Archive for 八月, 2005

 「郵政民営化は、おれの信念だ。殺されてもいい」「民営化に反対することは、手足を縛って泳げというようなものだ」。今回の衆院解散劇で、小泉首相の言葉は、たんかを切るようだ。

 それが人の心を高ぶらせるのか、世論の支持率が上がっている。「生死を問わずつかまえろ」「やつらをいぶり出せ」。ブッシュ米大統領も西部劇を思わせるような表現で、同時多発テロ直後の米国人の心をつかんだ。

 昨今の政治では、説得の論法よりも、感情に訴える短い言葉が人を動かす。「かつて、政治家の演説は、わざわざ演説会場まで聞きに行くものだった。政治家は論理とレトリックに工夫を凝らした」。故ケネディ大統領のスピーチライターだったソレンセンに、そんな話を聞いたことがある。

 テレビ時代の政治家は、視聴者がチャンネルを切り替える前に、刺激的 な言葉を投げつけねばならない。首相の解散会見の視聴率は時を追うに従ってうなぎ登りだった。

 名演説というと、「人民の人民による人民のための政治」というリンカーン大統領のゲティズバーグ演説を思い出す。あれは国有墓地の奉献式で追加的に行われたあいさつだった。メーンの演説は、雄弁で名高いハーバード大元総長が2時間も行った。リンカーンはわずか3分間で、写真班がレンズの焦点を合わせているうちに終わった。

 それでもリンカーンの言葉が残ったのは、その崇高な理念にもよるが、何よりも彼が米国の分裂を防ぎ、奴隷を解放したからだろう。小泉首相の言葉を、歴史はどう記憶するだろうか。

 名古屋地裁で今月初め、公判に出廷した男性が裁判官にこう名乗った。「こじきの仏(ほとけ)です。仏の国から来ました」。公園に置いた野宿ベッドの撤去をめぐって市職員にけがをさせたとして訴追された。不当な逮捕と訴えて決して身元を明かさない。

 本名を隠したり記憶を喪失したりした被告でも、起訴された当人であると確認できれば公判は進められる。起訴状には「自称○○こと氏名不詳」などと記載され、照合用に写真が添えられる。

 氏名不詳者の氏名をどう書くか。米国ではジョン?ドウがよく使われる。女性ならジェーン?ドウだ。身元がわからない被告や遺体を指す。標準的で善良な市民という含意もある。米国で以前、街頭取材の相手に名前を尋ねたが、「ジョン?ドウでいい」と譲らない。本名を隠すにも便利な名だと思い知らされた。

 公的な申請書では氏名の記入見本にジョン?Q?パブリックの名がよく登場する。日本でいえば山田太郎だろう。韓国では洪吉童(ホンギルトン)が多い。17世紀ごろ書かれた大衆小説の主人公で、義賊として腐敗官僚をこらしめる。童話や映画、教科書にも登場し老若男女に愛された。

 今年、名前の扱い方が右へ左へ揺れている。個人情報保護法の影響で、春先はとにかく名を秘す方向に揺れた。学級名簿は作られず、病院は患者を名でなく番号で呼んだ。国家試験合格者の発表も減った。今は一転、衆院選で、意外な人物の名が日替わりで出てくる。

 行きすぎた匿名社会は息苦しいが、名前に頼るばかりの擁立騒ぎも、見ていてかなり暑苦しい。

 通りの敷石の上に茶色いセミの羽が1枚落ちている。その先に、もう1枚。体はどこへ行ったのか。夏の終わりの始まりを感じさせる光景は、幼かった時へ、懐かしい場所へと人を誘う。

 「八月の石にすがりて/さち多き蝶ぞ、いま、息たゆる。/わが運命(さだめ)を知りしのち、/たれかよくこの烈しき/夏の陽光のなかに生きむ」。「日本浪曼派」同人だった伊東静雄の詩集「夏花」の一節だ。

 故郷は長崎県の諫早だった。詩集「わがひとに与ふる哀歌」の「有明海の思ひ出」で、うたう。「夢みつつ誘(いざな)はれつつ/如何(いか)にしばしば少年等は/各自の小さい滑板(すべりいた)にのり/彼(か)の島を目指して滑り行つただらう/あゝ わが祖父の物語!」

 多くの人が故郷へ行き、故郷を思い、あるいは自分にはあるのか、などと思い巡らす時期である。この人の場合はどうなのかと、東京?上野の東京 国立博物館で展示中の石の前で考えた。

 「遣唐使と唐の美術」展(9月11日まで)に出品されている井真成の墓誌で、中国の古都?西安で昨年発見された。縦横約40センチ、厚さ約10センチの黒っぽい石板に伝記が刻まれている。

 「公は姓は井(せい)、通称は真成(しんせい)。国は日本といい、才は生まれながらに優れていた。それで命を受けて遠国へ派遣され……よく勉学し、まだそれを成し遂げないのに、思いもかけず突然に死ぬとは」(東野治之?奈良大教授訳)。36歳だったという。「身体はもう異国に埋められたが、魂は故郷に帰ることを願っている」。その魂は千年以上の流離を経て里帰りを果たし、安らいでいるかのようだった。

 争いごとでは、数が勝ち負けを左右する。しかし、やみくもに数を取りにかけずり回る姿には、うらさびしいものがつきまとう。


 有権者の前で繰り広げられている公示前の争いは、多彩な活劇とも、いつにも増してぎらつく政界流の芝居とも見える。池波正太郎さんには申し訳ないが、作品のタイトルを連想した。


 番犬の平九郎、首、錯乱、あばれ狼、かたきうち、間諜、舞台うらの男、鬼坊主の女……。短編「刺客」は、信州、松代藩のあくどい家老の手先になってしまった男?児玉虎之助の物語である。まっとうな藩政への改革をめざしている別の家老職の屋敷から江戸へ向かった密使の殺害を命じられる。


 刺客とは、表だって胸の張れる存在ではない。「虎之助は苦笑した。淋(さび)しく哀(かな)しい苦笑である」(『完本池波正太郎大成』講談社)。「刺客」のほかに「くノ一」や 「印籠(いんろう)」が飛び交う永田町かいわいは、池波さんが描いた人生の悲哀や機微の世界からは、かなり遠い。


 芝居といえば、英誌エコノミストにこんな見方が載っていた。「歌舞伎はどれも、門外漢からは、同じ筋書きに見える」。最後は相愛の心中で終わるが小泉歌舞伎の結末は違った、という。「小泉首相は突然幕を引き、郵政法案に反対する議員らと相憎んでの相互自殺に至った」。日本の政界では珍しいドラマで歓迎すべきだと述べている。


 日本にとって、本当に歓迎すべきことなのかどうか。それは、「相愛心中」か「相互自殺」かという政治的な芝居の結末ではなく、有権者の選択という結末で決まる。

 新幹線の混乱が長引いたのは残念だが、宮城県沖の地震で犠牲者が出なかったことは不幸中の幸いだった。大きな地震に繰り返し襲われてきた地域の人たちの、日ごろの備えや、とっさの踏ん張りが利いたようにも思われる。

 それとは対照的に踏ん張りが利かなかったのが、仙台市内のスポーツ施設「スポパーク松森」の天井である。大きな揺れと同時に、割れた天井のパネル板がバラバラと落ちてきた。とっさに娘を抱きかかえてプールに飛び込んだ人の場合、頭と肩にパネルが当たったという。

 人々が服を脱ぎ、気持ちの上でも無防備になっているところに容赦なく降り注いだパネルは、凶器そのものだっただろう。新しく開いたばかりの施設で、なぜこんなことが起きたのか。巨大な天井を設ける際の安全基準や設計、施工、検査について、十分検証してもらいたい。

 柱はほとんどないのに、天井が大きく広がっている施設は珍しくはない。しかし、天井の裏側で何かとしっかりつながっているかどうかが気になることはある。

 建物の棟上げなどで、工事の由緒や建築者、工匠などを記して天井裏の棟木に打ち付ける札を棟札という。古い時代の棟札にはこんな願いが書かれている。「天下和順」「日月清明」「地下安穏」「息災延命」「家族安寧」。歌を記した棟札もある。〈鶴亀は かぎりありけり いつまでも つきぬは 山と水と流れ〉(佐藤正彦『天井裏の文化史』講談社)。

 暗くて見えにくい天井裏のようなところにこそ、安全を担う人たちは目を光らせてほしい。

 日本の植民統治からの解放を韓国が祝う光復節の演説で、盧武鉉(ノムヒョン)大統領は対日関係には言及しなかった。中国では反日活動が中止された。小泉首相は靖国参拝を見送り、アジア諸国への「痛切な反省とおわび」を談話で表明した。

 日中韓3国が、それぞれの事情を抱えて迎えた8?15だったが、ともかくも冷静さが見られた。問題は、首相や閣僚が談話の趣旨を体現できるかどうかだ。首脳や閣僚は互いに行き来して、対話を重ねてほしい。

 日韓のふたりの詩人が、対談や書簡で対話を4年続け、それが『「アジア」の渚で』(藤原書店)としてまとめられた。高銀(コウン)さんは、韓国の代表的詩人で、投獄?拷問を受けながら民主化運動に力を尽くした。00年の南北会談では金大中(キムデジュン)大統領に同行した。対する吉増剛造さんは、言葉へのいとおしさのこもる表現で、豊かな生命力を宿 す詩を紡いできた。

 高さんは、東北アジアの公海上に浮かぶ船で、東北アジアの詩人たちが一緒に詩を詠む日のことを語る。「われらは自分たちだけのものである陸地ではなく、みんなのものである海の大きな魂を謳歌(おうか)するはずです」

 吉増さんは「海を掬(すく)い尽せ」という印象的な一句を発する。掬い尽くせるはずのない海の、はかりしれない大きさへの畏(おそ)れが感じられ、高さんの句と響き合う。

 小泉談話は、日本と中韓両国とを「一衣帯水の間」と述べた。一筋の帯のように狭い海や海峡を間にして近接した間柄、というのだが、最近は隔たる一方だった。海を、国と国、人と人とをつなぐ渚(なぎさ)として見直してみたい。

 安達大成(だいなり)さんは「終戦の日」を旧満州で迎えた。12歳の中学生だった。ソ連との国境に近い小さな街で、いつものように外で遊んでいた。家に帰ると、母親から「戦争に負けた」と知らされた。えっ、それ何、という感じだった。

 その数日後、ソ連の飛行機が現れた。上空からいきなり機銃で撃たれ、林の中に逃げた。安達さんは「日本では戦争が終わっていたが、私にとっては、この日から戦争が始まったようなものです」と話す。

 まもなく、ソ連軍が街にやって来た。土木技師だった父は数カ月前に病死していた。母と2人の弟とともに収容所を転々とさせられる。その途中で、2歳だった下の弟は、母に背負われたまま死んだ。食べものにも事欠いた。自分がいなければ2人が助かる。そう考えた少年は黙って姿を消した。それが母や弟との長い別れとなる。

 辺境の農場で働き、20代の初めに出会ったのが妻の素子さんだ。素子さんは開拓農民の娘だった。母と一緒にソ連軍の侵攻から逃げたが、母は亡くなり、中国人の養父母に育てられた。異郷で結ばれた2人の残留孤児が母国の地を踏んだのは、終戦から36年後だった。

 旧満州には約150万人の日本人が住んでいた。そのうち、ソ連軍や地元民の襲撃、集団自決、病気などで、約20万人が死んだといわれる。同じ日本人でも、どこで「終戦の日」を迎えたかで、運命は変わった。

 安達さん夫妻はいま、千葉県で月に6万円の年金で暮らす。妻は日本語が話せない。5歳年上の夫は「私が先に死んだらどうなるのか」と心配する。


经过园子,看到一棵不知名的花树,指甲盖大小的白色花瓣,纷纷扬扬地落了一地。树下停着车子,想必有一阵子了,更是雪片也似地盖了一层。这花,树,从前不曾注意过的;再看树上,绿叶下星星点点,也并不触目。只是这一地的落花,实在叫人惊心。


  芳菲尽,又是一年。


  窗下的木棉,今年开得旺。满树的红花,兀自招摇了一整个的春天。后来就一朵一朵的落下,落到水泥地上,连春泥也化不了,就被路人踩得七零八落。只余绿叶在枝头,连天空都暗淡了许多。


  花事了,尚有满地落英,引有心人来凭吊;韶华逝,了无痕,时光将镜中人暗地里偷换了朱颜。


  越走,好似步步惊心。


  这一两年里,看着熟识的女子们,一步步地萎谢。三两年不见,刚还姹紫嫣红开遍,移形换景,一忽儿叶满枝头。貌美过的,还有盛时风光可以追忆;那姿色平平的,又有谁记得她羞涩的绽放?


  可美人偏偏怕迟暮。门庭冷落鞍马稀的滋味,也不是个个人能受的。但凡这个时候,也惟有说一句:至少曾经,你是美人啊。剩余的,只有交给她慢慢品尝。


  也有一些女子,经过岁月,却渐渐散发出醇香。这时,她返朴归真,世事洞明,却有着赤子般的率真;眼神淡定,内心丰厚,如取之不尽的宝藏。


  这样的女子,自是世间少有;知道她的好,世间更少。


  王晶这样评叶德娴,对很多人不懂她,他说:“她只是一个20岁女子的灵魂,住在40岁女子的身体里。”


  有一些花,是开在灵魂里,和季节无关。



  被