まさか。そう思って、2度、3度と検算してみた。やはり正しい。うーむ。考え込んでしまう。先日あった総選挙での300小選挙区の票数のことである。

 自民、公明両党の候補者の得票数を合計すると、ざっと3350万票だった。一方の民主、共産、社民、複数の新党や無所属を全部合わせると3450万票を超えている。なんと、100万票も与党より多いではないか。

 小泉首相は断言していた。「郵政民営化の是非を問う選挙だ」。そして、法案に反対した自民党議員の選挙区に「刺客」を送った。「民営化反対だけの候補者になったら有権者も困る。賛成の自民、公明どちらかの候補者を出さないと選択できない」という理屈だった。

 まるで、小選挙区で民営化への白黒をつける国民投票を仕掛けたように見えた。ならば、この票数では民営化は否決されたことにな りはしないか。反論はあろう。無所属の中には民営化賛成もいたとか、比例区の得票数なら与党の方が多いとか。

 でも与党の議席占有率ほど、民営化の民意が強くないのは確かだ。小選挙区制は死票が多いぶん、民意のわずかな違いが大きな議席の差を生み、政治を一気に動かしていく。12年前、カナダで約150あった与党の議席が2に激減した例もある。

 とはいえ、民意を一方向に束ねたような今回の結果には改めて驚いた。きょう、小泉首相は所信表明演説で郵政民営化を熱く語るはずだ。そのとき、小選挙区への投票者の過半数が、必ずしも民営化に賛成ではなかったという事実は、頭の片隅にあるのだろうか。

 黒っぽい墓石の上に、一枚の桜の葉が載っている。もうしっかりと黄色に染まって、気の早い桜だ。線香の煙が漂ってくる。秋の彼岸の中日に、東京都港区の都青山霊園に足を向けた。

 大久保利通、乃木希典、犬養毅、志賀直哉……。広い敷地には、日本の近、現代史に登場する人物の墓が点在している。

 そこここに、小さな白い看板の立つ墓がある。「10月までに使用者が申し出なければ、無縁仏として改葬します」。霊園の再生計画を進める都が、墓の権利関係を整理するために立てたという。看板は、著名人の墓の前ではあまり見受けないが、万を超す区画の中には、長く使用者との連絡がつかない墓もあるようだ。

 小さな看板が林立する一角があった。外国人墓地だ。明治の文明開化のころから日本に西洋文明を伝え、故国に戻ることなく日本の土となった人たちが多く眠っている。

 紙幣の印刷を指導したイタリア人キヨッソーネの墓のように、手入れが行き届いているものもあるが、白い看板が立てられた墓が並んでいる。しかし都では、外国人墓地は歴史的な価値が高いので、原則として現状のまま残すという。この外国人墓地からほど近い区画に眠る斎藤茂吉の歌集「ともしび」に、こんな一首があった。〈ならび立つ墓石(はかいし)のひまにマリガレツといふ少女(をとめ)の墓も心ひきたり〉。

 そう大きくはない簡素な茂吉の墓には「茂吉之墓」とのみ刻まれている。供えられた花は、まだ新しい。白菊とリンドウの間から白ユリが首を伸ばし、秋分の空に向かって開きかけていた。

 3年ほど前までは、家屋と駐車場が入り交じった一角だった。去年あたりから、家が一つまた一つと取り壊され、今では駐車場だらけの大きな広場に姿を変えた。東京の都心部の、ある住宅街の変容だ。

 その様子から、何かが忍び寄って来る気配は感じていた。先日、東京の地価が軒並み上がっていると知り、あのバブル期の狂騒が再来するのではないかと不安を覚えた。

 東京証券取引所では、バブルのころよりもはるかに大きな商いが続いている。株価も上がってきた。インターネットを通じた個人投資家の短期売買の繰り返しが出来高を押し上げているとはいえ、巨額のオイルマネーが流れ込んでいるとの見方もあるという。

 バブル期と今とでは、時代の様相は随分違う。銀行が土地買収の資金を大量にばらまき、不動産業界も市民も踊ったあの異様さの再来は考えにくいかもしれない。しかし、歴史は繰り返すともいう。

 石原慎太郎?東京都知事が、2016年のオリンピックを再び東京に招致する活動を始めると表明した。64年の五輪では、都心の川を埋めて道を造り、道の上にまた道を走らせ、東京を車優先の街に変えてしまった。いわば車とビルのバブルで街並みを壊し、地上の人の視野を奪った。今はむしろ、五輪よりも前の街の姿を取り戻す試みの方が必要なのではないだろうか。

 東京には、五輪で得たものと失ったものが数多くある。いったん失ってしまえば回復するのは難しい。その功罪を見極めず、やみくもに誘致に走るとすれば、バブルの再来をあおりかねない。

 特別国会が始まる前夜、森前首相が自党の新人議員の一部を皮肉った。「歳費がこれだけもらえてよかったとか、宿舎が立派でよかったとか、こんな愚かな国会議員がいっぱいいる」。批判は自由だ。しかし、その議員を候補に選んだのはどの党かと問いたくもなる。

 昨日、小泉首相が生みの親とも言える「小泉チルドレン議員」が続々初登院した。失礼ながら、国会が小泉?テーマパークになったかと錯覚しかけた。

 国会は一段と小泉色に染まりそうだ。こんな時こそ、しっかりとしたご意見番が欲しいが、なかなか見あたらない。かつて、そうした貴重な存在だった後藤田正晴?元副総理が、91歳で死去した。官僚として旧内務省に勤め、戦時中は台湾に出征した。戦後は警察庁に身を置き、その後は自民党政権の中枢に居た。庶民には経験しえない道を歩いた人だが、独 特の人情味と大局観があった。

 7歳で父を、10歳で母を失った。なぜ自分だけ両親がないのかとの思いを持ち続けながら、負けず嫌いの頑張り屋になったという。

 96年に衆院議員を引退したころ、日本の政治でいちばん大切に思っていることは、と問われて答えた。「それは平和を守ることですよ。海外へ出て武力行使なんてのは絶対やっちゃいかん、それだけだ。なんでそういう愚かなことを考えるのかね」(蛭田有一写真集『後藤田正晴』朝日ソノラマ)。

 若き日の戦争の実体験で身にしみた、痛切な戒めなのだろう。その言葉は、議員の大半が戦争を知らない世代となった国会への、遺言のように聞こえる。

 清の時代に書かれた長編小説「紅楼夢」は、中国の四大古典小説の一つとされる。大半は曹雪芹(そうせつきん)の作といわれ、大貴族の盛衰や、主人公を取り巻く女性らの人間像が多彩に描かれている。

 北京での6者協議の共同会見で、武大偉(ウーターウェイ)?中国外務次官が、「紅楼夢」を劇にした作品の歌詞を紹介したという。「一つ一つの高山、一枚一枚の壁」で、「合意への過程は、我々6者が山を越え、壁を乗り越える過程だ」と述べた。北朝鮮が、すべての核兵器と今ある核計画の放棄を約束した共同声明は、守られれば、世界の安定にとって大きな一歩になる。協議の議長国としてホッとした場面なのだろう。

 武次官は、中秋の名月には月見を名目に夕食会を開き、月餅を振る舞って長時間各国を説得したという。紅楼夢にも中秋の名月のくだりがあった。

 男が酔ってうたう。「時しも中秋十五夜の満月、すがすがしい光が欄杆に囲まれた中庭をくまなく照らし渡している」(岩波文庫?松枝茂夫訳)。「名月の庭」で何が動いたのかは分からないが、各国とも、とりつく島を失わないで済んだ。

 「この大宇宙、もとより東西も南北もないのだから、どこに住みつこうと同じこと。空中より来たからには、空中に去るまでだ」。これも紅楼夢の一節だが、現実世界のくびきは重い。

 日朝間には拉致問題が重く横たわる。北朝鮮が拉致被害者のものとして提出した遺骨は、日本側のDNA鑑定では別人のものと判明した。道は険しいが、政府は共同声明の順守を促しつつ、拉致問題での協議も強く進めてほしい。

 山路(やまみち)を登りながら考えた漱石は「兎角(とかく)に人の世は住みにくい」と「草枕」で書いた。「住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束(つか)の間(ま)の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。こゝに詩人といふ天職が出来て、こゝに画家といふ使命が降(くだ)る」。芸術の誕生だ。

 東京で開かれていた「書はアートだ! 石川九楊の世界展」を最終日のきのう見た。「アートだ!」という言い方に軽みとユーモアを感じて行ったが、気鋭の書家の「書業55年?還暦記念展」の中身は重かった。

 福井県に生まれ、5歳で本格的に書を始めた。大学卒業後に会社勤めもしたが、書家として独立、実作の他、書や文字に関する評論も多く発表してきた。

 作品は、現代詩や自作の詩を書に表したり、「源氏物語」や「徒然草」を極細の線が延々と続く筆致でつづったりと、一つ一つの字は読み取れないものも多い。しかし細く震えるような線と線が重なり合って、新しい表現を生み出している。文字による絵のようであり、建築のようでもあった。

 次に東京の練馬区立美術館の「佐伯祐三展」(10月23日まで)へ向かった。パリの通りの壁に、広告の文字が所狭しと書き込まれた「ガス灯と広告」の前に立つ。

 石川さんは、「このような佐伯の文字への関心は尋常ではないように思われる」と書いている(『書と文字は面白い』新潮文庫)。この画風を書でいえば、草書をさらにくずした「狂草体」とする評もあるという。ひしめき合う文字の群れを見ながら、佐伯に「画家といふ使命が降」った時を思い浮かべた。

 民主党の新代表に決まった前原誠司氏は、比叡山を東に仰ぐ京都市左京区で育った。卒業した市立修学院小学校のホームページを見ると、校歌は「み空に高き比叡の峰」を歌い、校舎から見た山影が紹介されている。

 比叡山を織田信長が攻めたのは1571年旧暦9月中旬のことだ。僧兵の拠点、延暦寺を焼き払い、僧俗数千人を殺害したという。その比叡山を見て育ったであろう前原氏が最大野党の顔となったことに、信長好きの小泉首相は今どんな思いか。

 今年ほど首相が信長を頻繁に語ったことはなかった。郵政改革を桶狭間の合戦にたとえ、閣僚には「明智光秀になるな」と念を押した。「私は信長のように非情だと言われるが、戦国武将たちに比べれば自民党の権力闘争なんか生っちょろい」と演説した。信長への思いは学生以来らしいが、このごろは言外に自己陶酔もちらつく。

 最近の愛読書は『信長の棺』(日本経済新聞社)だ。「首相が解散を決めた一冊」などと大仰な宣伝がされているが、読んで著者の年齢に目がとまった。加藤廣氏75歳。これがデビュー作である。

 中小企業金融公庫や山一証券に勤務し、経営評論家として独立した。学生時代に作家を夢見たことはあったが、小説の筆をとったのは65歳からだ。

 信長が「余はこの国の無能者の掃除人になることに決めた」と語る場面がある。とりつかれたような変革志向に、加藤氏も首相との類似性を見る。政敵一掃を狙うかの観もある首相とどう渡り合うか、民主党を背負う新リーダー43歳の手腕が問われる。

 米国ではこのところブッシュ大統領が新たに最高裁長官に指名したジョン?ロバーツ氏の話でもちきりだ。上院の過半数の承認が必要なので、連日議会で公聴会が開かれ、厳しい質問が浴びせられている。

 「患者が生命維持装置を外してくれと言ったとき、死ぬ権利は認められるか」「抽象論では答えられない。個々のケースが出る前に予断を与えたくない」。ロバーツ氏は大統領好みの保守派と言われるが、リベラル派にしっぽをつかまれないように、巧みに質問をかわす。

 野党幹部が「いつまでもそうやって答えを拒否し続ければいい」と悪態をつくほどだ。米国が熱くなるのも無理はない。最高裁が積極的に違憲審査権を行使する米国では、だれが裁判官になるかで政治の流れが変わるからだ。

 黒人と白人が別々の学校に行く隔離政策をやめさせたのも、女性に妊娠中絶 の権利を認めたのも、最高裁の判決だった。米国の政治学の教科書を開くと、最高裁の裁判官9人を思想的に左から右に順番に並べて解説してある。

 かたや日本では、どれだけの人が最高裁の裁判官の名前や考え方を知っているだろうか。総選挙で裁判官の国民審査の用紙を手渡されて、とまどった人が多かったのではないか。政治に距離を置いてきた最高裁の姿勢が国民の関心を遠ざけてきた面もあるだろう。

 とはいえ、米国でも、保守派と思われていた人がリベラルな判決を連発し、任命した大統領が地団太を踏んだ例もある。そういう裁判官はレーダーに映らない軍用機をもじって「ステルス」といわれるそうだ。

 樋口一葉の日記に、総選挙の投票日についての一節がある。「この日総撰挙投票当日なれは市中の景況いつ方も何となく色めきたる姿なりし」(『明治文学全集』筑摩書房)。

 当時は、女性に選挙権はなく、男性の限られた層しか投票ができない制限選挙だった。それでも文面からは、選挙という新しい仕組みが始まった明治中ごろの街と人々の様子がうかがえる。

 それから1世紀余りたった今、選挙権は成人した日本人に行き渡っている。しかし、外国に住む日本人には、国政選挙では比例区の投票しか認められていない。この「制限選挙」は不当だとする訴えを最高裁大法廷が認め、「公選法の規定は憲法違反だ」という判断を示した。

 これまでは、国政選挙のありかたについては、国会の裁量を幅広く認める判断が主流だったから、流れを大きく変える判決だ。国民の投票する権利を重くみて、不当な制限を長い間放置してきた国会の無責任さを指摘した。これに限らない、立法府の怠慢への、厳しい警告のようにもみえる。

 世界では、多くの先進国に在外選挙の制度がある。国立国会図書館によると、選挙資格で出国後の年数を問う国と問わない国とに分かれている。制限がないのは、アメリカ、フランス、イタリアなどだ。ドイツでは一般人の場合、出国後10年、カナダは5年まで資格がある(『在外選挙ハンドブック』ぎょうせい)。

 今回の判決で、最高裁は、1人当たり5千円の慰謝料を原告に支払うよう国に命じた。額は樋口一葉1枚だが、原告が手にしたものは重い。 

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