「チームは売り物じゃない」という横断幕が昨秋、ロンドン市内に掲げられた。英サッカーの強豪マンチェスター?ユナイテッドのファンたちだ。強引にチームを買い取ろうとする米実業家グレーザー氏に反発し、本人に似せた人形を焼いた。

 グレーザー氏は8歳で家業の時計店を継ぎ、13歳で独立した。投資事業で成功しアメフット球団を所有する富豪となった。半年余りでマンチェスター株を70%支配し、買収提案を拒む旧経営陣をねじ伏せた。グレーザー氏には他国のサッカーも投資先の一つにすぎない。地元ファンをなだめるようなこともしなかった。

 「買収お断り」「魂は買えない」。そんなプラカードが先日、甲子園の客席に揺れた。阪神電気鉄道株を40%近くまで買い進めた村上世彰(よしあき)氏に向けたファンの抗議である。

 村上氏は大阪?道頓堀の近くで育った。株取引は小4の頃から。「これで小遣いを稼いでみろ」と父親から100万円を渡された。中学では、四季報や経済紙を愛読した。

 東大から通産省に進んだ村上氏が30歳で書いたという小説の草稿を読んでみた。題は「滅びゆく日本」。主人公は大阪生まれで、東大在学中から株で財をなす。内閣官房長官となって女性首相を支え、「生きてる間に日本を動かすでっかいことをやりたい」と語る。

 中高の6年間、阪神電車で通学した村上氏は、「球団名、甲子園、縦じまユニホームに愛着を感じる」とファンを自任する。同時に、球団を投資対象と見ていることも隠さない。「村上?タイガース戦」から目が離せない。

 5年前に米国で亡くなった大野乾(すすむ)氏は、天才肌の遺伝学者として知られた。ノーベル賞級と折り紙のついた研究のかたわら、奇抜な仮説で時に学界を驚かせる。その一つが19年前に発表した遺伝子音楽だった。

 遺伝子こそが美感を左右すると説き、ニジマスやブタ、ニワトリのDNAの配列を音符に置き換えた。妻の翠(みどり)さん(76)にピアノ演奏を頼み、これはバッハ風だ、いやドビュッシーに近いと分析した。音楽界では好評だったが、生物学の世界では「非科学的」と異端視された。

 ロサンゼルス郊外に住む翠さんのもとに今春、日本から1枚のCDが届いた。県立広島国泰寺高校の生徒たちが3年がかりで作ったオオサンショウウオの遺伝子音楽だった。生物班の生徒がDNAを解析し、大野理論に従って五線譜に落とした。ヒトの遺伝子から作った曲もあり、翠さんは懐かしさにじっと聴き入った。

 同じCDを聴いてみた。サンショウウオの調べはモーツァルト風の軽快さに満ち、伸びやかで明るい。対照的に、ヒトの遺伝子音楽は重く物悲しく、苦悩の旋律がベートーベンを連想させた。

 生物班を指導した広島大の三浦郁夫助教授(46)によると、今回も「科学の領域を外れている」という批判があった。それでも遺伝子の音を聴く試みに、高校生たちは休日を忘れて取り組んだ。

 参加したのは3学年の19人。この夏、代表2人が訪英し、現地の大学や高校で調べを披露して拍手を浴びた。解析されたサンショウウオのDNA情報は9月末、国立遺伝学研究所を通じて、世界に公開された。

 動物好きが、イヌ派とネコ派に分かれるならば、ミステリー好きは、ホームズ派とルパン派に分かれるかもしれない。むろん両方が好きな人もいるだろうが、難事件を解決する名探偵と、神出鬼没の怪盗紳士では、好みもずいぶん異なる。

 金持ちの財宝は奪うが、人は殺さず、弱い者にやさしいルパンには、圧倒的に女性ファンが多い。善と悪の両面を持つ影のある人物像も魅力のようだ。ホームズに比べると、実はルパンの方が登場は20年近く遅い。

 作者のルブランは、当時すでに有名だったホームズを自作に登場させて、「遅かりしホームズ」なんて作品を書いたものだから、ホームズの作者ドイルが、怒りの手紙を寄越したほどだ。そのルパンが、今年は生誕100年だ。

 フランスの映画が封切られたり、新しい翻訳も出たり、にぎやかである。しかし、日本にこれだけファンが多いのは、なんと言っても、子ども向けにルパンを紹介してきた作家の故南洋一郎さんの役割が、大きい。

 彼の筆によるポプラ社のルパン全集で、どれだけ多くの人がルパンの魅力にとりつかれたことか。58年の初版以来累計880万部に及ぶ。大人向けの翻訳とはずいぶん違う。わかりにくい筋はそぎ落とし、テンポよく展開する。

 南さんが加筆した部分は、若き日の彼自身の見聞に基づいて、西洋の風物をわかりやすく説明しているところだ。明治以来の西洋文化の摂取の陰には、そのエッセンスを日本人に消化しやすい形で紹介した多くの先達がいた。南さんのルパンもその偉大な伝統に連なっている。

 イタリアの天文学者ガリレオ?ガリレイは、ミケランジェロが死んだ年に生まれ、ニュートンの生まれた年に死んだ。ルネサンスと近代科学に橋を架けた生涯を象徴する巡り合わせだ。これは史実だが、ガリレオにまつわる話には史実とは言えないものがある。

 「それでも地球は動く」。地動説を支持したために問われた宗教裁判での言葉というが、これも創作されたものらしい。

 小泉首相は、郵政民営化法案が参院で否決されて衆院を解散した日の会見で、この言葉を持ち出した。強大な宗教権力によって断罪されたガリレオと自らを重ねるようにして訴えた。日本の政治の最高権力者がガリレオの立場にあるはずもないが、再び法案を審議中の国会で4日、この言葉を巡るやりとりがあった。

 「ガリレオはローマ教皇(法王)庁に『意見を変えなさい』と言われた。首相は圧力を加えて『賛成に回れ』と。ガリレオでなくローマ教皇(庁)だ」。民主党議員に指摘され、首相は「首相に与えられた権限を最高に活用するのも民主主義」と答えた。

 ガリレオの時代は、地球が高速で自転しているのなら、石や動物は飛ばされてしまうはずだとの議論があった。ガリレオは「愚かにも……たれかが大地は動くと最初にいったときにはじめて動き出し、それ以前は動いていなかったように考えるのです」と批判した(『天文対話』岩波文庫?青木靖三訳)。

 後世の人々は彼の先見に深くうなずき、裁いた側は歴史に裁かれた。「権限を最高に活用」した首相を歴史はどう判断するだろうか。

 「耳マーク」をご覧になったことがあるだろうか。役場や病院で窓口に掲げているところがある。「耳の不自由な方は筆談します」というような文言が添えられている。一方で、耳マークのカードやシールを持ち歩いている人がいる。そこには「耳が不自由です」と書かれている。

 普及活動をしているのは全日本難聴者?中途失聴者団体連合会だ。耳マーク部長を務める長田由美子さん(61)は「聴覚障害は外見ではわかりにくい。人生の途中で耳が不自由になった私たちは、普通に話せるので、なおさらです」という。耳マークを身につけることで、障害を周りの人に知ってもらう。窓口に置いてもらえば、筆談を頼みやすい。

 とはいえ、それほど知られているとはいえない。「理由の一つは、中途での失聴者や難聴者が自分の障害を隠しがちだからです。私もかつてはそうでした」

 長田さんは幼い頃に中耳炎を患い、徐々に聴力が落ちた。出産後、補聴器をつけた。聞き取れなくても聞こえるふりをしていた。転機になったのは8年前、父を亡くした時だ。葬儀の後、親族の間でどんどん話し合いが進んでいく。「私はわからない」と声を荒らげてしまった。その時、ようやく難聴という障害を受け入れることができた。

 一口に聴覚障害者といっても障害の状況は同じではない。手話や筆談など意思疎通の手段も様々だ。足並みは必ずしもそろわない。

 それでも、長田さんは外出にはいつも耳マークのバッジをつける。一人でも多くの人に聴覚障害者の実情を知ってもらいたいからだ。

 一瞬を切りとった写真が、時代を語ることがある。60年前のきょう、9月29日の新聞各紙を飾った1枚がそうだ。

 両手を腰に当てた軍服姿の180センチと、モーニングを着て直立する約165センチ。朝日新聞の見出しは「天皇陛下、マツクアーサー元帥御訪問」だ。勝者の余裕と敗者の緊張が並ぶ構図は、人々に日本の敗戦を実感させた。

 撮られたのは掲載の2日前。昭和天皇が米大使館に元帥を訪ねた初会談の時だ。外務省の公式記録には「写真三葉ヲ謹写ス」とある。「元帥ハ極メテ自由ナル態度」で、天皇に「パチパチ撮リマスガ、一枚カ二枚シカ出テ来マセン」と説明した。

 未発表の2枚はいま、米国バージニア州のマッカーサー記念館にある。1枚は元帥が目を閉じている。別の1枚は天皇が口元をほころばせ、足も開いている。どちらも、発表されたものに比べて、天皇が自然体に構えている。そのぶん「敗者らしさ」が薄まって見える。

 あの写真は勝者を際立たせただけでなく、時代の歯車も回した。載せた新聞を、内閣情報局が発売禁止にすると、これに怒った連合国軍総司令部(GHQ)が「日本政府の新聞検閲の権限はすでにない」と処分の解除を命じた。同時に、戦時中の新聞や言論に対する制限の撤廃も即決したのだ。

 翌30日の新聞で、それを知った作家の高見順は『敗戦日記』(中公文庫)に書いた。「これでもう何でも自由に書ける……生れて初めての自由!」。こんな、はじける喜びの浮き浮きした感じにこそ、あの写真が語り継ぐ時代の重さの実感がこもっている。

 最近の言葉から。小泉自民党が圧勝した総選挙。故三木武夫元首相の妻睦子さんは、二大政党の流れとあわせて護憲の埋没を憂える。「平和への思いを継いでくれている人がほとんどいない」

 万博の次は夏季五輪。東京都知事は「閉塞(へいそく)感を打破するためにも、日本の首都である東京に」。福岡市長は「ヒューマンスケール(身の丈にあった)の五輪をめざす」。札幌も動いているが、いま、なぜ必要かの議論が欠かせない。

 1万3千円をだまし取った30代の男性が、横浜で逮捕された。家庭に恵まれず、職も失っていた。更生できると弁護士らが奔走し、就職先を見つけて執行猶予を得た。男性は言った。「もう、まともには生きていけないと思っていた。得たものの方が大きかった」

 不登校を経て仕事に就いた人たちが『学校に行かなかった私たちのハローワーク』(東京シューレ出版)に思いをつづった。「子どもは時期を待つと、自分のペースで、きちんと一つひとつ階段をのぼっている。あぁ、私はこの感覚を知っている、と思った」(保育士26歳)。

 岐阜県の旧加子母(かしも)村の住民グループが毎月情報紙を出している。合併で村の広報が廃刊になり、行政の印刷機を借りて1千世帯に無料で配る。編集長の秦雅文さんは「『読んだよ』という声を掛けられるのが一番うれしい」

 78年間連れ添う鹿児島県肝付町の池袋幾久治さん、知恵さん夫妻がそろって白寿を迎えた。「悪いところは助け合い、良いところを尊敬し合う。そして笑顔を絶やさないことが大切」と知恵さんは言う。

 「口をのぞけば家庭がみえる」。小児歯科にかかわる人の間で、そんなことが言われている。治療をしないまま、たくさんの虫歯が長く放置されている。口の中が不潔で歯垢(しこう)がべったり張りついている。こんな時、保護者に子育ての様子をたずねてみることも提唱されている。

 3年前、暴力や育児放棄などから保護された子どもを東京都と都歯科医師会が調べたところ、虫歯や未治療の歯が目立った。「歯科の現場で児童虐待のサインを見つけられるかもしれない」と、各地の歯科医師会では、異変を発見したら連絡するよう会員に呼びかけるところも出始めた。

 「でも、もう一押しが足りません」と千葉県歯科医師会長の岸田隆さんは言う。昨年から注意を促しているが、報告はまだ一件もない。

 「そもそも、進んで治療に来る子の家庭に問題がある可能性は低い」と岸田さんはみる。発見の一つの鍵は乳幼児に一斉に行う歯科検診だが、十数%は会場に来ない。色々な事情が考えられるが「やはり、その十数%に問題が潜んでいるのではないか」

 未受診の子を訪ね歩き、歯を診て、保護者とも言葉を交わしてみてはどうか、と岸田さんは提案する。子どもたちを救う大きな手だてになるのではないかと、目下、県に予算を組んでくれるよう求めているところだ。

 昨年度の児童相談所への虐待相談は全国で約3万3千件。十数年で30倍に増えた。心を凍らせた子どもは、まだたくさんいる。「無関心ではいられない」。岸田さんの言葉は、大人一人ひとりに投げかけられている。

 戦前の逓信相小泉又次郎氏の肉声を聴く機会が先日あった。小泉首相のおじいさんである。札幌市の元公務員森山正男さん(65)が先月末入手した古いレコード盤に演説が収められていた。電話口でそれを聴かせていただいた。

 「予算成立後の会期最終日に突如議会を解散するとは武士にあるまじき行為。予算食い逃げ内閣である」。昭和12年の春、林銑十郎内閣の唐突な解散を糾弾した。朗々とした声、文語調の言い回し、殺し文句の使い方も巧みだ。その5年後に生まれる孫が後年首相を務め、解散を強行することになるとは知るよしもない。

 又次郎氏は「入れ墨大臣」と呼ばれた。神奈川県の漁村にとび職の次男として生まれた。背中に竜の図を彫り、港で気の荒い労働者を束ねた。教員や県議をへて衆院当選12回、城山三郎氏の『男子の本懐』(新潮社)にも庶民派大臣として登場する。

 戦前の政界名鑑を開くと、普通選挙運動の闘将として「血を吐くような熱弁」をふるったとか、警官の制止をはねのけて「活火山のごとく」演説したとある。扇動型の弁舌だったらしい。

 それに比べると、昨日の小泉首相の所信表明演説には華がなかった。米百俵の逸話を紹介し、墨子やダーウィンを引いた従来の演説と比較しても、平板で高揚感がない。捨て身の衆院選で大勝し、この先何を志すのか聞いてみたかった。

 外見こそ父親似だが、首相の直観や話術は祖父譲りと言われる。ケンカもたんかも上手な「入れ墨又さん」の遺伝子が再び暴れる日が、残り1年の在任中にあるのだろうか。

 8年ほど前、ある運送会社で社員に髪を黒く染め直させようとしてもめたことがあった。髪を黄色く染めた若手を、上司が「取引先に印象が悪い」と説得した。社員は「好みの問題」と譲らず、3週間やり取りした末に解雇される。

 社員が訴え、争いは裁判の場に持ち込まれた。「染髪で社内秩序が乱されたというのは大げさ。解雇権の乱用だ」と会社側が敗れている(「労働判例」732号)。

 今日が千秋楽の大相撲秋場所でも、関取の髪を黒く染めさせるかどうかが話題になった。バルト海に面した東欧の小国エストニア出身の把瑠都(バルト)である。生まれつきの金髪だが、入門からわずか8場所で関取に昇進し、その鮮やかな髪に改めて角界の目が集まった。

 関取になれば大銀杏(おおいちょう)を結うのが決まりだが、これまで金髪の大銀杏など見たことがない。今場所をわかせた琴欧州は、 ブルガリアの生まれだが、髪は黒に近い。朝青龍らモンゴル勢や、曙らハワイ出身者にも金髪の関取はいなかった。

 「大銀杏は目立つからやはり黒く染めた方が」という声が一部で伝えられた。だが日本相撲協会では「自然な色のままでよい」という意見が優勢のようだ。「生まれつきの髪がいい」と本人にも染める考えはないらしい。

 番付にはロシア、チェコ、ブラジルと外国勢が並ぶ。多くは10代で来日し、日本語を覚え、伝統的な日本文化になじもうと努力してきた。昇進すると髪の色まで変えられるのではやはり気の毒だろう。そういえば、秋を彩るイチョウの大葉はもともと輝くような黄金色である。

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