著名电影表演艺术家郭振清同志,因病于2005年8月24日中午13:06逝世,享年78岁。


 それを「商品です」と言われても、しっくりこない。現物を見たり手にとったりできないし、金を払ってすぐに届くわけでもない。保険とは独特な「商品」だ。

 説明を受け、事故や災害に遭うことを想像しながら契約を結ぶ。そして、できればその日が来ないようにと願う。地上から絶えることのない膨大な不安の上に成り立った安心の仕組みの一つである。

 大手の損害保険各社の社内調査による保険金の不払いが、1社あたり数万件、数億円程度にのぼる見通しとなった。大半は自動車保険で、事故の相手を見舞う時の花代や事故車の代車費用といった、基本契約に上乗せした「特約」の部分で多いという。

 近年、業界では競争が加速し、各社がさまざまな特約を開発して売り込んできた。契約内容の確認もれなどが不払いの原因で、わざと支払わなかったのではないとの釈明も業界にあるようだ。しかし、いざ助けが必要となった時に約束が果たせないのでは、何のための保険なのか。

 事故に直面した時、人は、まず平静ではいられない。細かい特約など、思い起こせる人は多くはないはずだ。そんな時だからこそ、損保会社は契約をきちんと履行し、支援すべきだろう。

 金融庁は先月、損保や生保による不当な不払いなどの事例集を、初めて発表した。今年の2月には、明治安田生命が業務停止を命じられている。保険業界は、安心の仕組みを売り続けてきた。しかし、その業界の内側に、消費者が安心できるだけの仕組みがあるのだろうか。疑問を抱かせることが続いている。

 日本で最初の総選挙は、明治23年、1890年に行われた。当選した中江兆民に「平民の目さまし——一名国会の心得」という一文がある。

 政党とは「政事向に就て了簡の同じ人物が若干人相合して一の党を為し他の党と張り合ふことなり」と記す(『明治文学全集』筑摩書房)。了簡(りょうけん)とは、考えや所存などを指す。今なら政権公約か。それを一言に凝縮したような総選挙用のキャッチフレーズが出そろった。

 自民党の「改革を止めるな。」は党というより党首の了簡のようにも見える。ポスターは小泉首相の4年前の写真を再利用した。人は時とともに姿形を変えてゆく。その変容は止められないが、ポスターの時間は4年前で止められた。

 民主党は「日本を、あきらめない。」。「政権を、あきらめない」とも聞こえるが、政権を狙うにしては言葉に勢いを欠く印象だ。「日本を前へ。改革を前へ。」と与党の公明党。日本をというよりも、小泉首相を前へ押し出しているさまを連想させる。

 共産党は「たしかな野党が必要です」。確かにそんな党は必要だが、この国をどうするのかも気に掛かる。「国民を見ずして、改革なし。」は社民党。姿勢は見えるが、「改革」という「小泉語」に引きずられてはいないだろうか。「権力の暴走を止めろ!!」と国民新党。「権力」を、ある人名に言い換えると、思いがにじむ。新党日本は「信じられる日本へ。」。「信じられる党」には、なれるだろうか。

 標語のような一言だけで「了簡」を見極めるのは難しいが、その構えはうかがえる。

 前日まで窓という窓に垂らしていた暗幕を、母親がとりはずした。「涼しい風がはいってきて、私は生まれてはじめての解放感を味わった」。作家の常盤新平さんが、60年前の終戦時を回想している(『文芸春秋』増刊号「昭和と私」)。

 空襲に備えて家々の光を外にもらさないようにする灯火管制から、その日解放された。中学2年生だった。

 〈涼しき灯(ひ)すゞしけれども哀(かな)しき灯〉。久保田万太郎の句には「八月二十日、灯火管制解除」と前書きがある。「終戦」という前書きでは、こう詠んでいた。〈何もかもあつけらかんと西日中〉。

 焼け跡の街で「戦後」が始まろうとしていた。その始まりの合図のように灯(とも)されたのが、管制を解かれた無数の明かりだった。久々に街に放たれた光は、解放感を呼び起こしつつ、長かった戦争の惨禍や人間の哀しさを思わせたのだろう。

 戦時中に民俗学者の柳田国男が著した「火の昔」に、灯火管制に触れたくだりがある。「近頃では灯火管制をしなければならぬ程、灯火(ともしび)は明るくなつてゐますけれども……」。昔は、闇を明るくするために皆が大変な苦労をしたと述べる。「世の中が明るくなるといふことは、灯火から始つたといつてもいゝのであります」(『柳田国男全集』筑摩書房)。

 あの夏に戻ってきた灯火は、絶えることなく、より強く明るく、街を家を照らし続けてきた。災害時は別として、常にあって当たり前の存在となった。60年後の一夜、光が閉ざされたり、焼け跡を照らし出したりした日々があったことを思い起こしたい。

 阪神甲子園球場で続いた戦いが終わった日、四国の松山では、もうひとつの「甲子園大会」が始まっていた。「俳句甲子園」、全国高校俳句選手権大会である。

 正岡子規や高浜虚子を輩出した松山市で、松山青年会議所が主催して開かれてきた。8回目の今年は、全国20都道府県から36チーム約200人が出場した。決勝戦では、「本」という題で、東京の開成と茨城の下館第一が対決した。

 「寒月や標本の鮫(さめ)牙を剥(む)く」(開成)。「遠雷や絵本に溶ける夢を見た」(下館第一)。5句ずつ詠んで審査員が判定を下し、開成が一昨年に続く2度目の優勝を果たした。今回提出された1260句の中の最優秀句は「土星より薄(すすき)に届く着信音」。京都?紫野高3年、堀部葵さんの作である。

 個々人の表白である俳句と、チームを組んで勝ち負けを競い合うこととは、直接には重ならない。しかし、一句一句が五?七?五という極めて限られた言葉?文字への限りないダイビングだと考えれば、団体戦にも新しい妙味が宿る。

 たったひとつの白球への限りないダイビング、とも言える野球に通じるところがある。青春の一時期に、友と手をたずさえて見知らぬ相手と触れ合い、磨き合うのもいいことだろう。

 これまでの大会での秀句から。「かなかなや平安京が足の下」「小鳥来る三億年の地層かな」「夕立の一粒源氏物語」「裁判所金魚一匹しかをらず」「のどぼとけ蛇のごとくに水を飲む」「長き夜十七歳を脚色す」。若い感性が周りや自分と出会って生まれた、一瞬の詩(うた)である。

 「郵政民営化は、おれの信念だ。殺されてもいい」「民営化に反対することは、手足を縛って泳げというようなものだ」。今回の衆院解散劇で、小泉首相の言葉は、たんかを切るようだ。

 それが人の心を高ぶらせるのか、世論の支持率が上がっている。「生死を問わずつかまえろ」「やつらをいぶり出せ」。ブッシュ米大統領も西部劇を思わせるような表現で、同時多発テロ直後の米国人の心をつかんだ。

 昨今の政治では、説得の論法よりも、感情に訴える短い言葉が人を動かす。「かつて、政治家の演説は、わざわざ演説会場まで聞きに行くものだった。政治家は論理とレトリックに工夫を凝らした」。故ケネディ大統領のスピーチライターだったソレンセンに、そんな話を聞いたことがある。

 テレビ時代の政治家は、視聴者がチャンネルを切り替える前に、刺激的 な言葉を投げつけねばならない。首相の解散会見の視聴率は時を追うに従ってうなぎ登りだった。

 名演説というと、「人民の人民による人民のための政治」というリンカーン大統領のゲティズバーグ演説を思い出す。あれは国有墓地の奉献式で追加的に行われたあいさつだった。メーンの演説は、雄弁で名高いハーバード大元総長が2時間も行った。リンカーンはわずか3分間で、写真班がレンズの焦点を合わせているうちに終わった。

 それでもリンカーンの言葉が残ったのは、その崇高な理念にもよるが、何よりも彼が米国の分裂を防ぎ、奴隷を解放したからだろう。小泉首相の言葉を、歴史はどう記憶するだろうか。

 名古屋地裁で今月初め、公判に出廷した男性が裁判官にこう名乗った。「こじきの仏(ほとけ)です。仏の国から来ました」。公園に置いた野宿ベッドの撤去をめぐって市職員にけがをさせたとして訴追された。不当な逮捕と訴えて決して身元を明かさない。

 本名を隠したり記憶を喪失したりした被告でも、起訴された当人であると確認できれば公判は進められる。起訴状には「自称○○こと氏名不詳」などと記載され、照合用に写真が添えられる。

 氏名不詳者の氏名をどう書くか。米国ではジョン?ドウがよく使われる。女性ならジェーン?ドウだ。身元がわからない被告や遺体を指す。標準的で善良な市民という含意もある。米国で以前、街頭取材の相手に名前を尋ねたが、「ジョン?ドウでいい」と譲らない。本名を隠すにも便利な名だと思い知らされた。

 公的な申請書では氏名の記入見本にジョン?Q?パブリックの名がよく登場する。日本でいえば山田太郎だろう。韓国では洪吉童(ホンギルトン)が多い。17世紀ごろ書かれた大衆小説の主人公で、義賊として腐敗官僚をこらしめる。童話や映画、教科書にも登場し老若男女に愛された。

 今年、名前の扱い方が右へ左へ揺れている。個人情報保護法の影響で、春先はとにかく名を秘す方向に揺れた。学級名簿は作られず、病院は患者を名でなく番号で呼んだ。国家試験合格者の発表も減った。今は一転、衆院選で、意外な人物の名が日替わりで出てくる。

 行きすぎた匿名社会は息苦しいが、名前に頼るばかりの擁立騒ぎも、見ていてかなり暑苦しい。

 通りの敷石の上に茶色いセミの羽が1枚落ちている。その先に、もう1枚。体はどこへ行ったのか。夏の終わりの始まりを感じさせる光景は、幼かった時へ、懐かしい場所へと人を誘う。

 「八月の石にすがりて/さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。/わが運命(さだめ)を知りしのち、/たれかよくこの烈しき/夏の陽光のなかに生きむ」。「日本浪曼派」同人だった伊東静雄の詩集「夏花」の一節だ。

 故郷は長崎県の諫早だった。詩集「わがひとに与ふる哀歌」の「有明海の思ひ出」で、うたう。「夢みつつ誘(いざな)はれつつ/如何(いか)にしばしば少年等は/各自の小さい滑板(すべりいた)にのり/彼(か)の島を目指して滑り行つただらう/あゝ わが祖父の物語!」

 多くの人が故郷へ行き、故郷を思い、あるいは自分にはあるのか、などと思い巡らす時期である。この人の場合はどうなのかと、東京?上野の東京 国立博物館で展示中の石の前で考えた。

 「遣唐使と唐の美術」展(9月11日まで)に出品されている井真成の墓誌で、中国の古都?西安で昨年発見された。縦横約40センチ、厚さ約10センチの黒っぽい石板に伝記が刻まれている。

 「公は姓は井(せい)、通称は真成(しんせい)。国は日本といい、才は生まれながらに優れていた。それで命を受けて遠国へ派遣され……よく勉学し、まだそれを成し遂げないのに、思いもかけず突然に死ぬとは」(東野治之?奈良大教授訳)。36歳だったという。「身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている」。その魂は千年以上の流離を経て里帰りを果たし、安らいでいるかのようだった。

 争いごとでは、数が勝ち負けを左右する。しかし、やみくもに数を取りにかけずり回る姿には、うらさびしいものがつきまとう。


 有権者の前で繰り広げられている公示前の争いは、多彩な活劇とも、いつにも増してぎらつく政界流の芝居とも見える。池波正太郎さんには申し訳ないが、作品のタイトルを連想した。


 番犬の平九郎、首、錯乱、あばれ狼、かたきうち、間諜、舞台うらの男、鬼坊主の女……。短編「刺客」は、信州、松代藩のあくどい家老の手先になってしまった男?児玉虎之助の物語である。まっとうな藩政への改革をめざしている別の家老職の屋敷から江戸へ向かった密使の殺害を命じられる。


 刺客とは、表だって胸の張れる存在ではない。「虎之助は苦笑した。淋(さび)しく哀(かな)しい苦笑である」(『完本池波正太郎大成』講談社)。「刺客」のほかに「くノ一」や 「印籠(いんろう)」が飛び交う永田町かいわいは、池波さんが描いた人生の悲哀や機微の世界からは、かなり遠い。


 芝居といえば、英誌エコノミストにこんな見方が載っていた。「歌舞伎はどれも、門外漢からは、同じ筋書きに見える」。最後は相愛の心中で終わるが小泉歌舞伎の結末は違った、という。「小泉首相は突然幕を引き、郵政法案に反対する議員らと相憎んでの相互自殺に至った」。日本の政界では珍しいドラマで歓迎すべきだと述べている。


 日本にとって、本当に歓迎すべきことなのかどうか。それは、「相愛心中」か「相互自殺」かという政治的な芝居の結末ではなく、有権者の選択という結末で決まる。

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