天声人语


 ——そして誰もいなくなった。こんな副題の付いた紙芝居「あすなろ村の惨劇」を見た。といっても民主党のホームページの上でである。「やればできる!」を副題にした郵政民営化推進の自民党の紙芝居「あすなろ村の郵便局」に対抗して作られた。

 「みんないいかい、売れるものは何でも売ってくれ」。民営化された郵便局の局長が叫ぶ。小さな店が次々につぶれ、村はさびれてゆく。やがて郵便局は、人口減などで収支が悪化して閉鎖される。「そして、誰もいなくなった村には、人気のない閉ざされた郵便局だけが、廃墟となって残されていた……おわり」

 「やればできる」の方は、郵便制度をつくった前島密を登場させて、未来の郵便局を夢のように描く。「田舎の暮らしが便利になれば都会に行ってる仲間たちも、きっとこのあすなろ村に帰ってくるなあ」と、村の郵便局員に語らせる。

 佐藤春夫が「紙芝居の魅力」を書いている。「もうこれ以上には無駄を去ることが出来ないといふところまで追ひつめてゐるあの方法あの構造のせいではあるまいか」(『定本 佐藤春夫全集』臨川書店)。「あすなろ村」の2作に、この紙芝居の妙味はあるか。

 郵政民営化法案が衆院を通過した。賛否の差はわずかだったが、議場のテレビ画面からは、緊迫した感じはうかがえなかった。造反や処罰、果ては解散などという言葉まで飛び交うさまは、筋書きの定まった芝居を演じているようにすら見える。

 賛否双方の紙芝居だけではなく、国会の審議にも、真実味が乏しい。

 小泉首相は、今回の東京都議選では、街頭での応援演説を一切しなかった。前回とは大きな変わりようで、「今回は分が悪いから行かないんだ」との声も首相周辺にはあったという。

 開票の結果、自民はやや後退し、民主党が伸びた。小泉演説がなかったから後退したのか、それとも、なかったから、やや後退で済んだのだろうか。

 投票率は約44%で、過去2番目に低かった。政党の側では、都議選を次の国政選挙との絡みの中でみていて、都民の生活をどう変えるのかという論戦は乏しいようだ。本来なら都議選は、首都?東京をどんな都市にしていくのかというような未来像を浮かび上がらせる場でもあるはずだ。

 「今ノ東京ヲコンナ浅マシイ乱脈ナ都会ニシタノハ誰ノ所業(しわざ)ダ」。東京?日本橋生まれの作家?谷崎潤一郎が「瘋癲(ふうてん)老人日記」にそう書いたのは、64年の東京オリンピックの少し前だった。「アノ綺麗(きれい)ダッタ河ヲ、オ歯黒溝(はぐろどぶ)ノヨウニシチマッタノハミンナ奴等デハナイカ」。「奴等」とは、「昔ノ東京ノ好サヲ知ラナイ政治家」だという。

 谷崎は、大正末の関東大震災の後、関西に移り住んだ。震災から約10年後に、「東京をおもふ」を書く。「今の東京はコンクリートの橋や道路が徒らに堅牢にして人は路上を舞つて行く紙屑の如く、と云つたやうな趣がないでもない」

 谷崎が没して、今月で40年になるが、警句は今に生きている。そしてそれは、東京以外にも投げかけられている。その地の未来を左右する「奴等」を選ぶのは、他でもない住民自身なのだから。

 ミスターは左手を上げた。4万人を超す観衆から拍手がわき起こる。「おかえりなさーい」。きのう長嶋茂雄さん(69)が東京ドームに姿を見せた。昨春に病で倒れて以来のことだ。あの屈託のない笑顔が帰ってきた。

 アンチ巨人は多いが、長嶋嫌いはまずいない。天覧試合でのサヨナラ本塁打や、引退式での「巨人軍は永久に不滅」なんて変な日本語は、もはや伝説のように語り継がれている。背番号3の名場面を、みずからの人生の一コマと重ねて記憶に刻む人も多い。

 現役選手で活躍したのは、ちょうど高度経済成長期だ。大多数の人々が強くてかっこいいヒーローに心から熱狂した。子どもが好きなものといえば「巨人?大鵬?卵焼き」。そんな、どこか単純な時代だった。

 でも、あれは最初は「長嶋?大鵬?卵焼き」だった、と作詞家の阿久悠さんが本紙に書いていた。王貞治選手とともに「ON砲」と言われ始めた1963年に「巨人」に変わったという。

 現在の「長嶋?大鵬?卵焼き」は何だろうか。スポーツや娯楽の種類が増えて、好みも多様化した。勝利と人気を独り占めにする存在も見あたらない。あえて言えば、ヤンキースの松井秀喜、ゴルフの宮里藍選手らを並べて「松井、藍ちゃん、アイスクリーム」だろうか。

 でも、イチロー選手やサッカーのジーコ?ジャパンへの声援も熱い。子どもは回転ずしやから揚げも大好きだ。悩むほどに、いわゆる一つの長嶋さんの大きさを思った。すると草野球の打席でよく口にした言葉がよみがえった。「よばん、さあど、ながしま」

 現在の「長嶋?大鵬?卵焼き」は何だろうか。スポーツや娯楽の種類が増えて、好みも多様化した。勝利と人気を独り占めにする存在も見あたらない。あえて言えば、ヤンキースの松井秀喜、ゴルフの宮里藍選手らを並べて「松井、藍ちゃん、アイスクリーム」だろうか。

 でも、イチロー選手やサッカーのジーコ?ジャパンへの声援も熱い。子どもは回転ずしやから揚げも大好きだ。悩むほどに、いわゆる一つの長嶋さんの大きさを思った。すると草野球の打席でよく口にした言葉がよみがえった。「よばん、さあど、ながしま」

 6日から始まる主要国首脳会議の主会場は、英スコットランドのグレンイーグルズという古いホテルだ。「眠ったような田舎町で警備しやすい」と英紙は紹介する。

 サミットは30年前、パリ郊外の古城に三木武夫首相ら6首脳が集まって始まった。テロの懸念に抗議のうねりが加わり、4年前にはデモの若者が命を落とした。混乱を避けるため、近年は、高原や湖畔の保養地で催されることが多い。

 「瀬戸内海に浮かぶ直島(なおしま)ほどサミットにうってつけの場所はない」。米作家レイモンド?ベンスン氏は小説『赤い刺青の男』(早川書房)で、香川県の島を作中のサミット会場にあてた。007シリーズの最新作だ。沖縄サミットの翌年に直島を訪れ、ここを舞台にと思い定めた。

 2年前に邦訳される前から、地元では映画ファンらによるロケ誘致が始まった。同じ小説に登場する北海道登別市と協力し、8万人の署名を集めた。だが007映画を手がける英制作会社から色よい返事はない。「次の映画の原作は別の小説に決定ずみ。その配役も固まっていない段階で、次の次以降のロケ地は決められない」と。

 日本で撮影されたジェームズ?ボンド映画には、67年の『007は二度死ぬ』がある。忍者や海女が強調され、フジヤマ?ゲイシャ式の描写も多いが、海外での評判は悪くなかった。

 回り持ちも5巡目に入った本物のサミットで、日本が次に議長国となるのは08年である。京都、札幌、横浜などが誘致を競う。そのころまでに、007が活躍する「直島サミット」が見られるだろうか。

 「ある時、息子の洋服のお古を、千葉に住んでいた弟の息子に送ってあげようと思った。ところが、運輸業の社長である自分に送る手段がない」。元ヤマト運輸社長、小倉昌男さんは、「宅急便」を思いついたヒントのひとつを、そう記している(「私の履歴書」日本経済新聞)。

 国鉄小荷物や郵便小包ぐらいしかない頃で、家庭の主婦は不便な思いをしているはずだと思った。「それまで運送会社といえば荒くれ男のイメージが強く、主婦は業界から最も縁遠い存在だったが、実は大いなる潜在顧客だと気づいた」

 生活感に根ざした発想と強い指導力で、小口輸送の新時代を築いた。このアイデア豊かな開拓者は、骨っぽさでも知られる。路線免許の申請を何年も許可しなかった旧運輸省を相手に行政訴訟を起こした。

 創業者の父から江戸っ子の町人気質を受け継いだ。「二本差しが怖くておでんが食えるか」。そんな侍を恐れない意気が、官僚との闘いの支えになったという。

 21世紀が近づいた98年の元日、本紙は、各界の人たちの俳句による特集「21世紀を詠む」を載せた。〈初日の出車椅子寄せ接吻す〉。この小倉さんの句に添え書きがある。「日本は障害者が住み難い国です。21世紀は、ノーマライゼーションを実現したいものです」。私財を提供して福祉財団をつくり、障害者の自立実現のために尽力した。

 〈ほととぎす去りにし静寂(しじま)旅果つる〉。会長職を退いた時の作だ。惜しくも人生の旅は80年で終わったが、その気概や福祉へのまなざしは長く継がれてゆくだろう。

 とある路地をのぞいてみて、小体な家が十数軒並んでいたとする。この十数軒が抱えているローン残高を合わせると、ざっと10億円にもなる……。

 以前本紙に載った、国の予算を平均的収入のサラリーマンの家計に置き換えた記事からの連想だ。月収約52万円のこの「小泉家」では、郷里への仕送り(地方交付税など)や浪費がかさんで家計は大赤字だ。毎月多額の借金をしているが、気付いたらローン残高は約7千万円に膨らんでいた。

 こんな家はなかなか立ちゆかないだろうから、「小泉家」が並ぶ「借金計10億円の路地」は仮想の世界の話だ。では国ならば立ちゆくのかといえば、そうではあるまい。未来という「永遠の担保」をどう考えるかの問題だ。それをあてにして国債というローンを際限なく繰り返してきた結果が、日本をこんな空恐ろしい姿に変えてしまった。

 このローン地獄は改めなければならない。しかしその手だてを増税だけに求めるのはおかしい。政府税調が、サラリーマン所得の控除の整理?縮小を打ち出したが、取りやすいところを狙ったようにも見える。一方、無駄遣いや不当な支出の方での改善はほとんどない。

 鋼鉄製橋梁(きょうりょう)工事を巡る談合事件の捜査が日本道路公団に及んだ。公団の年間発注額は約1千億円にのぼる。談合を長年繰り返してきたとすれば、割高になった支払いに回された国民の税金は大変な額になるだろう。談合の裏に天下りや政治介入の構造はなかったのか。

 健全な未来像が描けるかどうかの瀬戸際に、この国はさしかかっているようだ。

 最近の言葉から。「やっとここまでたどり着いたという感じ。いいことはあまり頭に残っていない。少しのいい思い出のために、みんな一生懸命やっている」。広島一筋に17年、2千本安打を達成した野村謙二郎内野手。

 野茂英雄投手は日米通算200勝を記録した。道のりは長かったかと問われ「考えたことないです」。強いですね、には「強くはない。メジャーで野球がやりたいだけです。やりたければ、やるじゃないですか」

 大阪教育大付属池田小での殺傷事件から4年たった。「いまだに悪夢を見ているようで、今でも『ただいま』と元気よく、あの子が帰ってくるのではないかと思ってしまうことがあります」(池田小の集いで読み上げられた遺族の言葉から)。

 西武鉄道株事件の初公判が開かれ、人定質問で職業を問われた堤義明?コクド前会長が述べた。「別 にありません」。罪状認否では起訴事実を認め、書面を読み上げた。「いわゆる西武グループを統括していた者として責任を感じています」

 今年も「サクランボ盗」が多発している。軸ごときれいにもぎ取る手口だ。山形県東根市では、生産者らの「フルーツ防衛隊」がパトロールする。「今、サクランボ農家は相当、疑心暗鬼になっている」と、農協の担当者。

 家具などの不法投棄に悩んでいた福岡県朝倉町で、住民が手製の「石の神」を置いたらピタリとやんだ。大きな石にしめ縄を巻いて、御幣を垂らす。「神職から御幣の折り方が違うと言われたけど、これは自分たちだけの神様と割り切りました」

 1944年、昭和19年の7月、激戦のサイパン島で日本軍が壊滅した直後、米紙に「島のジャンヌ?ダルク」と報じられた日本人女性がいた。鶴見俊輔さんが『昭和戦争文学全集/海ゆかば』(集英社)の解説に記している。

 「日本軍最後の玉砕地点で発見したのは、意外にも、手榴弾(しゅりゅうだん)で自決をはかり下腹部に重傷を負っていたワック(女兵士)だった……この勇敢な“女戦士”のヤマト?ダマシイに強く心をうたれた」。ニューヨーク?ヘラルド?トリビューンは、そう書いたという。

 この時に18歳だった菅野静子さんは、山形県で生まれて間もなく、一家でサイパンに近いテニアン島に移住した。44年6月、米軍がサイパンに上陸した時、陸軍野戦病院の看護婦を志願した。

 追いつめられ、やがて自決してゆく兵士たちを看護した。いよいよ米軍が迫った時、野戦病院を出て生き残るようにと言われたがとどまった。自決しようとし、意識不明の状態で発見される。

 トラックで収容所へ運ばれる途中、断崖(だんがい)の近くを通った。そこから身を投げた多くの女性の死体が、眼下の波打ちぎわに浮かんでいた。背中と胸に、子どもをひとりずつ縛りつけた人もいる。「日本の人は、なぜ、こんなに死ぬのでしょうね」。ひとりの将校が、泣いていた(菅野さんの手記「サイパン島の最期」から)。

 天皇ご夫妻がサイパンを訪問中だ。今日は、61年前に多くの女性が飛び降りた「バンザイ?クリフ」での慰霊も予定されている。あの戦争の時代は遠くなっても、遠のくことのない記憶がある。

 第二次世界大戦後の平和がもたらしたものの一つは、団塊の世代だった。1947年から数年間に生まれた世代は、生年別人口のグラフに常に大きな出っ張りを形作ってきた。

 戦後60年たって「2007年問題」がとりざたされている。団塊の世代の定年退職が集中し始める07年以降、企業内の技術の継承が難しくなるといった懸念だ。団塊の世代を51年生まれぐらいまでとみれば、2007年問題は「2007年から問題」である。

 団塊の世代の大きさが絡む、もう一つの「2007年から問題」がある。07年には、大学の志願者と入学者がほぼ同数となり、全体としては「大学全入」になるという。

 団塊の世代の子どもが大学に入っていたころ約200万人だった18歳人口が、この10年で約150万人に減った。団塊ジュニアの厚みを当て込んでいた大学も多かったが、受験生の確保に悩むところが増えている。

 受験生減で経営が行き詰まる「大学倒産」の時代の到来を告げるかのように、山口県の萩国際大学が民事再生法の適用を申請した。生き残りのための厳しいせめぎ合いが始まっている。1000年近い歴史をもつ欧州の大学を見習って始まった日本の大学だが、蓄積も施設も膨大なものになった。それを二つの「2007年から問題」に生かせないだろうか。

 例えば、会社などを続々卒業する人たちを大学の「新入生」として受け入れる。あるいは、大学を技術の継承の場として提供する。この「還暦大学」に、月に何回か通う。そんな、ゆったりとした生き方を夢想した。

 シャーロック?ホームズと言えば、難事件を解決する名探偵だ。しかし、時には失敗もあった。犯人に出し抜かれて、助けを求めに来た依頼人が殺されてしまう。南北戦争後の米南部を背景にした短編「オレンジの種五つ」である。

 オレンジの種の入った封筒を送りつけられた人物が、次々と謎の死を遂げる。秘密結社のクー?クラックス?クラン(KKK)の仕業だった。ホームズの話は物語だが、KKKは、奴隷解放に反発して白人至上主義を唱えた実在の右翼団体で、今も小規模ながら存在する。

 この組織の名を、久しぶりに聞いた。41年前、米ミシシッピ州で、黒人の地位向上に取り組む活動家3人が殺された。白人の組織的犯行だったが、南部の人種差別の壁に阻まれて真相解明が進まなかった。裁判がようやく動き出し、主犯格のKKK元幹部が有罪判決を受けたのだ。

 KKKで連想するのは、白い山型ずきんとガウン、燃えさかる十字架だが、被告席に現れたのは、酸素吸入のチューブをはめた80歳の車いすの老人だった。

 地元では「時代は変わった。古傷にさわるな」という声も強い。検察官は「あまりにも長い間、我々は重荷を背負ってきた」と町の汚名返上を説いた。殺人1件につき禁固20年、合計60年の判決が出た。被告は上訴したが、有罪が確定しても、刑期を務める時間はどれほど残されているのか。

 ちなみに物語の方は、ホームズが周到に復讐(ふくしゅう)の網を張ったが、脱出する犯人を乗せた船は、嵐で大西洋の藻くずと消えた。裁きは人間を超えた所から来たのである。

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