周二 8 3月 2005
转译:《自杀日记》47
Posted by yanmin under 乱谈
No Comments
“即刻去死!”又是一封这样的邮件。我没有再像以前那样冲动,真的就想要去死。只是随意地接收了。这样冷静,连我自己都感到难以理解。鄙视、疏远、还有一些明知道要后悔的事,都默默接受了。有什么要紧呢?我本来就不配活在这世上。
以前割腕的伤口已经长出了新肉。疮痂脱落,呈现出古怪难看的肤色。明天去诊所的时候,一定要把伤痕遮住。
还有54天。
周二 8 3月 2005
Posted by yanmin under 乱谈
No Comments
“即刻去死!”又是一封这样的邮件。我没有再像以前那样冲动,真的就想要去死。只是随意地接收了。这样冷静,连我自己都感到难以理解。鄙视、疏远、还有一些明知道要后悔的事,都默默接受了。有什么要紧呢?我本来就不配活在这世上。
以前割腕的伤口已经长出了新肉。疮痂脱落,呈现出古怪难看的肤色。明天去诊所的时候,一定要把伤痕遮住。
还有54天。
周一 7 3月 2005
如果那天,他知道自己只余十年的生命,他会不会更眷恋地在长长楼道徘徊,轻抚自己战斗了半辈子的地方?
名字、年龄、伴随经历,寥寥数语。伫立良久,才能想起的十年前那个瘦削高大、有些落寞萧索的身影。
没有更多的记忆了。
愿他一路平安。
周六 5 3月 2005
Posted by yanmin under 闲聊
No Comments
酝酿了一天,终于找到继续写这个题目的情绪了。
____________________________________________
据这些天做的调查,几乎可以肯定:94级报到那一天,我们是每人交了180左右,领到了13件日用品。也就是后来说的垄断啦、黑心棉啦之类的东西。但是,非常幸运的是,我们没有享受到黑心棉。只在一年后,很惊讶地看着93级的师姐晾出形状奇怪的被子。像褡裢一样,中间是薄的、稀的、透亮的。看得见经纬。两端鼓囊囊,都是碎棉絮。可是,无论是她们的被子,还是我们的被子,大部分人都盖了4年(也有人需要盖5年:)。好吧,把这13件新生用品数完,结束9月2日的记事。
凉席一张;褥子一张;床单一张;被子一床;被套一床;枕头一个;枕巾一条;蚊帐一顶;夏装运动服一套;冬装运动服一套;塑料桶一个;塑料盆一个;热水瓶一个。
最后,综合商店热情赠送广大新生每人一双球鞋,欢迎大家凭票领取。
9月3日—-9月10日
9月3日下午5点多,我和于蓝在第三饭堂的小卖部在学校见到了第一部电话。我们轮流给家里打了第一通电话。我还记得那时电话费是6毛钱/分钟。其实,我对6毛钱还没有很确切的概念,却很清楚长途电话=贵这个常识。那天,只讲了不到一分钟,除了价钱,更因为我马上就要哭出来了。我没想到自己会哭,却在听到妈妈声音的那一霎那,鼻子酸了。但是我不要让妈妈知道我要哭了,不要!于是,强忍着应答了几句,便挂了电话。
查阅94年的日历,9月2日是周五。也就是说,我们过了周六和周日,才等来新生介绍的一周。
是的,那时候没有双休,所以周六才是周末。当时,广外的学生不需要军训。这是我的第一个不满。军训生活,是我对大学的所有期望中很重要的一个部分。纯体力付出、挥汗如雨、集体主义……竟然没有!好吧,那就新生介绍。所谓新生介绍,就是各种各样的报告和会议。大多数报告和会议都是在电影厅进行的。记得那天,好不容易找到了电影厅,站在门口,我想:啊,这就是大学的阶梯教室啊。真大!各种各样的领导讲过什么,我已经忘得一干二净。只记得一次会议上,某位领导(好像是李huadeng吧,那时他好像还是学生处长。)警告大家不要随便走出校门,尤其是北门。最重要的是不要去北门外的一家大排挡,叫做“食最鲜”。说那里人员混杂,有很多陈田农民,容易起矛盾。我当时坐在很靠主席台的位置,第一次听到“大排挡”这样的名词。心想:好一个大排挡,居然要这样被提及,可不是活广告吗?后来我知道,这家大排挡的名气早已远不需要学校领导来介绍了。为了说明那里的危险性,这位领导介绍了最近一次的斗殴事件,大意如下:“食最鲜”分里外两间。这天,里面靠窗的一桌坐了我校的一些男同学,窗外是一桌社会人员。不知出于什么原因,一个靠窗的男生把筷子扔了出去,结果偏巧不巧,落在了外面一桌的菜上。于是,这桌社会人员勃然……11年前听来的故事了,不知有多少是我在后来想象的。因为后来每一次去“食最鲜”都试图找出那扇扔出筷子的窗户,在什么位置,才会使扔的人真的是无心扔出呢?
除了开会,大多数时间我们都呆在宿舍。9月3日,新生报到的第二日,我们就在宿舍见到了辅导员。他对我们说他是我们的辅导员,有什么需要就对他说。可是辅导员是什么呢?我费了很大的劲也没想明白。“相当于班主任嘛?”我问他。“不完全是。……”他的回答很长,可是我没听懂。只有一点很明白,那就是他是我们这些天见到的第一个也是唯一一个与我们有关的老师(学校人员?)。所以,我、ookyoo、陈san这三个外校生马上向他提出了我们的困难:要补英语。以后几天,他经常来女生宿舍了解大家的生活及思想。我们的问题始终没有变过。大约一年以后,我才知道那几天的谈话有多可笑。我们始终没有听懂他的意思,而他也始终没有想要帮我们解决有关学习的问题。双方完全在讲着不相干的话。结果是,我们让他失望了。这应该是我在大学里的第一堂课吧,—-要领会老师的意思。这个辅导员姓刘,他来学生宿舍的目的,一为了解新生的生活,二是要发展新的学生干部。可是,谁会在开学第一周想要成为干部呢?我甚至愚钝到搞不清什么学生干部、学生会、团委、校团委、广播站、《与你同行》、校报还有马列园地之间到底有什么关系?而这几个名词一再出现在刘介绍的先进人物事迹中。所以,我们的回答始终是“谦虚”的:刘老师,我们还差得很远。我们还要补习英语,因为我们高中三年都没有学过英语了。您能告诉我们怎么办吗?能给我们专门补课吗?如此三番,估计他的鼻子都要被气歪了。可我们真是无心的。
新生介绍最后一天下午,是班会。我又一次见到了郭老师,我们的班主任及精读老师。应该是精读老师兼班主任。实在班主任那时是个很副很副的工作,我完全记不得除了这一次班会,她做过什么。或者,后来她做的,都被我归到她作为精读老师的身份里去了吧。在第一年那样想家的日子里,郭老师的确给了我们温暖的感觉。
班会的重要议题:上大学的心情和计划。老师给每个人发了一篇文章,大意是一个穷苦的大学生如何发奋图强的故事。让大家看完了以后,谈谈自己的感想。发言是按座位顺序,从最靠窗的一列开始。我们有一个很戏剧性的开头。是芬,她讲述了自己上大学之前,家里人是怎样为自己凑学费,并表决心一定要努力学习,回报大家。讲到激动处,哭出声来。我想应该有不少人陪哭吧。至少我当时的心情就很沉重,眼泪在打转。郭老师大概没想到这个局面,请她坐下,安慰并鼓励了一番,就请下一位同学起来了。是etsu。好etsu,语出惊人:我觉得没有必要这样。钱嘛,花了挣回来就是了。我以后一定能挣回更多的钱。一直沉默的教室更安静了,可以感觉到空气中都是惊愕。刚才还都在低着暗自伤神的头纷纷抬了起来,看着etsu。她玩弄着发梢,非常坦然,没有一丝羞怯。这是这个班级留给我的最初的记忆,我爱94b。
我们是中国第一批缴费大学生,所以大部分家庭都没有做好花大价钱送孩子上大学的准备。我相信每个同学的2500元学费后都有父母的辛酸故事,但事情也的确像etsu说的一样,我们终会展开父母的愁颜。
接着,郭老师开始扮演精读老师的角色。说了一些关于日语学习的话,然后让我们买书。《日语语音》,8元一本。老师说:同学们把钱交齐,请班干部去教材课领书。下周一上课就要用。我们都傻了:还没有养成随身带钱的习惯啊。哪怕是8块钱。班里开始有些骚动。这时候,教室后方传来一个响亮的声音:我先把大家的钱交了吧。是ookyoo,我惊呆了。转头看着她。大家也都看着她。只见她站起来,大步走向讲台:老师,22个人,应该是176元吧。哇,那天的ookyoo真是高大伟岸!简直帅死了!当然,我们ookyoo也同时以最快的速度占领了第二个话柄:富婆啊!(林kun语)嘿嘿!ookyoo委屈死了:我只是没敢把没存的生活费放在宿舍而已。
就这样,开学第一周过去了。我开始熟悉学校的路。
周六 5 3月 2005
Posted by yanmin under 乱谈
No Comments
今天去踩点了。休诊。没关系,本来也只是想确认一下地方而已。我把电话簿的广告上写的地址抄在纸上,慢慢走着去。大约三站路吧。虽然离车站有些远,不过路不绕,没费什么力气就找到了。门面不大,玻璃门里下着百叶窗,所以看不见里面。从外表看来,里面应该不大。周二还要来一趟。
离开时,转身的瞬间看到了自己在路边的车窗里映出的身影。哈着背,了无生气;单眼皮;厚嘴唇;塌鼻梁;显然是个丑陋的无可救药的家伙。连我自己都认为那是副全世界最丑的嘴脸。
还有55天。
周五 4 3月 2005
Posted by yanmin under 乱谈
No Comments
我越来越坐立不安。周二去诊所,跟医生说失眠,他就会给我安眠药吗?不给怎么办?
已经有好多年没和人面对面认真地聊了。一个朋友都没有过,也从不曾跟老师对谈。老师问我什么,我只会回答“是”、“不是”。
和爸爸也是几乎不说话的。尤其是自己搬出来住以后,面都不见了。其实那样对大家都好。
要么就是跟人说话的时候,紧张万分,大冷天也能出一身汗。不是抢话,就是跑题,总之谈不起来。还会被人笑话。
所谓交谈,真是吓人。
还有56天。
周三 2 3月 2005
Posted by yanmin under 天声人语
No Comments
朝方の冷え込みは、まだ厳しいものの、晴れた日の陽光には春めいた柔らかさがこもる。「弥生(やよひ)ついたち、はつ燕(つばめ)、/海のあなたの静けき國の/便(たより)もてきぬ、うれしき文を……弥生来にけり、如月(きさらぎ)は/風もろともに、けふ去りぬ」。この「燕の歌」の作者?ダヌンチオは、イタリアの詩人?作家だ。
日本での「弥生来にけり」の実感は、シェークスピアの「花くらべ」の方に近いかもしれない。「燕も来ぬに水仙花、/大寒こさむ三月の/風にもめげぬ凛々(りり)しさよ。/またはジゥノウのまぶたより、/ヴイナス神の息よりも/なおらふたくもありながら、/菫(すみれ)の色のおぼつかな」
この2編を含む欧州の詩人29人の作を上田敏が訳した『海潮音』が出版されて今年で100年になる。「山のあなたの空遠く」のブッセ、「秋の日のヴオロンのためいき」のベルレーヌ、ボードレールらの詩句がきらめく。
「人生は一行のボオドレエルにも若(し)かない」と書いたのは芥川龍之介だった。彼の妻の文(ふみ)が初節句に買ってもらった雛(ひな)人形が今、ふたりにゆかりの深い東京都墨田区の「すみだ郷土文化資料館」に展示されている(10日まで。月曜休館)。
箱書きは、明治34年3月だった。『海潮音』が出る4年前だが、1世紀もたっているとは思えないほど、保存状態が良い。五人囃子(ばやし)の細やかなしぐさからは、笛や鼓の音が響いてくるようだ。
龍之介と文の孫の芥川耿子(てるこ)さんが寄贈した。文が、60歳の節句に書いた色紙もある。〈古雛や顔はればれと六十年〉。雛祭りの明日、耿子さんが60歳になるという。
周三 2 3月 2005
Posted by yanmin under 天声人语
No Comments
黒人で初めてアカデミー主演女優賞を獲得した。ハル?ベリーにその名誉は一生ついてまわるだろう。3年前の贈呈式での受賞の弁はとまらなくなり、終了を促されたほどだった。「待って! 74年分の時間がほしいんです」。黒人受賞者が出なかった長い過去に言及したのが印象深かった。
今年は彼女を思いがけない賞が待っていた。失敗作「キャット?ウーマン」の主演が「評価」され、ゴールデン?ラズベリー賞の最悪女優賞に選ばれた。パロディー版アカデミー賞である。
先週末、贈呈式に現れた彼女は「ここに来たいと熱望したことは決してないが、とにかくありがとう」とあいさつし、あえて式に出席した理由を語った。「子どもの頃、母に言われた。良き敗者になることができなければ、良き勝者になることもできない、と」
最悪男優賞、最悪助演男優賞、最悪共演賞にはマイケル?ムーア監督「華氏911」に出演した米政権中枢の面々、ブッシュ、ラムズフェルド、ライス各氏が選ばれた。現職大統領としては初めてという「栄誉」だったが、贈呈式に彼らの姿を見ることはできなかった。
最悪女優賞をめぐるベリーの言葉はなかなか味わい深い。「アカデミー賞をもらう前に転んでも誰も気にしない。起きあがってほこりを払い、またゲームに戻ればいい。受賞後だと災難。頂点からどん底への落下だから」
華やかな本番のアカデミー賞にはない苦みがにじみ出る。ベリーはこう言って会場を後にしたそうだ。「あなたたちに二度と会わずにすみますように」
周三 2 3月 2005
Posted by yanmin under 天声人语
No Comments
そのむかし元号は頻繁に変更された。皇位が代わった時だけではない。天災や兵乱の年、吉祥の動物が献上された年にも改元されている。大化から平成まで平均で5年、短いと2カ月で変わった。
一番長いのは昭和だが、最初の昭和元年はごく短かった。暮れの25日に大正天皇が亡くなって昭和の世となり、1週間後にはもう昭和2年が始まる。元年の短さが最近、裁判で争点になった。
怪しい一味が東京都板橋区内の女性宅に忍び込んだ。通帳と印鑑を盗み、女性が1926年の6月1日生まれであることも割り出した。暦の換算表でも見たのか、一味は偽造した保険証に「昭和1年6月1日」生まれと書き込む。実在しない日付である。銀行に現れたのはそれらしい年格好の女性。窓口で保険証を見せ、定期預金600万円を引き出して逃げた。
被害女性は裁判を起こしたが、銀行は非を認めない。法廷では「昭和改元の詔書」も持ち出された。先週言い渡された地裁判決で、軍配は女性の側にあがった。「昭和1年がほとんどないことは社会常識のはず。行員は怪しい生年月日に気づくべきだった」と。
作家の佐野洋氏に『元号裁判』という小説がある(文春文庫)。大正15年12月24日に生まれた主人公が、あと1日遅ければ「昭和の子」になれたのに、とつぶやく場面がある。実際に時代の境目に生を受けた人たちにも、格別の思いがあるのだろう。
今年は昭和なら80年である。大正だと94年、明治では138年にあたる。「なりすまし犯」ならずとも西暦との換算には悩まされる。
周三 2 3月 2005
Posted by yanmin under 天声人语
No Comments
最近の言葉から。「ジャンケンから、日本社会が見えてきます」とウィーン大日本学科のセップ?リンハルト教授。ジャンケンの「三すくみの思想」に着目、「相互依存的で、絶対的な勝者や敗者をつくらない。平等思想の表れとも考えられます」。大阪府の山片蟠桃(やまがたばんとう)賞を受けた。
作家で僧侶の玄侑宗(げんゆうそう)久(きゅう)さんはよく逆立ちをする。「元気になるには言語機能を休ませないとだめです。生命体の本質は変化。固定化、つまり言語化できない状態にしなければ……(逆立ちで)あれこれ考えると倒れますから」
英国放送協会(BBC)に管理強化などの改革の波が寄せている。グレイド経営委員長は「BBCがBBCと認められるために譲れぬ一線がある。BBCの核心は公共の利益であり、政治的、商業的影響から完全に独立しているべきだという一線だ」
86年刊の『ミカドの肖像』で、西武グループが旧皇族の土地を次々に買収する様を描いた作家?猪瀬直樹さん。「鬼の亡霊に衝(つ)き動かされた歪(ゆが)んだビジネスはいずれ破綻(はたん)が待っている、その思いが筆を走らせた」
長野でスペシャルオリンピックス開幕。他人との意思疎通が苦手な選手たちの心のケアを5頭の犬が担う。「吃音(きつおん)に苦しんだ子供のころ、飼い犬に救われました。犬は人間を差別しません」と国際セラピードッグ協会代表の大木トオルさん。
寝台特急「あさかぜ」と「さくら」が終着へ。ブルートレイン乗車歴20年のJR西日本車掌?尾田勝志さん。「よくがんばった、お疲れさんって言って、さすってあげたいね」