みずほ証券が株を大量に誤って発注した問題で、与謝野経済財政?金融担当相が述べた。「誤発注と認識しながら、他の証券会社がその間隙(かんげき)をぬって自己売買部門で株を取得するというのは美しい話ではない。行動の美学を持つべきだ」
今回、いわば瞬時に何億、十何億円という利益を得たとされる証券会社が幾つかある。発注後に間もなく間違いと気付いたが、システムの不備で訂正が利かず市場を巡ったジェイコム株をつかまえた会社だ。
生き馬の目を抜く舞台で、俊敏に仕事をしたに過ぎないとも言えるだろう。しかし一方では、本当にこれでいいのだろうかという思いもわいてくる。
「右手にそろばん、左手に論語」。利潤の追求と道徳という、一見相いれない二つのものをあえて両の手に掲げたのが、明治期の実業家の草分け、渋沢栄一だった。著書の『経営論語』には、こんな一節がある。「古くから、『盛(さか)って入るものは盛って出づ』といふ諺がある。一攫千金の相場で儲けた金銭なぞが即ちそれで……」
銀行家でもあった渋沢は、投機には一切手を出さなかったという。「論語とそろばん」が両立しにくい分野だと考えたのだろうか。「商売の徳は売る者も買ふ者も共に利益を得て悦ぶ所にある」とも述べている。
兜町の東京証券取引所の前身である東京株式取引所は、渋沢らの提唱によって、明治11年、1878年に開設された。商売にも道徳的な美を求めた創設者の目に、今の巨大な市場は、どう映ることだろうか。あえて、辛口の言葉を聞いてみたい気もする。
周二 20 12月 2005
12月14日
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周二 13 12月 2005
转译:《自杀日记》72
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我又去了从前找安眠药相关书籍的书店。中午刚过,客人还不多,正好找书。
那地方的地图真不好找。多的是一些有温泉或者滑雪场之类的旅游观光地图,像那种一无所有的地方,谁又会关注呢?
不过,还是让我找到了一本。比例尺有1/250000和1/100000两种。地图上标着公车站,原来巴士一直通到山里呢。
之后,我还买了电车时刻表,以备查询。从市里到那个地方,每天只有早晚各两班电车。但我只是去认认地方的话,绰绰有余了。至于最后那天,则无须考虑回程了。
最后就是防寒用品。自从退学以来,我再没添过新衣,而且,我连门都不出,全没有那个必要。今天回来以后,我打开柜子翻出一直压在柜底的衣箱。找到一件羽绒服,是多年前买回来的带帽子的厚装。那以后就放着,几乎没碰过,却竟然一点也没有破损。而我刚才还一直担心有没有被虫咬坏。
至此,踩点的准备工作基本告终。
剩下的只有找酒店和订房。网上都是为游客提供的观光酒店,离车站较远。看来还要再去一次书店,找本介绍酒店宾馆的书才行。
还有29天。
周日 11 12月 2005
12月11日
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小1の少女が下校中に連れ去られた栃木県今市市の学校周辺を歩いた。少女の通学路の一つは雑木林をぬける細い道だった。行き交う人影はない。散り敷いた落ち葉を踏む自分の足音だけが聞こえた。
持って来た防犯ブザーを鳴らしてみた。ビーンビーンと人工的な音が響く。説明書によれば音量は90デシベルだが、ここでは無力だ。人家は遠く、だれの耳にも届くまい。頭上で鳥がけたたましく鳴いた。
携帯用の防犯ブザーが商品化されたのは1959年である。業界団体によると、もとは痴漢やひったくり犯から女性を守るのが主な用途だった。次いで外回りの銀行員らに広まる。子どもが襲われる事件が続いた数年前から需要が増え、今や全国の低学年児に行き渡りつつある。
広島市の事件で命を奪われた少女もふだんは防犯ブザーを持って登校していたようだ。ただ当日は電池切れで自宅に置いたままだったらしい。持っていたとしても、魔の手を遠ざけることができたかどうかはわからない。
栃木県を離れ、少女の遺体が見つかった茨城県へ向かう。車で東へ2時間弱、発見現場の山林は昼間でもほの暗かった。狩猟の下見で男性が通りかからなければ、発見は遅れていたはずだ。事務机を並べた簡素な祭壇に、少女の好物なのか、乳酸菌飲料や鶏の空揚げが供えられていた。
きのうは京都府の学習塾で惨劇が起きた。小学生の通学や塾通いにこれほど不安を感じた時代があっただろうか。このごろは防犯ブザーだけでなく、寺社のお守りを結わえたランドセル姿が急に増えた気がする。
周日 11 12月 2005
12月10日
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ところ変わればマークも変わる。日本ではなじみの深い赤十字のマークは、イスラム教圏では赤くて細い月の「赤新月」になる。
十字の形が、キリスト教を連想させるからだ。この二つに加えて、赤いひし形を第3のマークとして認めることがジュネーブの国際会議で決まった。
赤い十字のマークは、創立者アンリ?デュナンの祖国で、赤十字の創設に寄与したスイスに敬意を表し、国旗の配色を逆にして定められた。マークには宗教的意味合いは含まれていないというが、かつては日本でも赤い十字を避けた時期があった。
日本赤十字社の前身の「博愛社」は1877年、明治10年に設立された。西南戦争での両軍の負傷者の救援がきっかけだった。キリスト教の布教のための活動ではないかという誤解を避けるため、日の丸の下に横一文字を書いたマークの旗が掲げられた(桝居孝『世界と日本の赤十字』タイムス)。
新しいマークは、これまで赤十字と赤新月のどちらもの使用を拒んできたイスラエルの「ダビデの赤盾社」が、赤十字運動へ加盟する道を開くという。赤いひし形の中に、各国の組織が独自のマークを入れることが可能で、赤盾社が認めるように要求してきた「ダビデの星」を中に組み込むことができる。
イスラエルについては、イランの大統領が、「地図から消されるべきだ」「ドイツなどに移せばよい」などと述べて波紋を呼んでいる。対立の根は深い。しかし、使うマークは違っていても、赤十字運動という場を共にすることは決して無益ではないはずだ。
周日 11 12月 2005
12月7日
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2016年の夏季五輪に向けて、国内の候補都市を来年8月末までに一本化するという。既に手をあげている東京都、福岡市や模索中の札幌市は、五輪の開催を景気回復や道路、新幹線整備などの「起爆剤」とみているそうだ。
五輪は独特の輝きを放つ催しだ。肥大化や招致競争の過熱、選手の薬物汚染などの問題は深刻だが、いつも多くの感動的な場面が生まれ、人を酔わせる。開催される都市や国の夢を担ってきた。
東京五輪は、焦土からの完全な復興を国際社会に示すという戦後日本の大きな夢を背負っていた。それが1964年、昭和39年の秋に実現したとも言えるが、一方で、五輪成功の旗印のもとに、街は大きく造りかえられた。
五輪の少し前の東京を舞台にした映画「ALWAYS 三丁目の夕日」(山崎貴監督)が公開されている。東京タワーが建設中だった昭和33年の都心の街での、さまざまな人模様が描かれる。大通りはともかく、裏通りと路地の多くは、自動車ではなく、まだ人と自転車のものだった。
東京での職場は光り輝いているものと思い描いてきた集団就職の少女の夢が、いったんは破れる。しかし、そこには、路地の網の目のように張り巡らされた人の心の結びつきがあった。
東京に限らず、改造の度に、都会からはこうした心の路地や自然が失われてきた。もし2016年に五輪が来たら、その都市はどんな変化をするのだろうか。巨額の出資を伴う「起爆剤」や「再開発」が、残されていた貴重なものすら取り払うことのないように願いたい。
周日 11 12月 2005
12月8日
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ラジオから日本軍の真珠湾攻撃の報が流れてきた。「アメリカと戦争が始まったよ」。若き日の池波正太郎が言うと、日清?日露戦争を体験した祖母は平然として「また戦(いく)さかえ」とこたえた。「ちえッ。落ちついている場合じゃないよ」とどなりつけて家を飛び出す。日本が米英に宣戦布告した1941年、昭和16年12月8日の朝である。
東京?浅草の家を出て日本橋で友人と会った後、レストランに行く。カキフライでビールを2本のみ、カレーを食べてから銀座で映画「元禄忠臣蔵」をみた。「映画館は満員で、観客の異様な興奮のたかまりがみなぎっていた。いずれも私のように、居ても立ってもいられない気持で映画館へ飛び込んで来たのだろう」(『私の一本の映画』キネマ旬報社)。
「聴きいる人々が箸(はし)を捨てた、フオークを捨てた、帽子もオーヴアも脱いだ……全員蕭然と直立し頭を垂れ、感極まつてすゝり泣く人さへあつた」。東京?神田でラジオの開戦の放送を聴く人々の姿で、「同じやうな感激の光景は全国至るところに描かれた」と、本紙3面のコラム「青鉛筆」は伝えた。
真珠湾攻撃の報を聞いたチャーチル英首相は、すぐルーズベルト米大統領に電話した。大統領は「いまやわれわれは同じ船に乗ったわけです」と言った。
チャーチルは、感激と興奮とに満たされたと自著に記した。「日本人についていうなら、彼らはこなごなに打ちくだかれるだろう」(『第二次世界大戦』河出書房新社)。
日本が、あの破局へと向かう、3年と8カ月の第一日だった。
周日 11 12月 2005
12月9日
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一日が無事に終わると、カレンダーの日付に丸をつけた。ただし、その日の夜にではなく、翌朝にだった。なぜなら、攻撃は決まって夜だから。イラクのサマワでの任務を終えて帰国した自衛隊員が、本紙の取材に語っていた。宿営地での緊迫感がうかがえる。
国内で待つ人たちも、一日一日を祈るような思いですごしてきたに違いない。幸い、今のところ犠牲者は出ていない。しかし、これは隊員の細心の備えや日々の努力と幸運とによってもたらされた薄氷の無事だった。
小泉内閣は昨日、自衛隊のイラクへの派遣期間をもう1年延ばすことを決めた。イラク戦争そのものの正当性が強く疑われ、米国内でも撤退を求める声が高まっているが、さほどの議論もないまま延長が決まった。
藤原帰一?東大教授の言葉を借りれば、国際政治は米国による徳川幕藩体制のように動いている(『不安の正体!』筑摩書房)。「将軍はもちろんブッシュ大統領、そのブッシュにどれだけ近いか忠誠を競い合うわけです」。各国が「大名」とすれば、英国が親藩、日本は譜代だろうか。
イラク戦争に反対した、いわば外様のドイツのメルケル首相が、ライス米国務長官を横にして記者会見で米側を批判した。「民主主義の原則や法律、国際的ルールを守らなければならない」。米中央情報局(CIA)が東欧などに秘密収容所を設け、独国内の空港を無断利用した疑惑についての発言だ。
「将軍」への批判は広がっている。日本は付き従うことなく、撤退への道筋を独自に描く時期に来ている。
周日 11 12月 2005
12月6日
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年末恒例の流行語大賞に「小泉劇場」が選ばれた。劇場型政治家などと言われるご本人も、いろいろな劇場に出かけるのを好んでいるようだ。
任期の延長論が出ても、次の総裁選までと「楽日」を示すのも小泉劇場流だが、このところ一段と耳を疑うような発言が続いている。きのう、日中韓の首脳会談の延期を中国政府が発表したことについて述べた。「私はいつでもいいですけどね。向こうが延期する。それでも結構です」
イソップ物語の狐(きつね)と鶴を連想した。狐が鶴を招き、スープを平らな皿に入れてすすめる。飲めなかった鶴は、今度は狐を招いて、首の長いツボに入ったスープを出した。相手がいやがり、傷つくことをしていれば、いつか逆の立場に立たされかねない。
小泉流の対応には「外国の圧力に負けない」という点で評価する見方もあるのだろう。しかし、圧力に負けないのと聞く耳を持たないのとではずいぶん違う。
先月末には、靖国神社への参拝について、「思想及び良心の自由」を規定した憲法19条を引き合いに出して、「まさに精神の自由だ」と述べた。首相の参拝については裁判所の見方が分かれているが、大阪高裁などでは違憲判断が示された。首相は、憲法によって憲法を尊重し守る義務を負っているのだから、慎重に構えるのが国の最高責任者の態度ではないか。
今年の、もう一つの流行語大賞は「想定の範囲内(外)」だった。やがて楽日になって小泉劇場がはねた時、日本はどうなっているのか。「想定」の内か外か、心配な段にさしかかっている。
周日 11 12月 2005
12月5日
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滋賀県に住む山本まゆみさん(27)は、スーパーで買い物用のカートを回収するのが主な仕事である。一日中、1階から4階まで歩きまわる。回収箱にたまった牛乳パックやトレーの整理もする。夏は汗だくになり、冬は手がかじかむ。
山本さんは知的障害がある。工場で働いた後、あこがれていたスーパーの求人に応募した。7年前のことだ。最初は、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」をなかなか言えなかった。いまでは、お客さんから「よくがんばっているね」と声をかけられる。
そうした日々をつづった「私のまわりの人達」が、内閣府で募集した障害者週間の作文の高校生?一般市民部門で最優秀賞に選ばれた。そこでは、「お店で仕事をする事がとても楽しいのです」と書かれている。
作文には、同じ障害のある男の子が登場する。エレベーターに興味があるらしく、週末にはいつもスーパーのエレベーターの前で遊んでいる。「私は、心の中で『いつまでもここであそんでいていいよ』といいたくなります」。そう書いたが、最近、姿が見えず、心配でたまらない。
山本さんは、どんなことにも積極的だ。月に2回、男女混成の障害者のサッカーチームで練習する。夏には、障害児のサマースクールにボランティアとして参加した。
あす、東京で、表彰式が開かれる。山本さんは、最優秀賞の小学生、中学生とともに、自作を朗読する。「今私に悲しい事は、なにもありません。楽しいことがいっぱいあるからです」。そんな元気な声が会場に響くはずだ。
周日 4 12月 2005
12月2日
Posted by yanmin under 天声人语
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「耐震偽装マンション」を買わされた人たちの救済策の全体像が、なかなか見えてこない。耐震データを偽造した建築士の他、見逃したり、売ったりした側の責任の取り方が判然としないが、すぐにも必要な代わりの住まいや税金の扱いでは、自治体による違いもみえる。
川崎市では、今年度中の固定資産税などを免除し、市営住宅の使用料を3カ月に限り免除する。横浜市も原則3カ月間、市営住宅を無料にするという。一方、東京都では、税の面での優遇措置はとっておらず、昨日始まった移転先としての公的住宅の家賃についても「同規模の住宅並みの負担をお願いする」という。
自治体は、マンションの住民に対して、退去の勧告や使用禁止命令を出す立場にある。危ないから出ろと言っておいて、お金の面での救済がなければ、被害者は、住めないマンションのローンと新しい住まいの家賃との二重の支払いを強いられる。
川崎市では、災害で住まいを失った場合に準じて優遇を決めたという。東京都では、自然災害ではなく人為的な被害で、責任の所在もはっきりしているから優遇はしない方針という。
住めない家を買わされたことと、常に地震による倒壊の恐怖を抱えていることで、被害者は皆、同じ立場にある。その救済策が、マンションがどこに建っているかだけで大きく違うのは、被害者には割り切れないだろう。
行政の「横並び」は、目立つのを嫌う役所仕事の問題点となってきた。しかし、被害者にとって前向きと思えるような線での横並びなら、悪くない。