Archive for 12月, 2005

 0歳から100余歳まで、1年ごとの年齢のもつ意味合いを、各界の著名人がその年でしたことと並べてつづる。英国の動物行動学者デズモンド?モリスの『年齢の本』(平凡社)は、ユニークな視点で描かれた一冊だ。

 「15歳は門出の年だ。青年期の若者が成人期にまさに入ろうとする時期であり、刺激的な世界に胸をときめかす」。ビリー?ホリデイがニューヨークで歌い始めた年とある。日本なら、プロ棋士?羽生善治の誕生を挙げるところか。

 モリスは、日本を含む多くの国々が、この年齢を義務教育の修了年限にしていることにも触れている。日本の場合は、進学や就職といった試練に直面するこの年を「15の春」と形容してきた。

 この人の「15の春」はどうなるのか。フィギュアスケートのグランプリファイナルで優勝した浅田真央さんの見事な演技の映像を見ていて、そんなことを思った。

 今年の7月1日の前日までに15歳に達しているのが、トリノ五輪の出場資格の規定だった。浅田さんが15歳になったのは9月だった。この年齢制限の規定は一貫しておらず、その時々で変わってきた。

 年端も行かない小学生のような幼子に、才能があるからといって練習や演技を強要しているのなら、より強い規制も必要だろう。しかし今回は「門出の年」に達した人の出場資格だ。伸び盛りの若い人には、独特の胸のすくような勢いがある。重力のくびきを離れる瞬間の姿が五輪で見られないのは残念だ。今の線引きの仕方がくびきになっていないかどうか、再考する価値はある。

 「今年はケヤキが不気味な枯れ方をしています」と東京近郊の読者からお便りをいただいた。「葉が縮れたまま散らない」とある。家のそばのケヤキ並木を観察してみた。くすんだ茶色の葉が枝先で絡まり合い、素人目にも様子がおかしい。

 ケヤキの巨樹がある立川市の国営昭和記念公園を訪ねた。樹木医の川原淳さんによると、専門家の間でも話題になり始めたところだという。異変に気づいたのは春先で、花が例年になく多く咲いた。夏には緑の葉が茶色に変わり、秋には縮み出した。「病気ですか」と心配する来園者もいた。

 関東地方だけではない。京都府立植物園でも今年はケヤキの葉がよじれ、枯れが目立った。名古屋市の東山植物園では、カエデやモミジは例年通りだったのに、ケヤキだけ十分に色づかないまま秋を終えた。山陰や九州でも同様の例が見られた。

 「ケヤキの葉が枯れたまま落ちない現象は十数年前からあるが、今年は特にひどい」。植物の生態に詳しい国立科学博物館の萩原信介さんは話す。病虫害ではないようだが、葉と枝を切り離す離層という部位が十分に育たず、北風に吹かれても古い葉が枝から落ちない。

 ケヤキは古名を槻(ツキ)と言う。万葉集にも歌われ、戦国時代にはお城の造営に使われた。現代では公園や街路でおなじみで、「けやき通り」や「けやき平」はあちこちにある。

 地球温暖化のせいかどうか原因はまだ不明だ。米国の思惑もあって人類共通の温暖化対策がうまく進まない。しびれを切らしたケヤキが身を挺(てい)して何か警告しているのだろうか。

 毎年クリスマスが近づくころに読み返したくなる本がある。ドイツの作家ケストナーの『飛ぶ教室』だ。寄宿学校を舞台に一群の生徒たちと、彼らを取り巻く人々との交流の物語である。

 主人公の一人は、貧しい給費生のマルチン。冬の休暇直前に故郷から手紙が届いた。父親が失職し、旅費が工面できないという。他の生徒が帰省する中、学校に居残る彼を舎監のベク先生が見つけた。「どうしたわけなのだ」「いいたくありません」

 泣き崩れるマルチンに先生は20マルクを渡す。「クリスマスの前日に贈る旅費は返すにはおよばない。そのほうが気もちがいいよ」(高橋健二訳)。その晩遅く、息子の帰還に驚く両親にマルチンがまっ先に言ったのは、「帰りの汽車賃もぼく持ってるよ」だった。

 何度読んでも、ここで目頭が熱くなる。本が書かれた1933年は、ヒトラーが政権を取った年だ。世界が不況に沈み、多くの人にとって、貧困や失業は生々しい問題だった。

 今からみれば、主人公の抱える友情やライバル関係の悩みは甘っちょろいかもしれない。最近ドイツで映画化された「飛ぶ教室」では、学校への不適応や両親の離婚など現代の状況を織り込み、大胆に改作していた。

 しかし、原作の伝えるメッセージに変わりはない。ケストナーは言う。「どうして大人は子どものころを忘れることができるのでしょう。子どもの涙は、決して大人の涙より小さいものではありません」。子どもを暴力や欲望の対象としか見ない悲劇が続く年の終わりに、改めてこの名作を読もうと思う。

 アドリア海に注ぐイタリアのルビコン川は、古代ローマ時代にカエサルが「賽(さい)は投げられた」と言って渡った故事で知られる。河口近くの町で見たルビコン川は、幅十数メートルの小さな流れだった。

 橋のたもとにカエサルの像が立っている。渡れば元老院に背くことになるその一線を、彼は越えた。川は小さかったかもしれないが、歴史への刻印は大きかった。

 耐震強度を偽装した姉歯秀次元建築士が、一線を越えて法に背いたのは、1998年ごろだったという。昨日、国会の証人喚問で証言した。鉄筋を減らすのはこれ以上は無理だと、木村建設側に何度も言ったという。それでも「減らしてくれ」と言われる。「断ると収入が限りなくゼロになる」。そして、ついに「やってはいけないと思いながらやった」

 木村建設側は偽装への関与を否定した。真相はまだ分からない。しかし、一線を越えた後、建設され続けた偽装の疑いのある建物は、数十棟にも及ぶという。その一つ一つで営まれていた人々の暮らしが大きくゆさぶられた。捜査による早期の解明を待ちたい。

 20年近く前、出張先のローマで、高層住宅の一角が突然崩れ落ちたという現場を見た。別の建物では、ひさしが崩れてけが人が出ていた。その一方、2千年も前のカエサルの時代の建築は往時の姿をとどめている。「永遠の都」の皮肉な一面だった。

 国会で、今後の改善策を問われた元建築士は、民間の検査機関の審査を厳しくチェックしてほしいと述べた。偽装建築士が、偽装対策を語る。皮肉な問答だった。

 「郵刺客者(ゆうしかくしゃ)」「セパ琢磨(たくま)」「大株主命(おおかぶぬしのみこと)」。住友生命が募集した今年の出来事や気分を表す「創作四字熟語」だ。

 こんな作品もある。住宅や駅にサソリやヘビが出没した「行方悲鳴(ゆくえひめい)」。少子化の傾向が止まらない「減子次代(げんしじだい)」。クールビズが広まった「薄衣多売(はくいたばい)」。世界の各地で大きな地震や災害が起きて、「津々揺々(つつゆらゆら)」。大方は、11月までの動きにちなむものだ。そこで主に直近のニュースに即して、及ばずながら思案してみた。

 ブッシュ米大統領が演説して、イラクの大量破壊兵器についての機密情報が間違っていたと認めつつ、戦争を正当化した。イラク人の死者は、民間人だけで約3万人ともいう。謝罪とざんげがないのでは、「先制薮主(せんせいぶっしゅ)」の強弁と言われても仕方がないのではないか。

 その大統領による先制攻撃をいちはやく支持した小泉首相の責任も、改めて問われる。大統領の開戦責任と、つながっているからだ。大事な日米関係が、「ブ唱小随(しょうこずい)」でいいはずがない。イラクへの自衛隊派遣の1年延長も「米意和達(べいいわたつ)」のように、あっけなく決まった。

 国内では、耐震偽装の問題が深刻だ。鉄筋を不当に減らされた「中空楼閣(ちゅうくうろうかく)」が幾つも建てられた。株を巡っての騒動も相次いだ。買い占めに走る「株主総買(かぶぬしそうかい)」があり、誤って発注された株を大量に手に入れたものの、利益を取るかどうか対処に迷う「握銭苦悩(あくせんくのう)」と「取捨忖度(しゅしゃそんたく)」があった。

 この一年、殺伐としたニュースが目立った。最後ぐらいは、明るい出来事に期待したい。除夜の鐘までには、まだ少しだが間がある。

 アインシュタインは、1922年、大正11年の暮れの今頃、京都、奈良を夫婦で旅していた。ノーベル物理学賞の受賞が決まったばかりで、東京や仙台、名古屋などでも盛んな歓迎を受けた。東京では小石川植物園で帝国学士院の歓迎会があり、記念写真が残された。

 戦後の昭和39年、その植物園に英国からリンゴの苗木がやってきた。ニュートンが万有引力を発見したとの逸話のあるリンゴから接ぎ木されたものだった。その時、科学の巨人ふたりの接点が小石川にできた。

 「ふたりのどちらが、科学や人類により貢献したか」。アインシュタインの特殊相対性理論などの発表から100周年の今年、英王立協会が投票を募った。

 「科学への貢献」では、協会の科学者も一般人も、ニュートンの方がかなり多かった。「人類への貢献」では、科学者の6割がニュートンだが、一般人では、票は半々に分かれた。

 2000年に、本紙が、この千年の傑出した「日本の科学者」を読者から募集した。「日本の」なのに、科学に国境はないというのか、外国人を挙げる人もいた。そのトップはアインシュタインで、ニュートンは5番目だった。

 アインシュタインは、自宅の書斎にニュートンの肖像を飾っていたという。「ニュートンにとって自然は一冊の開かれた書物であり、その文字を難なく読むことができた」とも述べた(金子務『アインシュタイン劇場』青土社)。昨日、冬空に枝を差し伸べる小石川のリンゴの前で、自然という書物を前人未到の目で読み解いたふたりのことを考えた。

 みずほ証券が株を大量に誤って発注した問題で、与謝野経済財政?金融担当相が述べた。「誤発注と認識しながら、他の証券会社がその間隙(かんげき)をぬって自己売買部門で株を取得するというのは美しい話ではない。行動の美学を持つべきだ」

 今回、いわば瞬時に何億、十何億円という利益を得たとされる証券会社が幾つかある。発注後に間もなく間違いと気付いたが、システムの不備で訂正が利かず市場を巡ったジェイコム株をつかまえた会社だ。

 生き馬の目を抜く舞台で、俊敏に仕事をしたに過ぎないとも言えるだろう。しかし一方では、本当にこれでいいのだろうかという思いもわいてくる。

 「右手にそろばん、左手に論語」。利潤の追求と道徳という、一見相いれない二つのものをあえて両の手に掲げたのが、明治期の実業家の草分け、渋沢栄一だった。著書の『経営論語』には、こんな一節がある。「古くから、『盛(さか)って入るものは盛って出づ』といふ諺がある。一攫千金の相場で儲けた金銭なぞが即ちそれで……」

 銀行家でもあった渋沢は、投機には一切手を出さなかったという。「論語とそろばん」が両立しにくい分野だと考えたのだろうか。「商売の徳は売る者も買ふ者も共に利益を得て悦ぶ所にある」とも述べている。

 兜町の東京証券取引所の前身である東京株式取引所は、渋沢らの提唱によって、明治11年、1878年に開設された。商売にも道徳的な美を求めた創設者の目に、今の巨大な市場は、どう映ることだろうか。あえて、辛口の言葉を聞いてみたい気もする。

  我又去了从前找安眠药相关书籍的书店。中午刚过,客人还不多,正好找书。


  那地方的地图真不好找。多的是一些有温泉或者滑雪场之类的旅游观光地图,像那种一无所有的地方,谁又会关注呢?


  不过,还是让我找到了一本。比例尺有1/250000和1/100000两种。地图上标着公车站,原来巴士一直通到山里呢。


  之后,我还买了电车时刻表,以备查询。从市里到那个地方,每天只有早晚各两班电车。但我只是去认认地方的话,绰绰有余了。至于最后那天,则无须考虑回程了。


  最后就是防寒用品。自从退学以来,我再没添过新衣,而且,我连门都不出,全没有那个必要。今天回来以后,我打开柜子翻出一直压在柜底的衣箱。找到一件羽绒服,是多年前买回来的带帽子的厚装。那以后就放着,几乎没碰过,却竟然一点也没有破损。而我刚才还一直担心有没有被虫咬坏。


  至此,踩点的准备工作基本告终。


  剩下的只有找酒店和订房。网上都是为游客提供的观光酒店,离车站较远。看来还要再去一次书店,找本介绍酒店宾馆的书才行。


  还有29天。

 小1の少女が下校中に連れ去られた栃木県今市市の学校周辺を歩いた。少女の通学路の一つは雑木林をぬける細い道だった。行き交う人影はない。散り敷いた落ち葉を踏む自分の足音だけが聞こえた。

 持って来た防犯ブザーを鳴らしてみた。ビーンビーンと人工的な音が響く。説明書によれば音量は90デシベルだが、ここでは無力だ。人家は遠く、だれの耳にも届くまい。頭上で鳥がけたたましく鳴いた。

 携帯用の防犯ブザーが商品化されたのは1959年である。業界団体によると、もとは痴漢やひったくり犯から女性を守るのが主な用途だった。次いで外回りの銀行員らに広まる。子どもが襲われる事件が続いた数年前から需要が増え、今や全国の低学年児に行き渡りつつある。

 広島市の事件で命を奪われた少女もふだんは防犯ブザーを持って登校していたようだ。ただ当日は電池切れで自宅に置いたままだったらしい。持っていたとしても、魔の手を遠ざけることができたかどうかはわからない。

 栃木県を離れ、少女の遺体が見つかった茨城県へ向かう。車で東へ2時間弱、発見現場の山林は昼間でもほの暗かった。狩猟の下見で男性が通りかからなければ、発見は遅れていたはずだ。事務机を並べた簡素な祭壇に、少女の好物なのか、乳酸菌飲料や鶏の空揚げが供えられていた。

 きのうは京都府の学習塾で惨劇が起きた。小学生の通学や塾通いにこれほど不安を感じた時代があっただろうか。このごろは防犯ブザーだけでなく、寺社のお守りを結わえたランドセル姿が急に増えた気がする。

 ところ変わればマークも変わる。日本ではなじみの深い赤十字のマークは、イスラム教圏では赤くて細い月の「赤新月」になる。

 十字の形が、キリスト教を連想させるからだ。この二つに加えて、赤いひし形を第3のマークとして認めることがジュネーブの国際会議で決まった。

 赤い十字のマークは、創立者アンリ?デュナンの祖国で、赤十字の創設に寄与したスイスに敬意を表し、国旗の配色を逆にして定められた。マークには宗教的意味合いは含まれていないというが、かつては日本でも赤い十字を避けた時期があった。

 日本赤十字社の前身の「博愛社」は1877年、明治10年に設立された。西南戦争での両軍の負傷者の救援がきっかけだった。キリスト教の布教のための活動ではないかという誤解を避けるため、日の丸の下に横一文字を書いたマークの旗が掲げられた(桝居孝『世界と日本の赤十字』タイムス)。

 新しいマークは、これまで赤十字と赤新月のどちらもの使用を拒んできたイスラエルの「ダビデの赤盾社」が、赤十字運動へ加盟する道を開くという。赤いひし形の中に、各国の組織が独自のマークを入れることが可能で、赤盾社が認めるように要求してきた「ダビデの星」を中に組み込むことができる。

 イスラエルについては、イランの大統領が、「地図から消されるべきだ」「ドイツなどに移せばよい」などと述べて波紋を呼んでいる。対立の根は深い。しかし、使うマークは違っていても、赤十字運動という場を共にすることは決して無益ではないはずだ。