Archive for 12月, 2005

 2016年の夏季五輪に向けて、国内の候補都市を来年8月末までに一本化するという。既に手をあげている東京都、福岡市や模索中の札幌市は、五輪の開催を景気回復や道路、新幹線整備などの「起爆剤」とみているそうだ。

 五輪は独特の輝きを放つ催しだ。肥大化や招致競争の過熱、選手の薬物汚染などの問題は深刻だが、いつも多くの感動的な場面が生まれ、人を酔わせる。開催される都市や国の夢を担ってきた。

 東京五輪は、焦土からの完全な復興を国際社会に示すという戦後日本の大きな夢を背負っていた。それが1964年、昭和39年の秋に実現したとも言えるが、一方で、五輪成功の旗印のもとに、街は大きく造りかえられた。

 五輪の少し前の東京を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(山崎貴監督)が公開されている。東京タワーが建設中だった昭和33年の都心の街での、さまざまな人模様が描かれる。大通りはともかく、裏通りと路地の多くは、自動車ではなく、まだ人と自転車のものだった。

 東京での職場は光り輝いているものと思い描いてきた集団就職の少女の夢が、いったんは破れる。しかし、そこには、路地の網の目のように張り巡らされた人の心の結びつきがあった。

 東京に限らず、改造の度に、都会からはこうした心の路地や自然が失われてきた。もし2016年に五輪が来たら、その都市はどんな変化をするのだろうか。巨額の出資を伴う「起爆剤」や「再開発」が、残されていた貴重なものすら取り払うことのないように願いたい。

 ラジオから日本軍の真珠湾攻撃の報が流れてきた。「アメリカと戦争が始まったよ」。若き日の池波正太郎が言うと、日清?日露戦争を体験した祖母は平然として「また戦(いく)さかえ」とこたえた。「ちえッ。落ちついている場合じゃないよ」とどなりつけて家を飛び出す。日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和16年12月8日の朝である。

 東京?浅草の家を出て日本橋で友人と会った後、レストランに行く。カキフライでビールを2本のみ、カレーを食べてから銀座で映画「元禄忠臣蔵」をみた。「映画館は満員で、観客の異様な興奮のたかまりがみなぎっていた。いずれも私のように、居ても立ってもいられない気持で映画館へ飛び込んで来たのだろう」(『私の一本の映画』キネマ旬報社)。

 「聴きいる人々が箸(はし)を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、感極まつてすゝり泣く人さへあつた」。東京?神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、本紙3面のコラム「青鉛筆」は伝えた。

 真珠湾攻撃の報を聞いたチャーチル英首相は、すぐルーズベルト米大統領に電話した。大統領は「いまやわれわれは同じ船に乗ったわけです」と言った。

 チャーチルは、感激と興奮とに満たされたと自著に記した。「日本人についていうなら、彼らはこなごなに打ちくだかれるだろう」(『第二次世界大戦』河出書房新社)。

 日本が、あの破局へと向かう、3年と8カ月の第一日だった。

 一日が無事に終わると、カレンダーの日付に丸をつけた。ただし、その日の夜にではなく、翌朝にだった。なぜなら、攻撃は決まって夜だから。イラクのサマワでの任務を終えて帰国した自衛隊員が、本紙の取材に語っていた。宿営地での緊迫感がうかがえる。

 国内で待つ人たちも、一日一日を祈るような思いですごしてきたに違いない。幸い、今のところ犠牲者は出ていない。しかし、これは隊員の細心の備えや日々の努力と幸運とによってもたらされた薄氷の無事だった。

 小泉内閣は昨日、自衛隊のイラクへの派遣期間をもう1年延ばすことを決めた。イラク戦争そのものの正当性が強く疑われ、米国内でも撤退を求める声が高まっているが、さほどの議論もないまま延長が決まった。

 藤原帰一?東大教授の言葉を借りれば、国際政治は米国による徳川幕藩体制のように動いている(『不安の正体!』筑摩書房)。「将軍はもちろんブッシュ大統領、そのブッシュにどれだけ近いか忠誠を競い合うわけです」。各国が「大名」とすれば、英国が親藩、日本は譜代だろうか。

 イラク戦争に反対した、いわば外様のドイツのメルケル首相が、ライス米国務長官を横にして記者会見で米側を批判した。「民主主義の原則や法律、国際的ルールを守らなければならない」。米中央情報局(CIA)が東欧などに秘密収容所を設け、独国内の空港を無断利用した疑惑についての発言だ。

 「将軍」への批判は広がっている。日本は付き従うことなく、撤退への道筋を独自に描く時期に来ている。

 年末恒例の流行語大賞に「小泉劇場」が選ばれた。劇場型政治家などと言われるご本人も、いろいろな劇場に出かけるのを好んでいるようだ。

 任期の延長論が出ても、次の総裁選までと「楽日」を示すのも小泉劇場流だが、このところ一段と耳を疑うような発言が続いている。きのう、日中韓の首脳会談の延期を中国政府が発表したことについて述べた。「私はいつでもいいですけどね。向こうが延期する。それでも結構です」

 イソップ物語の狐(きつね)と鶴を連想した。狐が鶴を招き、スープを平らな皿に入れてすすめる。飲めなかった鶴は、今度は狐を招いて、首の長いツボに入ったスープを出した。相手がいやがり、傷つくことをしていれば、いつか逆の立場に立たされかねない。

 小泉流の対応には「外国の圧力に負けない」という点で評価する見方もあるのだろう。しかし、圧力に負けないのと聞く耳を持たないのとではずいぶん違う。

 先月末には、靖国神社への参拝について、「思想及び良心の自由」を規定した憲法19条を引き合いに出して、「まさに精神の自由だ」と述べた。首相の参拝については裁判所の見方が分かれているが、大阪高裁などでは違憲判断が示された。首相は、憲法によって憲法を尊重し守る義務を負っているのだから、慎重に構えるのが国の最高責任者の態度ではないか。

 今年の、もう一つの流行語大賞は「想定の範囲内(外)」だった。やがて楽日になって小泉劇場がはねた時、日本はどうなっているのか。「想定」の内か外か、心配な段にさしかかっている。

 滋賀県に住む山本まゆみさん(27)は、スーパーで買い物用のカートを回収するのが主な仕事である。一日中、1階から4階まで歩きまわる。回収箱にたまった牛乳パックやトレーの整理もする。夏は汗だくになり、冬は手がかじかむ。

 山本さんは知的障害がある。工場で働いた後、あこがれていたスーパーの求人に応募した。7年前のことだ。最初は、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」をなかなか言えなかった。いまでは、お客さんから「よくがんばっているね」と声をかけられる。

 そうした日々をつづった「私のまわりの人達」が、内閣府で募集した障害者週間の作文の高校生?一般市民部門で最優秀賞に選ばれた。そこでは、「お店で仕事をする事がとても楽しいのです」と書かれている。

 作文には、同じ障害のある男の子が登場する。エレベーターに興味があるらしく、週末にはいつもスーパーのエレベーターの前で遊んでいる。「私は、心の中で『いつまでもここであそんでいていいよ』といいたくなります」。そう書いたが、最近、姿が見えず、心配でたまらない。

 山本さんは、どんなことにも積極的だ。月に2回、男女混成の障害者のサッカーチームで練習する。夏には、障害児のサマースクールにボランティアとして参加した。

 あす、東京で、表彰式が開かれる。山本さんは、最優秀賞の小学生、中学生とともに、自作を朗読する。「今私に悲しい事は、なにもありません。楽しいことがいっぱいあるからです」。そんな元気な声が会場に響くはずだ。

 「耐震偽装マンション」を買わされた人たちの救済策の全体像が、なかなか見えてこない。耐震データを偽造した建築士の他、見逃したり、売ったりした側の責任の取り方が判然としないが、すぐにも必要な代わりの住まいや税金の扱いでは、自治体による違いもみえる。

 川崎市では、今年度中の固定資産税などを免除し、市営住宅の使用料を3カ月に限り免除する。横浜市も原則3カ月間、市営住宅を無料にするという。一方、東京都では、税の面での優遇措置はとっておらず、昨日始まった移転先としての公的住宅の家賃についても「同規模の住宅並みの負担をお願いする」という。

 自治体は、マンションの住民に対して、退去の勧告や使用禁止命令を出す立場にある。危ないから出ろと言っておいて、お金の面での救済がなければ、被害者は、住めないマンションのローンと新しい住まいの家賃との二重の支払いを強いられる。

 川崎市では、災害で住まいを失った場合に準じて優遇を決めたという。東京都では、自然災害ではなく人為的な被害で、責任の所在もはっきりしているから優遇はしない方針という。

 住めない家を買わされたことと、常に地震による倒壊の恐怖を抱えていることで、被害者は皆、同じ立場にある。その救済策が、マンションがどこに建っているかだけで大きく違うのは、被害者には割り切れないだろう。

 行政の「横並び」は、目立つのを嫌う役所仕事の問題点となってきた。しかし、被害者にとって前向きと思えるような線での横並びなら、悪くない。

 昨日の夕方近くだった。広島市の女子児童の殺害事件について書いたコラムへの感想のお便りを手にした。幼い子をもつお母さんで、住んでいる九州の町でも、先日児童が車の中から声をかけられ、注意を促すプリントが配られたという。

 PTAなどが巡回し、安全マップを作ったそうだ。親や学校、地域の人たちが死角をなくそうと必死になっている様子がうかがえた。そこへ、茨城県で幼い女の子の遺体が発見されたとの報が入ってきた。そして夜には、栃木県内で行方不明になっていた女児と確認された。子どもを守ろうとする努力への挑戦にすらみえる。

 広島市の事件で逮捕された容疑者は犯行を認める供述を始めた。弁護士に不可解なことを言ったという。「悪魔が自分の中に入ってきて体を動かした」。日本の通学路は「悪魔」の所業を許すような恐ろしい道になってしまったのか。

 遠い昔、小学校に通った道には、地域の人たちの幾つもの目があった。何か変化が見つかれば、その信号は波のように伝わっていくようだった。今は見知らぬ人が居ても必ずしも変化とは感知されないし、都会は見知らぬ人で満ちている。

 先日のコラムは、幼い子の頭をなでるようなしぐさで「子ども」を表す手話のことから書いた。九州からのお便りに、こんな一節があった。「『愛す』『大切にする』の手話は、円を描いた手の下にもう片方の手をそえます。寒い時、手の甲をこするように」

 幼い子のいる人もいない人も、手と手を合わせて、「守る目」をつくれないものだろうか。

 米大リーグ入りを決めた城島健司捕手の英語力を、米紙が相次いで取り上げた。「試合中に話すのは捕手の大切な仕事。英語が得意でない日本人に務まるのか」と。

 英語に定評のある長谷川滋利投手も、渡米直後は言葉の壁に泣いたそうだ。英語に疲れるとトイレに逃げ込み、日本語の本を読みふけった。それが今や通訳ぬきで会見し、英語習得法を説く本まで出版した。

 中国の卓球リーグに飛び込んだ福原愛さんは、みごとな中国語を操る。発音も本格的で、地元のテレビ番組に出演して人気が高まった。ゴルフの宮里藍さんも英語で堂々と応じている。

 逆に日本へ来た外国人選手はどうか。たとえば角界は徹底した日本語漬けで知られる。朝青龍関も入門してすぐは言葉に苦労した。顔色の悪い兄弟子をいたわるつもりで「関取、顔悪いっすね」と声をかけ、猛烈に叱(しか)られている。

 予習なしで来日し、通訳はおらず、日本語学校にも通わない。それなのにみるみる上達するのはなぜか、と早大教授の宮崎里司さんは外国人力士や親方ら約30人に面談した。わかったのは、相撲界がサブマージョン式の言語教室になっていたことだ。英語で水没や浸水を意味する。泳ぐかおぼれるか、異言語の海に手荒く放り込む。

 英語の海にこぎ出せば、誰にもトイレに隠れたくなる日があるだろう。けれども大リーグは弁論大会ではない。日米の野球に通じたバレンタイン監督も「形容詞の用法や動詞の時制が理解できても捕手の仕事には役立たない」と米紙に語っている。心配するには及ばないようだ。

 あたりに人気のない建設現場を、風が渡ってゆく。敷地の囲いのすき間から建物が見える。既に見上げるほどに高く組み上げられているが、工事はもう進まない。

 建築士による耐震データの偽造で工事が中断した、東京近郊のマンションの一つを見た。「安全を総(すべ)てに最優先する」。建物の覆いに掲げられた建設会社の標語だが、肝心の建物の安全の方が否定されてしまった。建設中に廃虚となったその姿は、寒々しい。

 旧約聖書の「創世記」に、バベルの塔が出てくる。「さあ、我々は一つの町を建て、頂きが天に達する塔を造り、それによって我々の名を有名にしよう」(岩波文庫?関根正雄訳)。人間のおごりを憎んだ神は、彼らの言葉を乱して互いに通じないようにしたため、塔の建設は止まった。

 現代の塔の建設を巡る言葉の乱れは、データ偽造の発覚から始まった。建物にかかわった人たちが話すのは日本語には違いないが、互いに通じ合っていない。

 建築士や建設会社、販売会社、検査会社などが入り乱れてしゃべるのだが、真相がどうだったのかが見えてこない。捜査という通訳が早急に入って、言葉の乱れをただすしかないのだろう。

 やはりデータの偽造で問題になっている都内の入居済みのマンションに行く。皮肉なことに、模範となる優良物件として、偽造の発覚前に業界団体の優秀事業賞を受けた。外壁はグレーと茶に彩られ、落ち着いたたたずまいを見せている。しかし、その内側には、いつ起こるかも知れない地震への恐れと憤りとが満ちているようだった。

 最近の言葉から。42?195キロのフルマラソンを完走する幼稚園児がいる。大阪府四條畷(しじょうなわて)市の私立星子幼稚園の子らで、6歳の誉田海人(こんだかいと)ちゃんは今月、7時間弱で走った。「風が気持ちよかった。ゴールできたときはすごくうれしかった。また走りたい」

 宮崎県三股町の中学3年、福田聖伍(しょうご)君が「少年の主張全国大会」で、白血病を克服した体験を発表し最高賞を受けた。「人は必ずいつか死ぬ。だからこそ、一日一日をかみしめて生きなければならないことも学びました」

 00年に西鉄高速バスを乗っ取って乗客を殺傷し、医療少年院に収容されている22歳の男性が、重傷を負わせた山口由美子さんに会い謝罪した。「あなたのことを許したわけじゃない。これからの生き方を見ているから」と山口さん。一方で、母を殺害された男性は面会を断った。

 横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて28年。拉致までの13年間に父滋さんが撮った写真が展示された。「生まれたばかりのめぐみを最初に抱いた時の重さから始まり、あの子の言葉、香り、外の気温や風の感じまで、すべて克明に覚えている」と、母早紀江さん。

 東京都で、管理職試験の受験者が減り続けている。受けない理由は「管理職に魅力を感じない」「自信がない」「仕事と家庭を両立したい」

 稲刈り後の田に藁(わら)を積み上げた藁塚を撮り続ける大分県別府市の写真家藤田洋三さんが、「藁塚放浪記」を出版した。「モノだけじゃ豊かになれないことに気付き始めた現代人が、藁塚のよさも認識してもらうきっかけになれば」