惑」は天空で惑うかのように位置を変えるからという説がある。その惑いの妙が、古来、人を引きつけてきた。〈金星は下潜(くぐ)りつつ月の上に土星は明し光りつつ入る〉。1933年に起こった、金星と土星が続けて月の裏側に入る珍しい現象を見て、北原白秋が詠んだ。〈母と子ら佇(た)ちてながむる西の方(かた)月も二つの星を抱きぬ〉。

 冥王星や「新惑星」の惑いは、肉眼ではとうてい見えないが、静かに宇宙の闇を行く姿への想像を誘う。

 秀吉の軍勢が小田原城に迫る。当主の北条氏直は重臣を城に集め、対策を練る。講和か合戦か、籠城(ろうじょう)か出撃か。氏直が優柔不断なのだろう、いずれとも結論が出ないまま時が流れる。3カ月余り攻囲された末、あえなく秀吉軍に屈した。今から400余年前、夏の盛りのことだ。

 この史話から生まれた言葉が、おなじみ小田原評定である。城内の軍議のだらだらぶりが江戸期に川柳などで誇張され、一向にまとまらないダメな会議の代名詞となった。

 ダメ会議は決して滅びない。いまでも書店には、会議の効率化を説く本が山と積まれている。『すごい会議』『会議革命』『伸びる会社は会議がうまい!』。逆に『会議はモメたほうがいい』と旧来型の良さを挙げる新刊もあるからややこしい。

 「東京に赴任したら、社内の会議がどれも1時間刻みで設定されていることに驚いた」。米国の保険大手幹部にそう言われたことがある。せっかく早めに案件が片づいたのに「あと14分あるのでしばし御懇談を」と司会が促す。まるで理解できなかったという。たとえば米社インテルの場合、会議は原則30分刻みで、1時間たつと照明が自動的に消える会議室もある。

 ふり返れば、日本流の会議がもてはやされた時期もあった。「経営陣と現場の社員が悩みを共有できる会議」と喧伝(けんでん)され、海外から視察が来た。バブルの時代の話だが、今となっては幻のようだ。

 今日から8月、真夏の会議は手際よく進めたい。1時間たつと冷房が切れてしまう会議室でもあれば、議事も多少はひきしまるだろうか。

 のんびりと、牛が草をはむ。おいしそうに食べているのは、クズ、シロザなどふつうは雑草と呼ばれる草木だ。伸び放題の黄色いセイタカアワダチソウも平らげる。

 草刈り用に牛を貸し出す。その名も「レンタカウ制度」。瀬戸内海に面する山口県柳井市で、ことしもやっている。人影の少ない、山あいの休耕田に、4頭の黒毛和牛を放っている。

 牛を借りるのは、年老いて農作業がつらくなった農家が多い。周りの田んぼの稲が青々と育つなか、草だらけにしていては害虫がわく。迷惑をかけまいとして、草刈りをシルバー人材センターに頼むと、金がかさむ。炎天下での作業は、請け負う人もきつい。

 ならば、牛に食べさせたらどうだろう。4年前に、市長の河内山哲朗さん(47)が言い出した。農地が減り続け、畜産も振るわない。ため息が重なる農業関係の集いでのことだ。牛を使えば、人件費も、えさ代も浮く。借り手も貸手も都合がいい。さっそく農協が事業化した。今夏は7軒の農家が利用する。

 手間もかからない。放牧地の周囲に2本の電線を張る。そこに太陽電池で電気を流すと、さくになる。持ち運びも取り外しも簡単だ。市の試算では、5千平方メートルの草刈りを人間がやれば、2人で2日かかる。運搬処理費も含めて5万円なり。牛なら、2頭がそこに寝泊まりして約50日で食べ尽くす。機材費込みで2万4千円ほど。

 牛はもぐもぐと黙々と働く。こんなのどかな光景が全国の休耕地に広がったら気持ちよかろう。そう思った瞬間、きょとんとした眼の牛と目が合った。

 今年も、暑さが極みに達する時節となった。いつも、今時分に取り出して眺める絵がある。江戸狩野派系の画家、久隅守景(くすみもりかげ)の「納涼図屏風(びょうぶ)」だ。本物は国宝で、東京?上野の東京国立博物館の蔵にあるが、古い雑誌から切り取った手元の絵からでも、涼味の一端は伝わってくる。

 つるを伸ばした夕顔をはわせた棚が、横に長く描かれている。棚の下には、地べたに敷いたござのような敷物でくつろぐ親子3人の姿がある。一日の仕事が終わったころなのだろう。夫は肌着をまとい、腹ばいになってほおづえをついている。そばに腰巻き姿の妻が座り、ふたりの間から童子の顔がのぞいている。

 画面の上半分に空が広がり、左手には、おぼろな月が浮かんでいる。親子の顔の向きはほぼ同じで、一緒に月を眺めているようにも見える。天と地と人が、とけあっているかのようだ。

 質素とも粗末とも言える暮らし向きだが、飾りもののない簡素な図が、涼やかさを運んでくる。現代の暮らしは、人工的な物に密に取り囲まれているから、素朴でのびやかな空間に心引かれるのだろうか。都会では、日差しをさえぎる夕顔の棚をつくれるような庭などは、かなりぜいたくな部類だろう。

 近年、打ち水で少しでも都会の熱をさまそうという運動が広がっている。夕顔の棚はなくとも、風呂の残り湯などで水を打てば、街を冷やす効果とは別に、心にも涼しさをもたらすかも知れない。

 国宝の夕顔棚の納涼図屏風は、8月2日から9月11日まで、東京国立博物館の平常展で一般に公開されるという。

 最近の言葉から。「恥ずかしながら……と帰国した夫は、28年間もあきらめずに生き抜いた。ここでくじけたら、夫に恥ずかしい」。横井庄一さんは、終戦を知らずにグアム島の密林で28年を過ごして生還、97年に82歳で他界した。妻?美保子さんが、名古屋市内の自宅にグアムの洞穴を模型で再現するなどして記念館にしようと奔走している。

 戦後60年の原爆の日が近い。被爆者への本社のアンケートでは、被爆体験を今も日常生活の中で思い出すという人が約8割にのぼった。「雷が鳴ると動悸(どうき)がひどく、動くことも自動車の運転ももってのほか」「真っ暗な所に入ったとき、何かが迫ってくる気がする」「焼け跡のにおいが鼻に残り、焼き魚が嫌いになった」

 沖縄県金武(きん)町で米軍が強行した実弾射撃訓練に抗議する県民集会が開かれた。「これほどにウチナーンチュ(沖縄人)、我々がなめられていいんですか」と儀武剛町長。

 「私は大丈夫」。そう言っていたという日本道路公団の内田道雄副総裁が、談合事件で逮捕された。副総裁に任命した近藤剛総裁が記者会見で述べた。「誠に人を見る目がなかったということかもしれない」

 妊娠してから結婚する「できちゃった婚」の新しい呼び名が、ブライダル業界などで広まっているという。「おめでた婚」「授かり婚」「ダブルハッピーウエディング」「ママリッジ」

 名古屋場所は混戦となったが、最後は、朝青龍が憎らしいほどの強さを見せつけて優勝、5連覇を達成した。「6連覇、いきたいね。もっと強くなりたい」

  去年冬天就开始说的走三环活动,改成二环以后终于在8月6日成行了。我猜想这以前每一个成员都不曾怀疑过自己能否走完三环。而今天,大家的信心也还在吧:)只是我们有了更清醒的认识,不再会骄傲轻敌了。


  周三周四决心排除万难,本周日必须实施暴走计划。得到T的响应和HL的跟从。响应者信心满满、兴味甚浓;跟从者冷笑加忧心,完全不信我能走下来。周五晚临时得知HL周日开会,便匆匆将计划提前。于是,一些人深夜收到次日早起走路的通知。


 スペースシャトル?コロンビアの打ち上げをケネディ宇宙センターで見たのは、81年の秋だった。

 天に向かうロケットの噴射口の下に、白金のきらめきを強烈にしたような巨大な光の玉が見えた。やがて、空気を大きく揺るがす衝撃波が記者席に届き、体が小刻みに震えたのを覚えている。

 打ち上げを見守る現場には、緊張感とともに、厳粛な雰囲気が感じられた。悠久の時の流れの中で、地球は宇宙の力学によって定められた軌道を巡っている。その地球に張り付いて同じ軌道を巡る人類が、地球を飛び出して独自の軌道を描こうと試みる命がけの現場だった。そしてその挑戦は、時には悲惨な結果をもたらした。

 コロンビアの空中分解事故から約2年半、日本人の宇宙飛行士?野口聡一さんたちを乗せたディスカバリーが打ち上げられた。野口さんは述べている。「危険性はあるが、宇宙から得られる利益や、若い世代への知的な刺激のため、挑戦する価値がある」

 初の日本産ロケット「ペンシルロケット」の発射実験から50年になる。素朴な仕組みは、巨大で複雑なものになった。人間のなすことでは、失敗の可能性を完全には消し去れない。しかし今は、野口さんたちが任務を果たし、宇宙を存分に味わって帰還することを念じたい。

 アポロ計画で月に行った宇宙飛行士のひとりが、後年述べた。「宇宙にはすべてを超えた『力』がある。始まりも、終わりもない。ただ、すばらしい世界をつくった『意志』があるだけなんだ」。野口さんたちもまた、宇宙の力を感じただろうか。