秀吉の軍勢が小田原城に迫る。当主の北条氏直は重臣を城に集め、対策を練る。講和か合戦か、籠城(ろうじょう)か出撃か。氏直が優柔不断なのだろう、いずれとも結論が出ないまま時が流れる。3カ月余り攻囲された末、あえなく秀吉軍に屈した。今から400余年前、夏の盛りのことだ。
この史話から生まれた言葉が、おなじみ小田原評定である。城内の軍議のだらだらぶりが江戸期に川柳などで誇張され、一向にまとまらないダメな会議の代名詞となった。
ダメ会議は決して滅びない。いまでも書店には、会議の効率化を説く本が山と積まれている。『すごい会議』『会議革命』『伸びる会社は会議がうまい!』。逆に『会議はモメたほうがいい』と旧来型の良さを挙げる新刊もあるからややこしい。
「東京に赴任したら、社内の会議がどれも1時間刻みで設定されていることに驚いた」。米国の保険大手幹部にそう言われたことがある。せっかく早めに案件が片づいたのに「あと14分あるのでしばし御懇談を」と司会が促す。まるで理解できなかったという。たとえば米社インテルの場合、会議は原則30分刻みで、1時間たつと照明が自動的に消える会議室もある。
ふり返れば、日本流の会議がもてはやされた時期もあった。「経営陣と現場の社員が悩みを共有できる会議」と喧伝(けんでん)され、海外から視察が来た。バブルの時代の話だが、今となっては幻のようだ。
今日から8月、真夏の会議は手際よく進めたい。1時間たつと冷房が切れてしまう会議室でもあれば、議事も多少はひきしまるだろうか。
周二 9 8月 2005
8月1日
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周二 9 8月 2005
7月31日
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のんびりと、牛が草をはむ。おいしそうに食べているのは、クズ、シロザなどふつうは雑草と呼ばれる草木だ。伸び放題の黄色いセイタカアワダチソウも平らげる。
草刈り用に牛を貸し出す。その名も「レンタカウ制度」。瀬戸内海に面する山口県柳井市で、ことしもやっている。人影の少ない、山あいの休耕田に、4頭の黒毛和牛を放っている。
牛を借りるのは、年老いて農作業がつらくなった農家が多い。周りの田んぼの稲が青々と育つなか、草だらけにしていては害虫がわく。迷惑をかけまいとして、草刈りをシルバー人材センターに頼むと、金がかさむ。炎天下での作業は、請け負う人もきつい。
ならば、牛に食べさせたらどうだろう。4年前に、市長の河内山哲朗さん(47)が言い出した。農地が減り続け、畜産も振るわない。ため息が重なる農業関係の集いでのことだ。牛を使えば、人件費も、えさ代も浮く。借り手も貸手も都合がいい。さっそく農協が事業化した。今夏は7軒の農家が利用する。
手間もかからない。放牧地の周囲に2本の電線を張る。そこに太陽電池で電気を流すと、さくになる。持ち運びも取り外しも簡単だ。市の試算では、5千平方メートルの草刈りを人間がやれば、2人で2日かかる。運搬処理費も含めて5万円なり。牛なら、2頭がそこに寝泊まりして約50日で食べ尽くす。機材費込みで2万4千円ほど。
牛はもぐもぐと黙々と働く。こんなのどかな光景が全国の休耕地に広がったら気持ちよかろう。そう思った瞬間、きょとんとした眼の牛と目が合った。
周二 9 8月 2005
7月30日
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今年も、暑さが極みに達する時節となった。いつも、今時分に取り出して眺める絵がある。江戸狩野派系の画家、久隅守景(くすみもりかげ)の「納涼図屏風(びょうぶ)」だ。本物は国宝で、東京?上野の東京国立博物館の蔵にあるが、古い雑誌から切り取った手元の絵からでも、涼味の一端は伝わってくる。
つるを伸ばした夕顔をはわせた棚が、横に長く描かれている。棚の下には、地べたに敷いたござのような敷物でくつろぐ親子3人の姿がある。一日の仕事が終わったころなのだろう。夫は肌着をまとい、腹ばいになってほおづえをついている。そばに腰巻き姿の妻が座り、ふたりの間から童子の顔がのぞいている。
画面の上半分に空が広がり、左手には、おぼろな月が浮かんでいる。親子の顔の向きはほぼ同じで、一緒に月を眺めているようにも見える。天と地と人が、とけあっているかのようだ。
質素とも粗末とも言える暮らし向きだが、飾りもののない簡素な図が、涼やかさを運んでくる。現代の暮らしは、人工的な物に密に取り囲まれているから、素朴でのびやかな空間に心引かれるのだろうか。都会では、日差しをさえぎる夕顔の棚をつくれるような庭などは、かなりぜいたくな部類だろう。
近年、打ち水で少しでも都会の熱をさまそうという運動が広がっている。夕顔の棚はなくとも、風呂の残り湯などで水を打てば、街を冷やす効果とは別に、心にも涼しさをもたらすかも知れない。
国宝の夕顔棚の納涼図屏風は、8月2日から9月11日まで、東京国立博物館の平常展で一般に公開されるという。
周二 9 8月 2005
7月29日
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最近の言葉から。「恥ずかしながら……と帰国した夫は、28年間もあきらめずに生き抜いた。ここでくじけたら、夫に恥ずかしい」。横井庄一さんは、終戦を知らずにグアム島の密林で28年を過ごして生還、97年に82歳で他界した。妻?美保子さんが、名古屋市内の自宅にグアムの洞穴を模型で再現するなどして記念館にしようと奔走している。
戦後60年の原爆の日が近い。被爆者への本社のアンケートでは、被爆体験を今も日常生活の中で思い出すという人が約8割にのぼった。「雷が鳴ると動悸(どうき)がひどく、動くことも自動車の運転ももってのほか」「真っ暗な所に入ったとき、何かが迫ってくる気がする」「焼け跡のにおいが鼻に残り、焼き魚が嫌いになった」
沖縄県金武(きん)町で米軍が強行した実弾射撃訓練に抗議する県民集会が開かれた。「これほどにウチナーンチュ(沖縄人)、我々がなめられていいんですか」と儀武剛町長。
「私は大丈夫」。そう言っていたという日本道路公団の内田道雄副総裁が、談合事件で逮捕された。副総裁に任命した近藤剛総裁が記者会見で述べた。「誠に人を見る目がなかったということかもしれない」
妊娠してから結婚する「できちゃった婚」の新しい呼び名が、ブライダル業界などで広まっているという。「おめでた婚」「授かり婚」「ダブルハッピーウエディング」「ママリッジ」
名古屋場所は混戦となったが、最後は、朝青龍が憎らしいほどの強さを見せつけて優勝、5連覇を達成した。「6連覇、いきたいね。もっと強くなりたい」
周一 8 8月 2005
8月6日我们走二环
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去年冬天就开始说的走三环活动,改成二环以后终于在8月6日成行了。我猜想这以前每一个成员都不曾怀疑过自己能否走完三环。而今天,大家的信心也还在吧:)只是我们有了更清醒的认识,不再会骄傲轻敌了。
周三周四决心排除万难,本周日必须实施暴走计划。得到T的响应和HL的跟从。响应者信心满满、兴味甚浓;跟从者冷笑加忧心,完全不信我能走下来。周五晚临时得知HL周日开会,便匆匆将计划提前。于是,一些人深夜收到次日早起走路的通知。
周二 2 8月 2005
7月28日
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スペースシャトル?コロンビアの打ち上げをケネディ宇宙センターで見たのは、81年の秋だった。
天に向かうロケットの噴射口の下に、白金のきらめきを強烈にしたような巨大な光の玉が見えた。やがて、空気を大きく揺るがす衝撃波が記者席に届き、体が小刻みに震えたのを覚えている。
打ち上げを見守る現場には、緊張感とともに、厳粛な雰囲気が感じられた。悠久の時の流れの中で、地球は宇宙の力学によって定められた軌道を巡っている。その地球に張り付いて同じ軌道を巡る人類が、地球を飛び出して独自の軌道を描こうと試みる命がけの現場だった。そしてその挑戦は、時には悲惨な結果をもたらした。
コロンビアの空中分解事故から約2年半、日本人の宇宙飛行士?野口聡一さんたちを乗せたディスカバリーが打ち上げられた。野口さんは述べている。「危険性はあるが、宇宙から得られる利益や、若い世代への知的な刺激のため、挑戦する価値がある」
初の日本産ロケット「ペンシルロケット」の発射実験から50年になる。素朴な仕組みは、巨大で複雑なものになった。人間のなすことでは、失敗の可能性を完全には消し去れない。しかし今は、野口さんたちが任務を果たし、宇宙を存分に味わって帰還することを念じたい。
アポロ計画で月に行った宇宙飛行士のひとりが、後年述べた。「宇宙にはすべてを超えた『力』がある。始まりも、終わりもない。ただ、すばらしい世界をつくった『意志』があるだけなんだ」。野口さんたちもまた、宇宙の力を感じただろうか。
周二 2 8月 2005
7月27日
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くまで ゆや みみかき しゃくし こたつ かや おはぐろ おひつ ずきん すごろく。
46歳という若さで亡くなった杉浦日向子さんが、本紙の地域版に連載した随筆「隠居の日向ぼっこ」の題の一部だ。のどかで、かなしくもあり、こわさをも秘めた独特の世界の入り口が見える。日ごろ江戸の町家に住み、時に現代に通ってくる女性の浮世絵師といった風情があった。
『大江戸観光』(筑摩書房)で江戸時代をこう述べた。「近世封建制を手放しで礼賛する気はありませんが、かといって、中世封建制やヨーロッパのそれとは明らかに違う、もっとひらけた、秩序的にも社会構造的にも明快なものと思います」
「風土?民族に適合した生活様式であった筈(はず)」で、明治以降の、絶え間なく戦争をしてきた近代日本は、「やっぱり無理をしているとしか思えません」。無理をしない心の構え方が、漫画家からの30代での「隠居宣言」にもつながったのだろうか。
88年に文芸春秋漫画賞を受けた「風流江戸雀」では、一話の首尾に配した川柳と絵との絡みが絶妙だった。「物思う相手がなさに蚊帳を釣り」「男じゃといはれた疵(きず)が雪を知り」。長屋暮らしや、雪もよいの川端の一景に引き込まれた。
江戸っ子らしくソバ好き、というより「ソバ屋好き」だった。『もっとソバ屋で憩う』(新潮文庫)では、ソバ屋でのいっときの安らぎを勧めている。「今日できることは、明日でもできる。どうせ死ぬまで生きる身だ」。その先の一行が、目にしみる。「ソンナニイソイデドコヘユク」
周三 27 7月 2005
7月26日
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大暑にしては過ごしやすい土曜の夕方だった。いつもの、さざ波のような前触れをほとんど感じないうちに、突然大きな揺れが来た。千葉県を震源とした23日の地震である。
家のどこかの壁が、みしみしいっている。火を使っていないことを確かめながら、東京では、ここ10年に一度あったかどうかの大揺れだから、震度4以上だろうと推測した。
テレビで速報が始まる。千葉方面などが震度5弱だ。大災害が予想される震度6以上の地点が見あたらないので、ひとまずほっとする。都内は震度4以下なのかと思っていると、20分以上たったころ、突然足立区が、この地震で最大の震度5強と出た。
都庁から気象庁にデータが届くのが遅れた。区市町村の地震計などのデータは都庁に集められ、変換して気象庁に送信される。阪神大震災を機に導入したシステムで、当時は最先端で最高速だったという。都庁では、今回の地震でシステムなどの限界が表れたとして早急に抜本的な改善をすることにした。
震度情報は、被害の予測を立てたり対応を決めたりするための基本的なデータだ。一刻を争うシステムが、大事な時に滞るとは。直下型の大地震が懸念される首都の備えとしては、はなはだ心もとない。
今回は大災害には至らなかったが、鉄道やエレベーターなど、人を運ぶ仕組みのもろさが露呈した。できれば、日ごろから足腰を鍛えておいた方がいいのだろう。地震は、忘れていてもいなくても、いつかはやってくる。もしも、やってこないなら、それはそれで言うことはないのだから。
周三 27 7月 2005
7月25日
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ギリシャ神話のプロメテウスは、天上の火を人間に与えたかどで、最高神ゼウスの怒りを買う。アイスキュロスの悲劇「縛られたプロメテウス」には、山にプロメテウスを縛り付ける役のひとりとして、クラトスが登場する。ゼウスのしもべ?クラトスは「権力」を意味するという。
同時爆弾テロが続いたロンドンで、ロンドン警視庁が、「クラトス」作戦と呼ぶ新しい作戦を展開中と伝えられる。テロ狙撃チームが爆弾所持者らを撃つ場合は、下半身ではなく頭を狙うように内部規定を変えた。先日、ロンドンの地下鉄で、警官が男性に対して至近距離から発砲し、死亡させた。その男性は、爆破事件には無関係だったことが分かった。
警察は、ロンドンでの3度目の同時テロは絶対に許さないという決意で、捜査に全力を挙げていたにちがいない。市民もまた、祈るような思いで、日々を過ごしているのだろう。
疑心暗鬼という言葉が思い浮かぶ。疑心が生じると、実際にはありもしない恐ろしい鬼の形が見えるようになる。
何でもないことでも疑わしくなり、恐ろしくなる。そして、いつもなら踏みとどまるはずなのに、突き進んでしまう。かつて日本では、関東大震災で「朝鮮人が襲撃してくる」というデマが広がり、多くの人が殺害された。
クラトスには、ビアという兄弟がいて、そちらは、「暴力」を意味する。神話では、クラトスとビアは、いつも一緒だという。もとよりテロという暴力は許し難いが、「権力」は、「暴力」と同居しないよう踏みとどまるべきだろう。
周三 27 7月 2005
7月24日
Posted by yanmin under 天声人语
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幕末の志士、高杉晋作は何かと仲間に血判を求めた。「夷狄(いてき)を討つ」と江戸で御楯(みたて)組を結成した時には二十数人が血盟に応じた。なのに京都で将軍暗殺の同志を募ると1人しか応じない。高杉の呼びかけでも、企てがむちゃならそっぽを向かれたようだ。
郵政法案をめぐる血判の動きが報じられている。民営化に反対の自民党議員たちが結束を固めるため、誓紙に名を連ね、血の判を押したと。本当なら、何とも時代がかった話ではないか。
発案したと伝えられる亀井久興衆院議員に尋ねた。「たしかに私が誓紙を用意した。同じ意見の衆院議員に署名を頼んだが、血判はお願いしてませんよ」。応じたのは約20人で、採決では全員が誓い通り反対票を投じた。牛王(ごおう)宝印と呼ばれる熊野神社発行の誓紙を使ったそうだ。
熊野信仰では、牛王宝印の誓いを破ると血を吐いて死ぬと伝えられる。『吾妻鏡』には、義経が頼朝に忠心を訴えた手紙は牛王宝印に書かれたとある。赤穂浪士が復仇(ふっきゅう)の誓いに使ったのもやはり牛王宝印だった。神罰覚悟の連判状など講談の世界だけかと思っていたが、政界では今でも立派に通用するらしい。
誓文に署名する習わしは平安時代にさかのぼる。戦国の世に裏切りが相次ぎ、署名だけでは安心できなくなった。それで血判が重みを増す。徳川幕府も忠誠の血判をしばしば諸大名に出させている(石井良助『はん』学生社)。
参院自民党でも、血判や連判の動きがあると聞く。切り崩しや寝返りをにらみつつ、票を読む声がセミのごとくかまびすしいこの夏である。