天声人语


 くまで ゆや みみかき しゃくし こたつ かや おはぐろ おひつ ずきん すごろく。

 46歳という若さで亡くなった杉浦日向子さんが、本紙の地域版に連載した随筆「隠居の日向ぼっこ」の題の一部だ。のどかで、かなしくもあり、こわさをも秘めた独特の世界の入り口が見える。日ごろ江戸の町家に住み、時に現代に通ってくる女性の浮世絵師といった風情があった。

 『大江戸観光』(筑摩書房)で江戸時代をこう述べた。「近世封建制を手放しで礼賛する気はありませんが、かといって、中世封建制やヨーロッパのそれとは明らかに違う、もっとひらけた、秩序的にも社会構造的にも明快なものと思います」

 「風土?民族に適合した生活様式であった筈(はず)」で、明治以降の、絶え間なく戦争をしてきた近代日本は、「やっぱり無理をしているとしか思えません」。無理をしない心の構え方が、漫画家からの30代での「隠居宣言」にもつながったのだろうか。

 88年に文芸春秋漫画賞を受けた「風流江戸雀」では、一話の首尾に配した川柳と絵との絡みが絶妙だった。「物思う相手がなさに蚊帳を釣り」「男じゃといはれた疵(きず)が雪を知り」。長屋暮らしや、雪もよいの川端の一景に引き込まれた。

 江戸っ子らしくソバ好き、というより「ソバ屋好き」だった。『もっとソバ屋で憩う』(新潮文庫)では、ソバ屋でのいっときの安らぎを勧めている。「今日できることは、明日でもできる。どうせ死ぬまで生きる身だ」。その先の一行が、目にしみる。「ソンナニイソイデドコヘユク」

 大暑にしては過ごしやすい土曜の夕方だった。いつもの、さざ波のような前触れをほとんど感じないうちに、突然大きな揺れが来た。千葉県を震源とした23日の地震である。

 家のどこかの壁が、みしみしいっている。火を使っていないことを確かめながら、東京では、ここ10年に一度あったかどうかの大揺れだから、震度4以上だろうと推測した。

 テレビで速報が始まる。千葉方面などが震度5弱だ。大災害が予想される震度6以上の地点が見あたらないので、ひとまずほっとする。都内は震度4以下なのかと思っていると、20分以上たったころ、突然足立区が、この地震で最大の震度5強と出た。

 都庁から気象庁にデータが届くのが遅れた。区市町村の地震計などのデータは都庁に集められ、変換して気象庁に送信される。阪神大震災を機に導入したシステムで、当時は最先端で最高速だったという。都庁では、今回の地震でシステムなどの限界が表れたとして早急に抜本的な改善をすることにした。

 震度情報は、被害の予測を立てたり対応を決めたりするための基本的なデータだ。一刻を争うシステムが、大事な時に滞るとは。直下型の大地震が懸念される首都の備えとしては、はなはだ心もとない。

 今回は大災害には至らなかったが、鉄道やエレベーターなど、人を運ぶ仕組みのもろさが露呈した。できれば、日ごろから足腰を鍛えておいた方がいいのだろう。地震は、忘れていてもいなくても、いつかはやってくる。もしも、やってこないなら、それはそれで言うことはないのだから。

 ギリシャ神話のプロメテウスは、天上の火を人間に与えたかどで、最高神ゼウスの怒りを買う。アイスキュロスの悲劇「縛られたプロメテウス」には、山にプロメテウスを縛り付ける役のひとりとして、クラトスが登場する。ゼウスのしもべ?クラトスは「権力」を意味するという。

 同時爆弾テロが続いたロンドンで、ロンドン警視庁が、「クラトス」作戦と呼ぶ新しい作戦を展開中と伝えられる。テロ狙撃チームが爆弾所持者らを撃つ場合は、下半身ではなく頭を狙うように内部規定を変えた。先日、ロンドンの地下鉄で、警官が男性に対して至近距離から発砲し、死亡させた。その男性は、爆破事件には無関係だったことが分かった。

 警察は、ロンドンでの3度目の同時テロは絶対に許さないという決意で、捜査に全力を挙げていたにちがいない。市民もまた、祈るような思いで、日々を過ごしているのだろう。

 疑心暗鬼という言葉が思い浮かぶ。疑心が生じると、実際にはありもしない恐ろしい鬼の形が見えるようになる。

 何でもないことでも疑わしくなり、恐ろしくなる。そして、いつもなら踏みとどまるはずなのに、突き進んでしまう。かつて日本では、関東大震災で「朝鮮人が襲撃してくる」というデマが広がり、多くの人が殺害された。

 クラトスには、ビアという兄弟がいて、そちらは、「暴力」を意味する。神話では、クラトスとビアは、いつも一緒だという。もとよりテロという暴力は許し難いが、「権力」は、「暴力」と同居しないよう踏みとどまるべきだろう。

 幕末の志士、高杉晋作は何かと仲間に血判を求めた。「夷狄(いてき)を討つ」と江戸で御楯(みたて)組を結成した時には二十数人が血盟に応じた。なのに京都で将軍暗殺の同志を募ると1人しか応じない。高杉の呼びかけでも、企てがむちゃならそっぽを向かれたようだ。

 郵政法案をめぐる血判の動きが報じられている。民営化に反対の自民党議員たちが結束を固めるため、誓紙に名を連ね、血の判を押したと。本当なら、何とも時代がかった話ではないか。

 発案したと伝えられる亀井久興衆院議員に尋ねた。「たしかに私が誓紙を用意した。同じ意見の衆院議員に署名を頼んだが、血判はお願いしてませんよ」。応じたのは約20人で、採決では全員が誓い通り反対票を投じた。牛王(ごおう)宝印と呼ばれる熊野神社発行の誓紙を使ったそうだ。

 熊野信仰では、牛王宝印の誓いを破ると血を吐いて死ぬと伝えられる。『吾妻鏡』には、義経が頼朝に忠心を訴えた手紙は牛王宝印に書かれたとある。赤穂浪士が復仇(ふっきゅう)の誓いに使ったのもやはり牛王宝印だった。神罰覚悟の連判状など講談の世界だけかと思っていたが、政界では今でも立派に通用するらしい。

 誓文に署名する習わしは平安時代にさかのぼる。戦国の世に裏切りが相次ぎ、署名だけでは安心できなくなった。それで血判が重みを増す。徳川幕府も忠誠の血判をしばしば諸大名に出させている(石井良助『はん』学生社)。

 参院自民党でも、血判や連判の動きがあると聞く。切り崩しや寝返りをにらみつつ、票を読む声がセミのごとくかまびすしいこの夏である。

 まず、ぽっかりと開いた目にひきつけられる。黒い穴のような目の先に短いくちばしがあり、右の肩から翼が伸びている。和歌山市の「岩橋(いわせ)千塚古墳群」で出土した鳥形埴輪(はにわ)の写真を見て、一時心がなごんだ。

 埴輪の顔が私たちをひきつけるのは「切りとった目ゆえである」と国立歴史民俗博物館の館長だった佐原真さんが書いていた。「埴輪の顔に対するとき、人はおだやかな眼差となる。切りとった目は、目の輪郭にすぎず、黒目がない。埴輪は相対する者を凝視できない」(『日本の美術』至文堂)。

 人物埴輪についての記述だが、動物の埴輪にも通じるところがあるように思う。「埴輪に対する人は、見つめられることなしに、見つめることができる」。それだから、やすらいだ気持ちで埴輪に向かうことができると佐原さんは記す。

 東京?両国の江戸東京博物館で開催中の「発掘された日本列島2005」には、全国各地からの様々な出土品と共に埴輪も幾つか展示されている。中に奈良県巣山古墳で出土した3羽の水鳥形埴輪がある。白鳥を思わせるこの埴輪の目は、くりぬかれてはいない。しかし、これはこれで、じっと遠くを見ているような風情がある。

 鳥形の埴輪には、死者の魂を来世に運ぶといった解釈もあるそうだ。翼を広げたものが出土したのは、今回の和歌山が初めてという。奈良文化財研究所の高橋克寿?主任研究官は「渡り鳥のように飛ぶことが得意な鳥をモデルにしたと考えられる」という。

 古代からよみがえった謎の鳥は、想像の翼を広げてくれる。

 「せきめんの素顔」という冊子がある。アスベストの業界団体?日本石綿協会が、88年に出した。前書きに、石綿は「産業界の進歩、発展に無くてはならない貴重な存在」とある。国際労働機関(ILO)条約で、毒性の強い青石綿の使用が禁止されてから2年後の刊行だった。

 冊子は、石綿によって引き起こされる病気にも触れているが、こんなくだりもある。「対策が次々と打たれ……今後石綿による疾病の危険はほとんどないと確信できるまでに至っております」

 一般の住民に対する石綿粉じんによる危険率については、こう述べている。「めったに起きない落雷による死亡危険率と同程度か、それ以下とする専門家の意見に同意するものであります」

 記述は、やはり、石綿の益の方に重く、害の方に軽く傾いているようだ。その後に発覚した被害は、甚大だった。

 この冊子が出る10年以上前に、当時の労働省が、石綿工場の従業員の家族や周辺住民の健康被害について危険性を指摘する通達を出していた。なのに、国は有効な手を打たなかった。「決定的な失敗」と、今の副大臣が述べたが、公の不作為による「公」害の様相が一段と濃くなってきた。

 かなり古びた『石綿』という本を開く。「我が国に於ける石綿工場労働者の健康状態に関する組織的な報告は未だ見ないが、工場内の塵芥の程度は、著者の見たる範囲に於ては実に甚だしいものである」。日本パッキング製作所技師長?杉山旭著、昭和9年刊とある。71年前に記された「石綿の素顔」のように思われた。

 イブラヒムおじさんは、パリの下町で小さな食料品店を営んでいる。フランソワ?デュペイロン監督の映画「イブラヒムおじさんとコーランの花たち」(03年)は、このトルコ移民の老人と孤独な少年の心の物語だ。

 異国でひっそり暮らす信心深いイスラム教徒を、70代に入った名優オマー?シャリフが演じた。落ち着いたたたずまいは持ち前だが、その姿は、異国にとけ込もうとする移民の知恵や、必要に迫られて身につける「擬態」を表しているようだった。

 移民が周りから際だたない暮らしを強いられるのはフランスに限らない。周りにとけ込む姿勢をとりつつも、移民一世の場合は母国への思いが心の支えになっているのだろう。

 ロンドンの同時爆弾テロ事件の容疑者の多くはパキスタン系だった。親たちが、かつて植民地支配していた英国に来た後に生まれた。そして近年、こうした移民二世や三世の帰属意識が改めて注目されている。

 ロンドンのイスラム人権委員会のアンケートで「英国社会の一員だ」と答えたイスラム教徒は約4割にとどまった。一方で「差別を受けた」と答えた人は8割もいた。母なる国も、安らげる居場所も無いという悲痛な思いで日々を過ごす青年も多いのか。

 イブラヒムおじさんは、親を失った少年を養子にして、ふたりでトルコへ旅する。そこには安らぎと悲しみとが待っていた。母国で土に帰る老人と、別離を越えて生きてゆく少年と。国籍や民族、そして親と子すらも超えた、ひとりとひとりの人間のきずなへの希求が静かに描かれていた。

 昨日、本紙の「朝日川柳」に載っていた一句に笑いを誘われた。〈飲んで騒いで丘に上るな知床の/さいたま市 岸保宏〉。笑いといっても、苦い笑いである。

 北海道の知床がユネスコの世界自然遺産に決まったが、単純には喜べない思いをした人も少なくなかったのではないか。先に遺産に登録された鹿児島県の屋久島や、青森?秋田両県の白神山地では、観光客の急増で汚染が懸念されている。

 世界遺産条約は、自然と文化を人類全体の宝物とし、損傷、破壊などの脅威から保護することをうたっている。日本政府が登録を推薦したということは、損傷や破壊をしないと世界に約束したことになる。

 知床では、80年代に国有林伐採への反対運動が起きた。それから今回の登録まで、長い道のりだった。数多くの人たちの力がよりあわされて、大きな実を結んだ。これからも自然を保ち続けてゆく責任は重いが、日本の自然を世界遺産という「地球の目」で見直すのはいいことだろう。

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)を設立するための会議は、第二次大戦が終結した60年前の秋に、ロンドンで開かれた。アトリー英首相は、演説の中で「戦争は人の心の中で生まれるもの」と述べた。

 これが、ユネスコ憲章の前文の有名な一節となった。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」。戦争を繰り返さないため、世界の各国は互いをよく知る必要がある、との反省が込められている。知床の自然もまた、心の砦の礎になるようにと願う。

 茨城県取手市で書道を教えている松本恒子さんは84歳である。地元の合唱団の仲間約120人といっしょに、ドイツへ行って、ドイツ語でベートーベンの「第九」を歌ってきた。

 歌い終えると、ドイツの人たちから大きな拍手。「やった、という感じでした。それにしても、10年おきに2度もドイツで歌えるなんて、思ってもみなかった」

 松本さんが取手第九合唱団に加わったのは、91年のことだ。歌は好きだが、「第九」ともドイツ語とも縁がなかった。テープを聴いて、歌詞を丸暗記した。その5年前に生まれた合唱団の2度目の演奏会だった。

 このあと、「次はベートーベンの母国で」という声が上がった。「最初は、とても無理だと思われていたのですが」と言うのは小野耕三さんだ。合唱団のいまの代表である。合唱団には会社員、公務員、商店主ら様々な人がい る。つてを求めていくうちに、バーデンバーデンの交響楽団が共演を引き受けてくれた。

 それが95年のドイツへの初めての旅となる。その5年後、バーデンバーデンから指揮者のW?シュティーフェルさんを招いて、取手で演奏会を開く。そして、今回のドイツ再訪である。小野さんは「こんなに長く続いたのは、5年に1回というペースだったからだと思う。手づくりの演奏会は、準備や資金の手当てが大変なのです」という。

 このゆったりとした歩みがいいのだろう。早くも、「5年後もドイツで」という声が出ている。松本さんは「5年後ならば、行けるかもしれない。ぜひ行きたいですねえ」と話している。

 夏休みの始まりを告げる特別の儀式がある。湖のほとりに降りて行き、片手をそっと湖水につけるのだ。児童文学の名作「ツバメ号とアマゾン号」シリーズを書いたアーサー?ランサムの若き日の回想である。

 英国の湖水地方などを舞台に、休暇中のヨットの冒険を描いた彼の作品は、世界各地で帆船好きの子供たちを生んだ。船乗りを養成する独立行政法人航海訓練所の雨宮伊作さん(47)もその一人だ。

 ランサムの世界にひかれて東京商船大に学び、練習帆船勤務を生きがいに、多くの実習生を育ててきた。2000年ミレニアム記念の北米練習船レースでは、1等航海士として乗り込んだ海王丸が、世界の強豪を抑えて1位に輝いている。

 なぜ、この時代に帆船で実習をするのだろうか。雨宮さんは言う。「風がなければ帆船は動きません。味方にすれば快適だが、敵に回すと命さえ失う大自然の脅威を前に、いかに力を合わせるのかを学ぶのです」。2カ月に及ぶ遠洋航海が終わるとき「実習生の目は輝き、やさしくなり、すこし大人びます」

 ヨットの本場英国では、青少年教育として練習船が活用されている。ランサム作品で最も緊迫感あふれる「海へ出るつもりじゃなかった」は、主人公の4人兄弟が、霧と嵐の中、漂流し始めた帆船を操って英国からオランダまで北海を横断する話だった。危機を乗り切ることで彼らは大きく成長する。

 帆船乗りの世界には「帆が教える」という言葉があるという。自然を忘れ、効率ばかりが優先される時代に「帆が教える」ものは多いはずだ。

« 上一页下一页 »