Archive for 10月, 2005

 第二次大戦後の占領期に実施された検閲には不可解な例がいくつもあった。「東北で疫病の恐れ」といった記事が削られる。馬追い祭りの写真も掲載できない。武者姿が復古的と見なされたようだが、恣意(しい)的である。新聞人は敗戦の悲哀をかみしめた。

 新聞の事前検閲が本格化したのは60年前の10月だった。各紙が連合国軍総司令部(GHQ)に日々大量の原稿を持参し、掲載可か否か保留か判定を待った。新聞統制に腕をふるったのは元記者でGHQ情報課長のドン?ブラウン氏である。検閲行政を進めたほか、印刷用紙の割り当ても差配した。

 ブラウン氏の足跡を紹介する企画展が30日まで横浜開港資料館で開かれている。彼が戦時中に手がけた対日宣伝ビラは巧妙だ。すし盛りのカラー写真や天皇の詠歌を載せ、日本兵を投降に誘う。占領終結後も日本にとどまり、80年に病没した。

 ブラウン氏が米国で生まれた1905年、日本は対露戦争のさなかで軍部が検閲に力を入れていた。元TBS記者竹山恭二氏の『報道電報検閲秘史』(朝日選書)を読むと、特報の数々が軍や警察でなく、地方の郵便局で気まぐれに没とされ、削られていたことがわかる。

 当時の報道合戦は電報頼みだった。「○○少佐昨夜旅順ヘ出発ス」。陸軍の拠点だった香川?丸亀の郵便局から記者たちが本社へ送った大量の電報の行方を竹山氏は克明に調べた。歴史に埋もれた電報検閲に光をあて、今年の日本エッセイスト?クラブ賞に輝いた。

 新聞に対する検閲は、明治の初めから占領期まで約80年間続いた。

 企業恐喝事件を起こした大阪市の政治団体の事務所から、電話のかけ方のマニュアルが押収された。右翼活動に見せかけて金を脅し取るためのテクニックの一端も示されていた。

 どんな世界にも手引書があるものだと思いつつ、先ごろ手にした一枚の紙を読み直してみた。「背筋を伸ばし、アゴを引いて、まっすぐに相手の眼を見る」「常に笑顔で、丁寧な言葉遣いで、かつ『低姿勢』で」「語尾をのばしたり、あいまいに発音しない」「絶対にむきにならず、不機嫌な表情は見せない」

 アルバイト店員用みたいだが違う。これが自民党が総選挙で初当選した83人の新人衆院議員に配った「マスコミ取材への心構えについて」だ。「オフレコはありえない(口から出た言葉はすべてニュースになる)」とも書いてある。新聞記事にされた途端に発言を撤回した先輩よりも、「記憶にない」を多用するベテランを見習えと読めなくもない。

 マニュアルの話題なら、外務省にもある。新党大地代表で衆院議員に返り咲いた鈴木宗男氏のためだけに用意された。過去の「不適切な関係」に気を使って内々に作った。会食は当面は辞退する。説明要求には応じるが、強い意見表明があった場合は、官房総務課に相談するなどとある。

 いかにもマニュアル万能時代らしい。このぶんだと「小泉学校」の新人議員用には「料亭の流儀」から始まり、いずれは「大臣になるためのマニュアル」も作られるのだろうか。

 でも、彼らがいま最も読みたいのは「次の選挙を生き残るためのマニュアル」だったりして。

 今年のノーベル経済学賞には「ゲーム理論の応用」という業績で、二人の学者が選ばれた。時おり耳にする理論だが、なじみがあるとはいえない。

 ゲーム理論の説明には、よく「囚人のジレンマ」が持ち出される。竹田茂夫著『ゲーム理論を読みとく』(ちくま新書)にはこうある。警察が、窃盗の共犯と思われる容疑者を二人捕らえた。物証は乏しい。

 刑事は、二人を隔離してそれぞれに告げる。「相棒が黙秘している。もしおまえが自白すれば無罪放免にしてやる。逆に、おまえが黙秘して相棒が自白すれば、おまえの罪はもっと重くなるぞ」。「ゲーム理論の普通の説明によれば、囚人はそれぞれ相棒が裏切るのではないかという疑心暗鬼に陥って、自己防衛のために自白してしまう」と竹田さん。

 今回受賞したイスラエル?ヘブライ大のロバート?オーマン教授が記す。「ゲームの理論とは、利害の一致しない人々の合理的行動に関する理論である。その適用範囲は、通常の意味でのゲームをはるかに越え、たとえば、経済学、政治学、そして戦争などもそこに含まれる」(『ゲーム論の基礎』勁草書房)。

 もう一人の受賞者、トーマス?シェリング米メリーランド大教授は冷戦中にはゲーム理論を安保?軍拡問題に応用した。戦略研究の古典だという。

 戦略や戦略的思考といった言葉が人をひきつける力をもっているのを、竹田さんも認める。しかし、そのプラスのイメージだけに目を向けることには批判的だ。確かに国にも企業にも戦略は必要だが、戦略だらけでも息苦しい。

 大きな家の一室を借りて、初老の夫婦が住んでいる。妻ローズは部屋が気に入っている。ある日、貸間を探しにやってきた若いサンズ夫妻が戸口に立つ。

 「サンズ氏 地下室の男は一つあいてるって言ったがな。一部屋だけ。七号室だそうです。  (間)      ローズ それはこの部屋です」。現に自分たちが住んでいる部屋が、なぜ「空き部屋」と伝わるのか——。今年のノーベル文学賞に決まった英国の劇作家ハロルド?ピンター氏の代表作の一つ「部屋」の一節だ(『ハロルド?ピンター全集』新潮社)。

 確かなものだったはずの自分たちの部屋や、かつての記憶が揺らぐようなことが重ねて起こる。(間)と示される沈黙は、現実を突き崩されてたじろぐ人の象徴とも見える。

 ピンター氏は、今回の受賞を感謝し率直に喜んでいるという。そして記者 たちに語った。「よほど気をつけていないと、世界はダメになってしまう」「これからも政治的な問題にかかわり続けていきます」

 北大西洋条約機構軍が旧ユーゴスラビアを空爆したころに述べている。「今こそ、政府によって繰り返される(戦争についての)歪曲(わいきょく)、誤った情報の正体が暴露されるべき時だ」。芸術家は真実を守り、世界の権力が何をしているのかを明らかにすべきだとの姿勢を示した。

 「部屋」に限らず、作品には「場所」を巡っての人模様が多い。「場所」とは、人にとって欠かせないものであり、それは実にもろいものでもある。戦争にあらがう言葉の向こうに、そんな思いを想像した。

 ドイツの「今年の言葉」に「赤?緑」が選ばれたのは98年だった。9月の総選挙で、社会民主党と90年連合?緑の党との連立政権が生まれた。両党のシンボルカラーから「ロート?グリュン(赤?緑)」と呼ばれた。

 それ以来続いてきた「赤?緑」の連立から「赤?黒」の連立へと、ドイツの政権が移った。黒は、これまで保守系野党だったキリスト教民主?社会同盟のシンボルカラーだ。メルケル党首がシュレーダー氏に代わって首相になることで、「赤」と「黒」は合意した。初の女性首相が誕生する運びだという。

 メルケル氏の51年の生が、分断から統一へのドイツの変遷と重なっていることが印象的だ。冷戦下の54年に旧西独のハンブルクで生まれたが、間もなく旧東独へ移住する。ライプチヒ大学で物理学を学んだが、89年にベルリンの壁が崩壊したころ、政治家に転身した。

 コール前首相に見いだされて閣僚となり、「コールの娘」とやゆされた。強気の姿勢は、サッチャー英元首相になぞらえて「ドイツ版?鉄の女」とも言われた。しかし壁の崩壊から16年後、国民は結果としてだが東独育ちの彼女を国を率いる立場へと押し上げた。

 03年のドイツの「今年の言葉」は「古い欧州」だった。ラムズフェルド米国防長官が、イラク戦争に批判的な独仏を非難して使った。長官にこの言葉をはかせたのが「赤?緑」の連立だった。

 「赤?黒」による国のカジ取りが始まるが、両党の「色合い」の違いもあって、不協和音も予想される。ドイツの新しい航海に注目したい。

 三蔵法師の名で知られる中国唐代の僧?玄奘が、その長大な旅行記『大唐西域記』に記している。「迦湿弥羅(カシミール)国は周囲七千余里ある。四方は山を背負っており、その山は極めて険しい」(東洋文庫?水谷真成訳注)。

 パキスタンの北部で起きた大地震は、日がたつにつれて犠牲者の数が大きく増えている。カシミール地方などの山岳地帯に被害が集中しており、ムシャラフ大統領は各国に援助を要請した。

 日本の援助隊も活動を始めた。隣国のアフガニスタンに駐留する米軍が輸送ヘリを派遣し、英、仏、オランダ、トルコからも援助隊が向かったという。

 国連の人道問題調整事務所(OCHA)が各国の調整にあたる。救助に向かう動きは、まずは滑らかなようだ。しかし険しい山岳地帯ということもあって、がれきの下に人がいるのが分かっていながら救助の手が届かないところがあるという。救助は時間との勝負だ。平時から、各国が効率よく手分けして一刻も早く現場で活動が始められるような仕組みと備えが必要なのではないか。

 玄奘は「気候は寒さ勁(きび)しく雪多く風は少ない」とも書いた。きびしいのは、間近に迫る寒さだけではない。カシミールは、パキスタンとインドの領有権争いという厳しい歴史も背負っている。インド側でも、ジャム?カシミール州を中心に多くの死者と家屋倒壊の被害が出たという。

 崩れた建物の壁とたたかう被災者に、国と国との争いという壁まで負わせてはなるまい。両国政府は、互いの国境と歴史を超え、手を携えて命を救ってほしい。

  离最后执行的日子还有一个月。


  尽管一直觉得100天用来准备是满够的,但其实至今也谈不上准备了什么。只是把房间里多余的东西扔了;只是再次深刻地认识到自己真的是个无情又肮脏,根本没有生存资格的人。


  明天要去书店买那附近的地图。


  还有30天。

  地点基本定了。虽然通过网络地图只能知道个大概,但从某种程度上说,已经可以确定了。还需要更详细的地图。我必须死在远离滑雪场、烧烤场的地方,因为我并不愿意太快被发现。如果可以的话,我甚至希望不被任何人发现,静静地消失。


  还有31天。

  本来明天该去复诊,可我再也没脸去了。我不想见医生、也不可能见得到医生了。打扫垃圾箱的时候,她就会发现里面的东西没了,一定会觉得不可思议,继而察觉我的行为……


  其实不是那么回事,都怪我自己。是我为了拿安眠药欺骗了医生;是我为了满足私欲玷污了医生;是我。


  我决定,明天开始筹备上吊用的绳子和登山用具。


  还有32天。


 星にちなむ全国アンケートで、好きな天体の第1位に「すばる(プレアデス星団)」が選ばれたことがある。昔から日本人にはなじみが深く、清少納言も「星は すばる。ひこぼし。ゆふづつ」と「枕草子」でうたっている。

 おうし座にあり、六つの星が見えることから六連星(むつらぼし)ともよばれた。この六つの星をデザインしたマークが「スバル車」をつくる富士重工業の商標だ。そのスバル車の先行きが気になる動きがあった。

 トヨタ自動車が富士重工と業務提携し、これまでの提携先の米ゼネラル?モーターズ(GM)が持っていた株の一部を買って筆頭株主になる。国際的な再編を繰り返してきた業界だが、今回は日米関係を映しているような面がある。

 業績がめざましいトヨタは、米国での販売価格の値上げを発表している。トヨタは否定しているが、値上げも今回の動きも 、経営不振に苦しむGMへの支援とみられている。

 19世紀に欧州で生まれた自動車は20世紀に米国で巨大な産業となった。戦後もGMなどのビッグスリーの時代が続いたが、やがて、トヨタなどの日本車が米国の多くの消費者の支持を得るようになった。その流れは激しく、米国のメーカーは窮地に追い込まれている。

 58年に発売された「スバル360」は、丸くて小さい形から「てんとう虫」とも呼ばれた。富士重工の前身の中島飛行機の技術が凝縮されていた。小さくともきらりと輝く。そんな願いと誇りとが感じられた。そのスバルのマークが、今は、国と国のきしみの緩衝材に使われているように見える。