天声人语


 踏切での衝突事故でもなければ、電車同士の衝突でもない。それなのに、これほどまでに多くの犠牲者が出てしまったのはなぜなのか。兵庫県尼崎市のJR宝塚線(福知山線)での脱線事故の現場は、最近の鉄道事故では見られなかったような、すさまじいものとなった。

 マンションに衝突した車両の車体は、まるでブリキのようにくねって、ぺしゃんこになった。現場近くの線路では、車輪が石を踏みつぶしたような跡がみつかったという。原因究明を迅速に進めてもらいたい。

 電車がいつもより速いスピードで走っていたという乗客の話もある。手前の駅で行き過ぎて戻ったために遅れが出て、取り戻そうと急いでいたとの推測もある。宝塚線は、尼崎駅で他の線と接続しており、わずかなダイヤの乱れが乗り入れ先の路線にも影響を及ぼす。乗務員は遅れを出さずに運行することを会社から求められていたという。

 ここで思い起こすのは、整備ミスや運航規定違反が続いた日本航空が、国に提出した回答書のことだ。一連のトラブルの背景の一つとして「定時発着を優先し、大前提である安全がおろそかだった」と述べている。

 公共の交通機関にとっては、「定時」は信用の要だ。しょっちゅう遅れていたのでは利用者から厳しく問われる。しかし、肝心の安全の方が失速してしまったら、取り返しがつかない。

 全国の交通機関は、安全がおろそかになっていないかどうか、再点検してほしい。どんなに遅れが大きくなろうと、永遠に着かないという悲惨さとは、比べようもない。

 1年近くテレビ界をにぎわせた血液型番組のブームがひとまず去った。「最強血液型大実験」「血液型まるごと3時間」。そんな番組をこの春はほとんど見かけない。

 ABO式の血液型で性格を四つに分けてしまう血液型診断は、戦前から繰り返し批判されてきた。科学的根拠がないとか、偏見を助長するなどと退けられても、しばらくすると息を吹き返す。

 「紫式部はきっとA型、徳川家康はO型か」と推理を楽しむ分には害もあまりない。だが今回は、どういうわけかB型が集中的にからかわれた。芸能人や幼稚園児を実験台に、B型のふるまいや対人関係をあげつらうような番組が目についた。

 「血液型で人の優劣を決めつけないで」「信じ込んだ子供が血液型でけんかする」。視聴者の声を受け付ける放送倫理?番組向上機構には昨春から今年2月までに、苦情が200件も寄せられた。娯楽番組のつもりで見て、不快に感じた人が少なくなかったらしい。

 最近では韓国でも人気のようだが、日本ほど血液型が話題にのぼる国も珍しい。それなのに献血に寄せる関心は下がっている。いま年間の献血者は全国で560万人ほど。20年前の7割にも満たない。

 四季を通じて最も献血者が少ないのは春先という。進学や異動で気ぜわしいからか。おまけに今年は花粉症で人々の足が遠のき、来月にはヤコブ病対策の献血制限も本格化する。この春、日本は全体に貧血気味である。日本赤十字社によると、血液型占いがテレビでどんなに盛り上がっても、献血意欲は少しも上向かないそうだ。

 「50年前、バンドンに集まったアジア?アフリカ諸国の前で、我が国は平和国家として、国家発展に努める決意を表明しました」。今も、その志にいささかの揺るぎもないと、小泉首相はジャカルタで演説した。

 50年前のバンドン会議の日本代表は、首相ではなく、高碕達之助?経済審議庁長官だった。その演説を本紙はこう伝えている。「わが日本が国際紛争解決の手段としての戦争を放棄し、武力による脅しを行わざる平和民主国家であることを、この機会に再び厳粛に宣言する」。大戦後の講和会議から4年、アジア諸国とまみえる場で、新憲法の精神が強調された。

 ジャワ島のバンドンは、さわやかな風が吹き渡る高原の街だという。かつて支配していたオランダ人は「ジャワのパリ」とも呼んだ。しかし過酷な植民の歴史は、この街を「火の海」にしたこともあった。

 独立宣 言後の1946年、再植民地化をたくらむオランダの攻撃に遭い、インドネシア共和国軍はバンドン市の南部に火を放って山岳地帯に逃げた。人々の愛唱歌「ハロ?ハロ?バンドン」は、バンドンを奪い返す誓いの歌だという(『インドネシアの事典』)。

 支配され侵略された側では、その思いは世代を超えて伝わってゆく。相手国の過去を許したとしても、忘れはしまい。相手が忘れることは、許し難いだろう。

 小泉首相は昨日、日本のアジア諸国に対する植民地支配と侵略について「痛切な反省とおわび」を表明した。「決して忘れてはいない」と伝わったのかどうか。耳を澄まして、答えを待ちたい。

 半世紀ほど前の街の情景だから、失われて久しいのかもしれない。しかし、まだどこかに残っていそうな気もするのが、三好達治が書いた子供の声の話である。

 「毎朝向いの家で元気な子供の声がきこえる。食事がすむと『いって参りまあす』というのが聞える」。昼になれば「ただいまあ」が、手にとるように聞こえる。露地一つを隔てて隣接しているからで、親しいつきあいはなくとも様子が分かる。宏壮な邸宅に居ては、この風味は味わえない。「私には大厦(たいか)高楼に住まいたい希望はない」(『月の十日』講談社文芸文庫)。

 現代風の大厦高楼とも言える高層マンションの27階から、植木鉢を載せる籐(とう)製の台二つが降ってきたという。大阪府警は、高さ77メートルの自宅のベランダから投げ落としたとの殺人未遂の疑いで、大阪市内の78歳の住人を逮捕、送検した。

 「ベランダの掃除をしていたら台につまずき、腹が立ったので投げた」と供述したというが、一つは自転車に乗っていた女性の前髪をかすめた。落ちた台はひびが入って変形していた。こんな「命拾い」はたまらない。

 塔のような高層の建物に上って感じるのは「近景の欠如」だ。地上のものは、遠景になってしまう。樹木は見えても枝は見えない。人は見えても顔は見えないし、声も届かない。

 こうした地上からの隔絶感をむしろ楽しみ、地面の近くでは得難い見晴らしを味わう人も多いのだろう。高さは、日本の暮らしに新しい形をもたらしたが、ありふれた物を、いつでも一瞬のうちに凶器に変える力をも備えている。

 領土は、東京の上野公園よりも少し小さい。以前、この世界最小の国?バチカンの内側に行ったことがある。

 小さいながら駅があり、銀行、マーケットにテニスコートもあった。電話交換の修道女には約10カ国語を聞き分ける人がおり、放送は35カ国語で流していた。国家の小さな模型のような現場は見られたが、法王庁の中心部分には近づけなかった。

 約11億人に及ぶカトリック教徒の頂点に立つローマ法王に、ドイツ人のラツィンガー枢機卿が選ばれた。ナチスの青少年組織ヒトラー?ユーゲントに義務的に入っていたことがあり、第二次大戦の終戦時には米軍の捕虜だったという。

 新法王に決まる前「入りたくはなかったが、当時は仕方がなかった」と述べた。この経歴に抵抗を覚える人は少なくないだろう。しかし新法王に今問われるのは、若い日にナチズムの波をかぶった点ではない。自らの負の体験をもとに、21世紀の世界に何ができるかではないか。

 新法王はベネディクト16世となった。6世紀の聖人ベネディクトゥスは、欧州の修道院の根幹をなす規範を作った。彼を慕って多くの弟子が集まったが、嫉妬(しっと)され、命をねらわれた。毒入りの飲み物を勧められた時、祈りをささげることで無害なものにしたとの伝説もある(『聖者の事典』)。

 前法王のヨハネ?パウロ2世は、故国ポーランドでナチスによる占領を体験し、抵抗しながら宗教家への思いを培った。それとは対極の側で青年期を過ごした人が、すぐ後をつぐ。終戦から60年という時の移ろいを感じさせられた。

 見出しに大きく「和解」と刷られた新聞各紙を見ていて、諺(ことわざ)を題材にしたブリューゲルの絵が思い浮かんだ。ライブドアとフジテレビという現代のメディア同士の攻防が、16世紀の欧州の画家が描いた寓意(ぐうい)の世界と、なぜか通い合う。

 「大きな魚は小さな魚を食う」という絵は、大魚の腹にのみ込まれた中ぐらいの魚が、さらに小さな魚をのみ込んでいるさまを描いている。力の強い者が弱者を支配するという諺で、日本ならば弱肉強食か。攻防の始まりは、この諺の逆で、小さな魚が大きな魚をのみ込むのか、という緊迫感があった。

 ブリューゲルの大作「ネーデルラントの諺」には、数多くの諺を表す人や動物や風俗が画面いっぱいにひしめいている。「一本の骨に犬二匹」は、ふたりの人間が地位や財産で争うたとえだ(『ブリューゲルの諺の世界』白凰社)。

 「仔牛が溺れてから穴をふさぐ」は、事件が起きてから対策を立てる。「歯まで武装」は完全武装、「燃える炭火の上に座る」は、落ち着かないさまだ。司法の場で負け続けたフジ、ニッポン放送側の対応ぶりを思わせる。

 「親指の上で世界を回す」は、何もかも意のままに支配する人、「うまく世渡りしたいのなら、身をかがめねばならぬ」は、出世のために狡猾(こうかつ)な手段を使う。株の「時間外取引」が狡猾かどうかの見方は分かれるだろうが、この一撃は、世の経営者や株主をぎくりとさせた。

 両者「痛み分け」の和解だという。一方で、巨額の利益を得た米証券もある。巨利を腹に収めた大きな魚は、もう遠くを泳いでいる。

 ロボットが物陰に隠れている人間を見つけ出し、狙いを定めて銃を撃つ。SF映画のような現実が、戦場の日常風景になりそうだ。米軍は、イラクでの治安対策に、地上を走行する無人兵器を投入する計画を進めている。

 ゴーカートくらいの大きさの胴体に、暗視装置付きのズームレンズを積み、機銃を装備する。荒れ地を乗り越え、鉄条網も突破する。こんなものに追っかけられたら、たまらない。

 ロボットには食料も訓練も必要ない。攻撃されても、機械がこわれるだけだ。イラク戦争の泥沼化で犠牲者が止まらず、採用兵員が募集目標を下回り続けている米軍にとっては、兵士の代用にもなる。

 愛知万博では、トランペットを吹くロボットが人気者だ。今や、お掃除ロボットも現れた。そんなニュースの中で、戦闘用ロボットの話は気持ちを暗くさせる。

 「ロボットは人をきずつけたり、殺したりできない」。漫画家の故手塚治虫さんが、半世紀前に「鉄腕アトム」の中で定めたロボット法第13条である。SF作家の故アイザック?アシモフ氏も同じ頃、ロボット工学三原則のひとつに「ロボットは人間に危害を加えてはならない」をあげた。

 ところが、現実の人間は、科学の力でとんでもないロボットをつくり出してしまった。戦闘用ロボットは、人間が遠く離れた所から操作するが、戦闘員と一般民衆との識別がちゃんとできるのだろうか。巻き添えになるイラク市民がさらに増えるのではないか。自国兵士の死傷者数のみに神経をとがらす今の戦争を象徴する兵器の登場である。

 万里の長城の東の起点?山海関は、北京の東約300キロの渤海沿いにある。地勢の険しい古来の兵争の地で、「天下一の関所」とも言われた。

 第二次大戦後50年にあたる95年の終戦の日の直前、江沢民主席は、山海関近くの滞在地?北戴河で、本社と会見した。青年を対象に進めている愛国主義教育については、こう述べた。「歴史を正しく認識し、忘れないように教育することにあり、両国に不和をもたらす意図は全くない」

 それから10年後の今、中国から声高に届く、愛国主義の行動に罪はないという「愛国無罪」には、両国の不和にまでつながりかねない危うさを感じる。そしてもう一つ、デモ隊が日本を見下して言う「小日本」については、山海関から海を望んだ時の思いがよみがえってきた。

 山海関は、西から延々と続いてきた万里の長城が、ついに海に入る地点だ。その海のはるかかなたには、見えはしないが日本列島がある。ユーラシアという世界最大の幅を持って横たわる陸地から望むと、地理地形の上からは、列島は大海に浮かぶ細いひもか縄のようにも思われる。

 中国の長い歴史と文化を誇る人たちが、日本に対して、ある種の優越感を覚えたことは、想像に難くない。その日本に侵略され支配されたという屈辱と、負わされた傷とは、半世紀ぐらいで癒えたり消えたりするものではないとも思われた。

 街頭での「小日本」の裏には、屈折した大国意識と群集心理が感じられる。群衆から、例えばひとりの青年に戻った時にも、声高に「小日本」と言うのだろうか。

 19世紀フランスの詩人ロートレアモンの「マルドロールの歌」に、印象的な一句がある。「解剖台の上でミシンとこうもり傘が出会ったように美しい」。異種のものの思いがけない出会いで、あやしいまでの詩情が生まれる。

 芸術の世界ではないのに詩情を感じさせる方程式がある。アインシュタインが導いたE=mc2だ。E(エネルギー)はm(質量)×c(光速)の2乗に等しい。エネルギーという燃えさかる炎のような力と、物と光とが、簡明な式で出会っている。

 「質量もエネルギーも、同じものが異なる形であらわれたものです……とても小さな質量が、とても大きな量のエネルギーに変換されるかもしれないことを示しています」(『アインシュタインは語る』大月書店)。この方程式につながる特殊相対性理論の発表から100年がたった。

 アインシュタインは、1922年、大正11年に日本を訪れ、1カ月余滞在した。「相対性博士」は各地で講演し、大歓迎を受けた。帰国に際し、朝日新聞に謝辞と希望を寄せた。

 「特に感じた点は、地球上にも、まだ日本国民の如く……謙譲にして且つ実篤の国民が存在してゐることを自覚した点である」。山水草木は美しく、日本家屋も自然に叶(かな)い独特の価値があるので、日本国民が欧州感染をしないようにと希望した。

 その日本国民と山河とを、後に原爆が襲う。ナチスが先行するのを恐れて、原爆の開発を米大統領に進言する手紙に署名したことを悔い、戦後、平和を訴え続けた。そして50年前の4月18日、76歳で他界した。

 ベストセラー小説「電車男」の主な舞台は、東京近辺の通勤電車である。主人公が思いを寄せる女性は、夜の車内で酔漢にからまれ、朝は朝で痴漢に遭う。

 痴漢の多さで知られるJR埼京線が今月、朝のラッシュ時に女性専用車両を設けた。10両編成の1両目が男子禁制とされた。すぐ隣の一般車両から観察すると、女性車両はゆったりと空いて見える。女性たちは心おきなく携帯メールを楽しみ、気がねなく座席で化粧をする。ぎゅうぎゅう詰めの男性客は、ねたましそうだ。

 女性車両には1世紀近い歴史がある。都心を走る「婦人専用車」が中央線に登場したのは明治の末。朝夕の混雑にまぎれて女子学生に恋文を手渡す行為が問題とされた。男子学生を遠ざけ、痴漢を寄せつけない策だった。終戦直後の「婦人子供専用車」は、殺人的な混雑から女性を守るのが狙い。当時は列車に冷房などなく、今とは比較にならない込み方だった。

 昭和40年代にシルバーシートがお目見えして、女性車両は姿を消す。復活したのは5年前、痴漢の被害が増えたためだ。

 女性車両の導入が進んだ関西では、各線で被害が減った。首都圏でも連休明けの5月9日から、主な私鉄や地下鉄が朝の女性車両を始める予定だ。

 導入済みの路線ではどこも、男性から不満が出る。「混雑する」「不平等だ」。兵庫県の神戸電鉄は昨春、男性からの苦情に応えて、導入2カ月で女性車両の運行を減らした。男女隔離のほかに解決策はないものか。埼京線の込んだ車内で思いをめぐらせたが、妙案は浮かばなかった。

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