天声人语


 年末恒例の流行語大賞に「小泉劇場」が選ばれた。劇場型政治家などと言われるご本人も、いろいろな劇場に出かけるのを好んでいるようだ。

 任期の延長論が出ても、次の総裁選までと「楽日」を示すのも小泉劇場流だが、このところ一段と耳を疑うような発言が続いている。きのう、日中韓の首脳会談の延期を中国政府が発表したことについて述べた。「私はいつでもいいですけどね。向こうが延期する。それでも結構です」

 イソップ物語の狐(きつね)と鶴を連想した。狐が鶴を招き、スープを平らな皿に入れてすすめる。飲めなかった鶴は、今度は狐を招いて、首の長いツボに入ったスープを出した。相手がいやがり、傷つくことをしていれば、いつか逆の立場に立たされかねない。

 小泉流の対応には「外国の圧力に負けない」という点で評価する見方もあるのだろう。しかし、圧力に負けないのと聞く耳を持たないのとではずいぶん違う。

 先月末には、靖国神社への参拝について、「思想及び良心の自由」を規定した憲法19条を引き合いに出して、「まさに精神の自由だ」と述べた。首相の参拝については裁判所の見方が分かれているが、大阪高裁などでは違憲判断が示された。首相は、憲法によって憲法を尊重し守る義務を負っているのだから、慎重に構えるのが国の最高責任者の態度ではないか。

 今年の、もう一つの流行語大賞は「想定の範囲内(外)」だった。やがて楽日になって小泉劇場がはねた時、日本はどうなっているのか。「想定」の内か外か、心配な段にさしかかっている。

 滋賀県に住む山本まゆみさん(27)は、スーパーで買い物用のカートを回収するのが主な仕事である。一日中、1階から4階まで歩きまわる。回収箱にたまった牛乳パックやトレーの整理もする。夏は汗だくになり、冬は手がかじかむ。

 山本さんは知的障害がある。工場で働いた後、あこがれていたスーパーの求人に応募した。7年前のことだ。最初は、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」をなかなか言えなかった。いまでは、お客さんから「よくがんばっているね」と声をかけられる。

 そうした日々をつづった「私のまわりの人達」が、内閣府で募集した障害者週間の作文の高校生?一般市民部門で最優秀賞に選ばれた。そこでは、「お店で仕事をする事がとても楽しいのです」と書かれている。

 作文には、同じ障害のある男の子が登場する。エレベーターに興味があるらしく、週末にはいつもスーパーのエレベーターの前で遊んでいる。「私は、心の中で『いつまでもここであそんでいていいよ』といいたくなります」。そう書いたが、最近、姿が見えず、心配でたまらない。

 山本さんは、どんなことにも積極的だ。月に2回、男女混成の障害者のサッカーチームで練習する。夏には、障害児のサマースクールにボランティアとして参加した。

 あす、東京で、表彰式が開かれる。山本さんは、最優秀賞の小学生、中学生とともに、自作を朗読する。「今私に悲しい事は、なにもありません。楽しいことがいっぱいあるからです」。そんな元気な声が会場に響くはずだ。

 米大リーグ入りを決めた城島健司捕手の英語力を、米紙が相次いで取り上げた。「試合中に話すのは捕手の大切な仕事。英語が得意でない日本人に務まるのか」と。

 英語に定評のある長谷川滋利投手も、渡米直後は言葉の壁に泣いたそうだ。英語に疲れるとトイレに逃げ込み、日本語の本を読みふけった。それが今や通訳ぬきで会見し、英語習得法を説く本まで出版した。

 中国の卓球リーグに飛び込んだ福原愛さんは、みごとな中国語を操る。発音も本格的で、地元のテレビ番組に出演して人気が高まった。ゴルフの宮里藍さんも英語で堂々と応じている。

 逆に日本へ来た外国人選手はどうか。たとえば角界は徹底した日本語漬けで知られる。朝青龍関も入門してすぐは言葉に苦労した。顔色の悪い兄弟子をいたわるつもりで「関取、顔悪いっすね」と声をかけ、猛烈に叱(しか)られている。

 予習なしで来日し、通訳はおらず、日本語学校にも通わない。それなのにみるみる上達するのはなぜか、と早大教授の宮崎里司さんは外国人力士や親方ら約30人に面談した。わかったのは、相撲界がサブマージョン式の言語教室になっていたことだ。英語で水没や浸水を意味する。泳ぐかおぼれるか、異言語の海に手荒く放り込む。

 英語の海にこぎ出せば、誰にもトイレに隠れたくなる日があるだろう。けれども大リーグは弁論大会ではない。日米の野球に通じたバレンタイン監督も「形容詞の用法や動詞の時制が理解できても捕手の仕事には役立たない」と米紙に語っている。心配するには及ばないようだ。

 昨日の夕方近くだった。広島市の女子児童の殺害事件について書いたコラムへの感想のお便りを手にした。幼い子をもつお母さんで、住んでいる九州の町でも、先日児童が車の中から声をかけられ、注意を促すプリントが配られたという。

 PTAなどが巡回し、安全マップを作ったそうだ。親や学校、地域の人たちが死角をなくそうと必死になっている様子がうかがえた。そこへ、茨城県で幼い女の子の遺体が発見されたとの報が入ってきた。そして夜には、栃木県内で行方不明になっていた女児と確認された。子どもを守ろうとする努力への挑戦にすらみえる。

 広島市の事件で逮捕された容疑者は犯行を認める供述を始めた。弁護士に不可解なことを言ったという。「悪魔が自分の中に入ってきて体を動かした」。日本の通学路は「悪魔」の所業を許すような恐ろしい道になってしまったのか。

 遠い昔、小学校に通った道には、地域の人たちの幾つもの目があった。何か変化が見つかれば、その信号は波のように伝わっていくようだった。今は見知らぬ人が居ても必ずしも変化とは感知されないし、都会は見知らぬ人で満ちている。

 先日のコラムは、幼い子の頭をなでるようなしぐさで「子ども」を表す手話のことから書いた。九州からのお便りに、こんな一節があった。「『愛す』『大切にする』の手話は、円を描いた手の下にもう片方の手をそえます。寒い時、手の甲をこするように」

 幼い子のいる人もいない人も、手と手を合わせて、「守る目」をつくれないものだろうか。

 「耐震偽装マンション」を買わされた人たちの救済策の全体像が、なかなか見えてこない。耐震データを偽造した建築士の他、見逃したり、売ったりした側の責任の取り方が判然としないが、すぐにも必要な代わりの住まいや税金の扱いでは、自治体による違いもみえる。

 川崎市では、今年度中の固定資産税などを免除し、市営住宅の使用料を3カ月に限り免除する。横浜市も原則3カ月間、市営住宅を無料にするという。一方、東京都では、税の面での優遇措置はとっておらず、昨日始まった移転先としての公的住宅の家賃についても「同規模の住宅並みの負担をお願いする」という。

 自治体は、マンションの住民に対して、退去の勧告や使用禁止命令を出す立場にある。危ないから出ろと言っておいて、お金の面での救済がなければ、被害者は、住めないマンションのローンと新しい住まいの家賃との二重の支払いを強いられる。

 川崎市では、災害で住まいを失った場合に準じて優遇を決めたという。東京都では、自然災害ではなく人為的な被害で、責任の所在もはっきりしているから優遇はしない方針という。

 住めない家を買わされたことと、常に地震による倒壊の恐怖を抱えていることで、被害者は皆、同じ立場にある。その救済策が、マンションがどこに建っているかだけで大きく違うのは、被害者には割り切れないだろう。

 行政の「横並び」は、目立つのを嫌う役所仕事の問題点となってきた。しかし、被害者にとって前向きと思えるような線での横並びなら、悪くない。

 右の手のひらを、胸のあたりで下に向ける。そして水平に小さく回す。手話で、「子ども」を表す手の動きの一つだ。頭をなでるようなしぐさからは、幼い命をいとおしむ気持ちまでが伝わってくる。

 身長120センチというから、ちょうど手話で「子ども」を表す時の右手の下あたりの背丈になるのだろうか。学校からの帰りに殺害された広島市安芸区の小学1年の女子児童は、その体を折り曲げられ、家庭用ガスコンロを梱包(こんぽう)する段ボール箱に押し込められた姿で発見された。いたいけな子に対するむごい犯行に、胸が詰まる。

 事件が発生してから8日後の昨日、30歳の男が、殺人と死体遺棄の容疑で広島県警に逮捕された。県警によると、通学路沿いのアパートに住んでいる日系ペルー人で、容疑を否認したという。

 調べでは、事件の直前、容疑者が自宅の前で女児と話をしているのが目撃されたという。段ボール箱などの遺留品の捜査でも容疑者に行き当たったというが、取り調べは始まったばかりで、犯人と確定したわけではない。県警は捜査を尽くして、事件を究明してほしい。

 小1女児、小1女児、小2女児、小1男児、小2女児。昨年までの約10年間に、全国各地で下校中に子どもが殺害された事件をたどると、低学年、特に入学して間もない1年生が被害に遭う例が目立つ。例えば、せめて小学校の低学年まではバスで送迎をするといった手はないものだろうか。

 下校時の安全を百%確保することは難しい。しかし、幼い命が再び絶たれないよう、手だては探り続けたい。

 あたりに人気のない建設現場を、風が渡ってゆく。敷地の囲いのすき間から建物が見える。既に見上げるほどに高く組み上げられているが、工事はもう進まない。

 建築士による耐震データの偽造で工事が中断した、東京近郊のマンションの一つを見た。「安全を総(すべ)てに最優先する」。建物の覆いに掲げられた建設会社の標語だが、肝心の建物の安全の方が否定されてしまった。建設中に廃虚となったその姿は、寒々しい。

 旧約聖書の「創世記」に、バベルの塔が出てくる。「さあ、我々は一つの町を建て、頂きが天に達する塔を造り、それによって我々の名を有名にしよう」(岩波文庫?関根正雄訳)。人間のおごりを憎んだ神は、彼らの言葉を乱して互いに通じないようにしたため、塔の建設は止まった。

 現代の塔の建設を巡る言葉の乱れは、データ偽造の発覚から始まった。建物にかかわった人たちが話すのは日本語には違いないが、互いに通じ合っていない。

 建築士や建設会社、販売会社、検査会社などが入り乱れてしゃべるのだが、真相がどうだったのかが見えてこない。捜査という通訳が早急に入って、言葉の乱れをただすしかないのだろう。

 やはりデータの偽造で問題になっている都内の入居済みのマンションに行く。皮肉なことに、模範となる優良物件として、偽造の発覚前に業界団体の優秀事業賞を受けた。外壁はグレーと茶に彩られ、落ち着いたたたずまいを見せている。しかし、その内側には、いつ起こるかも知れない地震への恐れと憤りとが満ちているようだった。

 最近の言葉から。42?195キロのフルマラソンを完走する幼稚園児がいる。大阪府四條畷(しじょうなわて)市の私立星子幼稚園の子らで、6歳の誉田海人(こんだかいと)ちゃんは今月、7時間弱で走った。「風が気持ちよかった。ゴールできたときはすごくうれしかった。また走りたい」

 宮崎県三股町の中学3年、福田聖伍(しょうご)君が「少年の主張全国大会」で、白血病を克服した体験を発表し最高賞を受けた。「人は必ずいつか死ぬ。だからこそ、一日一日をかみしめて生きなければならないことも学びました」

 00年に西鉄高速バスを乗っ取って乗客を殺傷し、医療少年院に収容されている22歳の男性が、重傷を負わせた山口由美子さんに会い謝罪した。「あなたのことを許したわけじゃない。これからの生き方を見ているから」と山口さん。一方で、母を殺害された男性は面会を断った。

 横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されて28年。拉致までの13年間に父滋さんが撮った写真が展示された。「生まれたばかりのめぐみを最初に抱いた時の重さから始まり、あの子の言葉、香り、外の気温や風の感じまで、すべて克明に覚えている」と、母早紀江さん。

 東京都で、管理職試験の受験者が減り続けている。受けない理由は「管理職に魅力を感じない」「自信がない」「仕事と家庭を両立したい」

 稲刈り後の田に藁(わら)を積み上げた藁塚を撮り続ける大分県別府市の写真家藤田洋三さんが、「藁塚放浪記」を出版した。「モノだけじゃ豊かになれないことに気付き始めた現代人が、藁塚のよさも認識してもらうきっかけになれば」

 かねがね不思議に思っていた光景を、ことしも目にした。場所は東京?銀座である。老若男女が朝から黙々と列をなす。めざすは年末ジャンボ宝くじだ。大阪や名古屋、福岡でも行列ができる。

 銀座では、1番売り場の列がとくに長い。隣の2番ならすぐ買えるのに、「1等を当てるには1番だ」と縁起を担ぐ人が多いからだ。売る側も心得ていて、ちゃっかり1番だけ窓口を二つ設けて大量にさばいている。それでも大安のきのうは「3時間待ち」だった。

 来月でもゆっくり買える。「残り物には福がある」ともいう。なのに、なぜ、いま並ぶのだろう。「先んずれば人を制す」「並ぶ努力が幸運を招く」と力んでみても、しょせん運まかせだ。なにしろ1等は1千万枚に1枚しかないのだから。

 60年前の戦争末期、戦費調達のために売られた「勝札」が、現在の宝くじの原型だ。1等賞金は1968年に1千万円になる。その1等が40本に増えた76年には客が売り場に殺到し、2人の死者も出た。その後も1等は増額され、96年に1億円を超え、99年から「1等と前後賞合わせて3億円」が宣伝文句になる。

 買いもしないで、つい3億円の使い道を考えて笑った覚えがある人もいるだろう。かと思えば、当たりに気づかぬ人も多い。昨年の年末ジャンボの1等約70枚のうち5枚、10億円分がまだ換金されていない。随分と値の張る「うっかり」だ。

 億単位のお金の話で、ヤンキースの松井秀喜選手の契約額60億円余を思い出した。宝くじなら、なんと20年続けて「3億円の大当たり」か、と。

 天皇ご一家の写真が、昨日の紙面に載った。女性天皇や女系天皇を容認するという「皇室典範に関する有識者会議」の報告書の内容を伝える特設面だ。

 もし、皇室典範が報告の通りに改まれば、写真の範囲に限っても皇位継承資格者は2人から5人に増える。皇太子さま、秋篠宮さまに、それぞれの女のお子さま3人が加わる。この小さな人たちの健やかな成長を願う一方で、法によって人生と将来が左右される立場の厳しさも感じた。

 有識者会議は、このままでは皇位継承が立ちゆかなくなるのを避けるにはどうすべきか、という課題に答える線で結論を出した。骨の折れる作業だったかも知れない。報告への評価はいろいろあるだろうが、世論の支持が比較的得やすい方向でまとまったようにみえる。

 ただ吉川弘之座長の言葉で、やや疑問の浮かぶところがあった。「ただちに現実の制度として発効することを考えて議論を進めてきた」と説明しつつ、皇太子ご夫妻に男子が誕生した場合の継承順位については「そういう仮定の話は議論の俎上(そじょう)に載せなかった」と述べた。

 「仮定の話」は、いつ現実になるか分からない。それを議論の俎上に載せないのでは実際的ではないと思う。ただ、それを有識者の会議という場で論じることの困難さも理解できなくはない。

 本社の世論調査では女性天皇への支持は多いが、第1子優先かどうかでは分かれている。この微妙で肝心なところは、国会の場ではどう判断されるか。論議は結論を急いで期限を切ることなく、世論も確かめながら進めてほしい。

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