ロンドンで、哲学者バートランド?ラッセルが核戦争回避を訴えるために記者会見を開いた。ちょうど50年前の7月9日のことである。アインシュタインや湯川秀樹らも署名したアピールは、米、英、ソ連などの首脳に送られ、「ラッセル?アインシュタイン宣言」として世界に広まった。

 厳しい冷戦下での宣言らしく、「核戦争による人類絶滅の危険」を警告している。民族や信条を超えた「人類のひとり」として訴えかける姿勢には、今もなお十分に説得力がある。

 「私たちがいまこの機会に発言しているのは、あれこれの国民や大陸や信条の一員としてではなく、その存続が疑問視されている人類、人という種の一員としてである」。ビキニ環礁での米国の水爆実験による第五福竜丸の被曝(ひばく)にも触れながら、将来の世界戦争では必ず核兵器が使われると危機感を述べる。

 「私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し……彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する」(『反核?軍縮宣言集』新時代社)。

 それから半世紀、今でも絶滅の危険は残っているが、核兵器は使われていない。しかし、紛争問題解決のための平和的な手段を見いだすことは難しく、戦争やテロは絶えなかった。

 卑劣な同時多発テロに襲われたロンドンから、市民たちの表情が伝わってくる。突然の凶行の恐怖に耐えながら、冷静さを保つようにつとめている印象を受ける。その姿に、「種の一員」としての共感を覚えた。

 サミットの開催と、オリンピック開催の決定と——。いつにも増して世界の目が集中していたイギリス?ロンドンで、同時多発テロが起きた。この時期の、この街に狙いを澄ましたような、許し難い凶行だ。

 2012年の五輪の開催地を巡って、ロンドンは、本命とされていたパリを破った。決まった後のトラファルガー広場での市民たちの喜びようや、ブレア首相の満面の笑みが印象的だった。そのイギリスの高揚感を、たたきつぶすような爆弾テロだ。

 サミットのため、ロンドン市内の警備は、いつよりも厳しかったと思われる。しかし、多くの市民の足である地下鉄やバスで、同時に何カ所も爆発は起きた。名物の二階建てのバスも大破したと報じられた。世界からの観光客も逃げまどったに違いない。

 警備の根本が、厳しく問われることになるだろう。テロリストは、誰もが行き交う公共交通機関を狙った。いわば警備の「泣きどころ」を突かれ、許した。そこが深刻だ。

 9?11の同時多発テロから、やがて4年になる。この間、世界は安全な方に向いてきているのだろうかという疑問が改めて浮かんだ。「将来の世界の安全」などを掲げて、アメリカはイラク戦争を強行し、イギリスは、それを支えてきた。小泉首相を含め、サミットの首脳たちは、この事態をどう語り合ったのだろうか。

 民主主義社会は、このような暴力で揺らいではならないし、揺らぐことはないだろう。しかし、残念ながら、市民に対する無差別多発テロを記憶する日付として、7?7が加わった。

 どんよりとした空から、細かい雨が降ってくる。時折、風がゆるやかに渡って笹(ささ)の葉をゆらす。願い事が書かれた青や黄色の短冊がひるがえる。

 通り道に、七夕の竹飾りが並んでいた。一本の竹に数十の願いが下げられている。「大金持ち!」「悪徳商法撲滅」「権力がほしいので下さい」。こんな願いもあるが、多くはやはり、家族や友の健康と安全を祈っている。

 50年前、作家の壷井栄が「主婦の友」に随想「七夕さま」を寄せた。「ささやかな笹にちらほらの短冊は、つつましい中にも、なにかしら人のこころの温さ、かわいらしさを感じさせられて好もしい」

 今とそう変わらない七夕の情感だが、この先が、戦後10年という時代を思わせる。「子供と一しよに短冊をかくようになつてから、七夕さまにつながる思いとして、いつも私の心をとらえるのは盧溝橋事件である。昭和十二年七月七日。そしてそれをきつかけにして、敗戦にまで追いやられた私たち……」

 37年の七夕の夜、北京近郊の盧溝橋付近で起きた日中軍の衝突は、日中戦争の発端となった。現地の日本兵の間では、「七夕の日は何かがおこる」という噂(うわさ)が飛んでいたという(秦郁彦『盧溝橋事件の研究』東京大学出版会)。

 壷井は続ける。「七夕さまは、たとえ年に一度の逢瀬(おうせ)にもしろ、逢(あ)えるということで私たちに希望を与える。しかし、私たちのまわりには、永久に逢えない人がたくさんいる。私の友は七夕の短冊に『平和』とかいて笹にむすんだ」。戦後60年の竹飾りにも、その二文字は幾つも揺れていた。

 ——そして誰もいなくなった。こんな副題の付いた紙芝居「あすなろ村の惨劇」を見た。といっても民主党のホームページの上でである。「やればできる!」を副題にした郵政民営化推進の自民党の紙芝居「あすなろ村の郵便局」に対抗して作られた。

 「みんないいかい、売れるものは何でも売ってくれ」。民営化された郵便局の局長が叫ぶ。小さな店が次々につぶれ、村はさびれてゆく。やがて郵便局は、人口減などで収支が悪化して閉鎖される。「そして、誰もいなくなった村には、人気のない閉ざされた郵便局だけが、廃墟となって残されていた……おわり」

 「やればできる」の方は、郵便制度をつくった前島密を登場させて、未来の郵便局を夢のように描く。「田舎の暮らしが便利になれば都会に行ってる仲間たちも、きっとこのあすなろ村に帰ってくるなあ」と、村の郵便局員に語らせる。

 佐藤春夫が「紙芝居の魅力」を書いている。「もうこれ以上には無駄を去ることが出来ないといふところまで追ひつめてゐるあの方法あの構造のせいではあるまいか」(『定本 佐藤春夫全集』臨川書店)。「あすなろ村」の2作に、この紙芝居の妙味はあるか。

 郵政民営化法案が衆院を通過した。賛否の差はわずかだったが、議場のテレビ画面からは、緊迫した感じはうかがえなかった。造反や処罰、果ては解散などという言葉まで飛び交うさまは、筋書きの定まった芝居を演じているようにすら見える。

 賛否双方の紙芝居だけではなく、国会の審議にも、真実味が乏しい。

 小泉首相は、今回の東京都議選では、街頭での応援演説を一切しなかった。前回とは大きな変わりようで、「今回は分が悪いから行かないんだ」との声も首相周辺にはあったという。

 開票の結果、自民はやや後退し、民主党が伸びた。小泉演説がなかったから後退したのか、それとも、なかったから、やや後退で済んだのだろうか。

 投票率は約44%で、過去2番目に低かった。政党の側では、都議選を次の国政選挙との絡みの中でみていて、都民の生活をどう変えるのかという論戦は乏しいようだ。本来なら都議選は、首都?東京をどんな都市にしていくのかというような未来像を浮かび上がらせる場でもあるはずだ。

 「今ノ東京ヲコンナ浅マシイ乱脈ナ都会ニシタノハ誰ノ所業(しわざ)ダ」。東京?日本橋生まれの作家?谷崎潤一郎が「瘋癲(ふうてん)老人日記」にそう書いたのは、64年の東京オリンピックの少し前だった。「アノ綺麗(きれい)ダッタ河ヲ、オ歯黒溝(はぐろどぶ)ノヨウニシチマッタノハミンナ奴等デハナイカ」。「奴等」とは、「昔ノ東京ノ好サヲ知ラナイ政治家」だという。

 谷崎は、大正末の関東大震災の後、関西に移り住んだ。震災から約10年後に、「東京をおもふ」を書く。「今の東京はコンクリートの橋や道路が徒らに堅牢にして人は路上を舞つて行く紙屑の如く、と云つたやうな趣がないでもない」

 谷崎が没して、今月で40年になるが、警句は今に生きている。そしてそれは、東京以外にも投げかけられている。その地の未来を左右する「奴等」を選ぶのは、他でもない住民自身なのだから。

 ミスターは左手を上げた。4万人を超す観衆から拍手がわき起こる。「おかえりなさーい」。きのう長嶋茂雄さん(69)が東京ドームに姿を見せた。昨春に病で倒れて以来のことだ。あの屈託のない笑顔が帰ってきた。

 アンチ巨人は多いが、長嶋嫌いはまずいない。天覧試合でのサヨナラ本塁打や、引退式での「巨人軍は永久に不滅」なんて変な日本語は、もはや伝説のように語り継がれている。背番号3の名場面を、みずからの人生の一コマと重ねて記憶に刻む人も多い。

 現役選手で活躍したのは、ちょうど高度経済成長期だ。大多数の人々が強くてかっこいいヒーローに心から熱狂した。子どもが好きなものといえば「巨人?大鵬?卵焼き」。そんな、どこか単純な時代だった。

 でも、あれは最初は「長嶋?大鵬?卵焼き」だった、と作詞家の阿久悠さんが本紙に書いていた。王貞治選手とともに「ON砲」と言われ始めた1963年に「巨人」に変わったという。

 現在の「長嶋?大鵬?卵焼き」は何だろうか。スポーツや娯楽の種類が増えて、好みも多様化した。勝利と人気を独り占めにする存在も見あたらない。あえて言えば、ヤンキースの松井秀喜、ゴルフの宮里藍選手らを並べて「松井、藍ちゃん、アイスクリーム」だろうか。

 でも、イチロー選手やサッカーのジーコ?ジャパンへの声援も熱い。子どもは回転ずしやから揚げも大好きだ。悩むほどに、いわゆる一つの長嶋さんの大きさを思った。すると草野球の打席でよく口にした言葉がよみがえった。「よばん、さあど、ながしま」

 現在の「長嶋?大鵬?卵焼き」は何だろうか。スポーツや娯楽の種類が増えて、好みも多様化した。勝利と人気を独り占めにする存在も見あたらない。あえて言えば、ヤンキースの松井秀喜、ゴルフの宮里藍選手らを並べて「松井、藍ちゃん、アイスクリーム」だろうか。

 でも、イチロー選手やサッカーのジーコ?ジャパンへの声援も熱い。子どもは回転ずしやから揚げも大好きだ。悩むほどに、いわゆる一つの長嶋さんの大きさを思った。すると草野球の打席でよく口にした言葉がよみがえった。「よばん、さあど、ながしま」

上图上伤了。结论如下:


1)数码相机也要惜内存如金、也要认真负责。乱按快门属于不作为,应当受到法律惩处。


2)物极必反,古人说得很有道理。


3)越看越看不出特色,遂决定省略“庭院”一节。


4)“剽窃”,即使是光明正大得到授权的“剽窃”,感觉也不太好。至少完全没有成就感。唉,累得半死没有成就感很郁闷的。


5)感觉自己为广州作了一点贡献。


6)这套blog系统不大方便操作。尤其是上图。


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按:最后的双狮戏球是嵌入的石雕。

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