千秋楽を待たずに、朝青龍が12度目の優勝を決めた。国技館では終盤、独走する横綱が客席から妙な声援を浴びている。「世界一」「強過ぎ」「たまには負けていいぞ」。来日8年、いまや土俵に敵なしである。

 強い横綱にだれか好敵手がいてこそ角界は盛り上がる。今場所、「満員御礼」の幕が出たのは3日しかない。97年の夏場所まで延々7年半続いた大入りの日々は、夢だったのか。相撲協会によると、以前は全席完売でないと満員と判定しなかったが、当節はあまり厳密なことを言わない。9割の入りでも満員御礼を出す。初日と中日、楽日には「ご祝儀」で判定が甘くなる。

 球界のどんぶり勘定は角界以上だろう。東京ドームは10年ほど前からずっと、巨人戦の観客数を「満員5万5千人」と発表してきた。他の球団も似たようなもので、職員がざっと場内を見渡して「この入りなら3万。いや景気づけで3万5千だ」と公式発表してきた。

 今季は全球団が水増しをやめている。計数器を手に係員がスタンドに散り、年間予約席など前売り分も点検して、精度の高い数字を出す。

 ことは興行の世界に限らない。「さばを読んだ数字がもう許されない世の中になりましたね」と話すのは、部数調べが専門の日本雑誌協会の職員。怪しい「公称部数」がまかり通ってきた出版界だが、昨年から実際の印刷部数を表に出す制度を始めた。ふたを開けたら、公称25万部が実は3万弱という雑誌もある。

 何ごとも透明化の時代なのだろう。ご祝儀や景気づけの数字が各界で表舞台から消えてゆく。

 8570人。昭和大学歯学部の向井美恵(よしはる)教授は、この数字が気になって仕方がない。食べものなどをのどにつまらせて亡くなった人の03年の数である。

 1日あたり20人を超える。その大半が65歳以上のお年寄りだ。口の健康とリハビリを専門にする向井さんは「年をとると、口の筋肉も衰える。食べものを食道にうまくのみ込めなくなって、気管に入ってしまうのです」という。

 食べもので窒息といえば、正月の餅を思い起こすが、それだけではないのだ。東京消防庁に聞くと、救急車は一年中、出動する。つい最近も、都内の飲食店で80代の男性がラーメンを食べていて、意識を失った。駆けつけた救急隊員が口の奥をのぞき込む。ピンセットに似た専用の器具でつまみ出したのはウズラの卵だった。しばらくして意識がもどった。

 「おかず、ご飯、餅。この順で原因になることが多い」と東京消防庁の担当者。どんな食べものでも、お年寄りには油断大敵なのだ。

 こんにゃくとはんぺんは、名古屋で裁判にもなった。特別養護老人ホームで、職員に食べさせてもらっていた75歳の男性が窒息死した。こんにゃくなどはお年寄りに危ないことで知られていた。そう言って裁判所は老人ホームに賠償を命じ、先月、二審で和解が成立した。

 向井さんがお年寄りに勧めるのは、食べる前の準備体操だ。口を大きく開いたり閉じたりする。舌も思いきり突き出して動かす。口のストレッチ体操ですよ。そう言われて、口を大きく開けてみた。さあ、食べるぞ、という心構えもできる気がした。

 新しいブランド名の考案を請け負う人の仕事場に行ったことがある。マンションの一室で、原則として注文主の企業の人しか入れない。新しい名前の案がコンピューターの画面に浮かんでいれば、一瞬で読まれ、盗まれてしまうからだ。

 その部屋に「名前の盗人」が侵入したとしよう。画面にこんな文字が浮かんでいたら盗む気になるだろうか。「NPO」「ボランティア」。新しい商標にするには、あまりにも一般的過ぎると見過ごしてしまうかも知れない。

 特許庁が、いったんは角川ホールディングスに商標登録を認めていた「NPO」と「ボランティア」について、登録の取り消しを決定した。NPO(非営利組織)の側から「一般的な言葉を営利目的で登録するのはおかしい」という異議申し立てが出ていた。

 特許庁は「特定の人に独占使用を認めることは公益上、適当とはいえない」などと取り消しの理由を示した。当初の「登録認可」とのずれはあるが、現代の商標のあり方を考える例として経過を見守りたい。

 特許庁のホームページには、商標の登録ができない一般的な例が載っている。靴の修理についての「靴修理」、鉛筆で「1ダース」、自動車で「デラックス」、靴で「登山」、飲食物の提供で「セルフサービス」。いずれも「自己の商品?サービスと、他人の商品?サービスとを識別することができないもの」だ。

 商標のつけかた一つで売り上げが大きく変わることもある。商標請負人の仕事場を見たのは十数年前だが、1件で数百万円の注文もあると言っていた。

 ドイツが連合国に降伏したのは、60年前の5月だった。いよいよ敗色が濃くなった頃、ヒトラーは、岩塩坑に疎開させていた世界の名画を破壊する命令を下す。

 米軍によって危うく難を免れたという絵が、東京に来ている。ベルリン国立博物館群の収蔵品を集めた「ベルリンの至宝展」(上野?東京国立博物館 6月12日まで、7月に神戸に巡回)の「温室にて」である。

 フランス印象派のマネが、温室の中にいる知人の夫婦を描いたこの絵は「ベルリン美術の運命を象徴している」と、博物館群の総館長が述べている。19世紀末に当時の美術館長が購入した。しかし印象派はまだそれほど認められておらず、温室が恋愛小説のエロチックな舞台に多用されていたため、国会で非難された。館長は辞任する。

 ヒトラーの破壊命令はくぐり抜けたが、戦後は旧西ドイツ側に置かれ たため、東ドイツ側の元の美術館に戻ったのは統一後の94年だった。ベルリンという土地柄、20世紀の歴史を色濃くまとう来歴だ。

 紀元前3千年のエジプト美術に始まり、ヨーロッパ近代絵画にまで至る「至宝の厚み」には、やはり相当の迫力がある。イラク?バビロンで出土した、ほえるライオンの躍動的な装飾煉瓦(れんが)壁、暗闇を背に小首をかしげて立つ女性の裸の肩を、長い髪が光りつつ流れるボッティチェリの「ヴィーナス」

 ギリシャ神話の壷(つぼ)やコーランの書見台もある。その姿形や文化、時代はさまざまだ。一見脈絡がなさそうだが、人間の営みはひとつながりとも感じる「5000年の旅」である。

 ずいぶん遠くから来たなあ。道端で、はるか離れた地名入りのナンバーの車に驚いた経験は、だれにもあるだろう。それが来春からは「行ってみたいな」という気持ちに誘われやすくなりそうだ。

 国土交通省が導入する「ご当地ナンバー」に観光地が続々と名乗りをあげている。「仙台」「会津」「金沢」「伊豆」や「諏訪」「倉敷」「下関」。どこも動く広告塔にと期待を膨らませる。自動車産業の盛んな「豊田」や「鈴鹿」のほか、「堺」「川越」なども意欲満々だ。

 ナンバーに地名が入ったのは、50年ほど前から。国の運輸支局の所在地をそのまま載せた。いわば役所の裁量だった。それが11年前、住民運動が火をつけた「湘南」が実現して変わる。地域のイメージアップになる、と各地が飛びついた。地方分権という時代の流れにも乗った。

 国交省は昨年、新設基準を設けた。複数の市町村でまとまった地域、自動車の登録台数が10万台以上など。おかげで、静岡と山梨が希望する「富士山」は、県境をまたぐので難しいと言われ、長野では隣り合う「軽井沢」と「佐久」が譲らず、台数不足で共倒れしている。それでも今月末の応募締め切り前に約20件の申請がありそうだ。

 「コンピューター改編に予算が要る。まず初年度は数カ所で」と考えていた国交省は、どう選ぶのだろう。今夏の内定に向け、地域バランスや地元の熱意も判断材料に検討している。

 でも、ここは思い切って、クジで決めたらどうか。郷土への熱い思いに、役所の理屈で順位など付けられるはずがないのだから。

 列車ダイヤを組む人は、スジ屋と呼ばれる。ダイヤの上では、列車の走行は斜めの線(筋)で表されるからだ。「スジを立てる(傾斜をきつくする、つまり列車の速度を上げる)」、「スジを寝かす(傾斜をゆるくする、つまり速度を下げる)」などの言い回しがある(宮脇俊三対話集『ダイヤ改正の話』中央書院)。

 これまで、ひたすら「スジを立ててきた」JR西日本が、今後、京阪神地区の主要路線の快速などで、「スジを寝かせる」という。ダイヤ編成に余裕がなく、日頃から遅れが目立つ路線では、無理な運転が行われかねないと判断した。

 尼崎での大惨事を受けての切り替えだ。遅すぎた感がある。一方では「不便になる」と、同意できない利用者がいるかもしれない。しかし、再発を防ぐ手だてを尽くすためには、やむを得ないのではないか。

 先日、尼崎駅の時 刻表に触れた。朝8時台に大阪駅や京都駅方面へ向かう電車が40本あり、東京の山手線が二十数本だから、確かに、かなり密だと思ったと書いた。山手線は複線だが、尼崎の方は複々線だ。従って、山手線ほど密とは言えない。

 ただ、日頃から東京の通勤線については、「密」を通り越した「過密」という思いがある。それほどではないにしろ、尼崎の方も既に「かなり密」な状態と感じられた。

 関西に限らず、大都市圏で、ラッシュ時のダイヤがある程度密になるのは仕方がない。しかし限度はあるだろう。「寝かせる」べきスジがあるかどうかを含めて、他の交通機関も、改めて点検してほしい。

「天気がよかろうと、悪かろうと、ドナウ河の流れは同じ。ただ定めなき人間のみが、地上をさまよい歩くのです」。19世紀のルーマニアの国民詩人といわれるエミネスクの詩の一節だ(『世界名詩集大成』平凡社)。


 ドナウはドイツの黒森に源を発する。オーストリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニアなどを貫いて黒海へと注ぐ2900キロ近い大河の変わらない姿が歌われている。そのドナウでは、今世紀末には流量が2割以上減るのではないか。日本の気象学者らが世界の大河の流量の予測をまとめた。地球の温暖化による降水量の変動などを計算した。


 古来、大河のほとりには文明が息づいてきた。その一つ、メソポタミアのユーフラテス川は、ドナウよりも変化が激しく、約4割減という。一方、ナイル、ガンジス、黄河などは、逆に10~15%の流量増を予測している。


 限られた地球の水を争う「水戦争」の問題を指摘する声も時折聞く。ドナウのような国際河川を持たない日本では、他人事(ひとごと)のように感じるかも知れない。しかし日本が輸入している膨大な食料や工業製品などを商品化するまでに使われた水の多さを思えば、世界の水問題と深くつながっていると分かる。


 エミネスクの詩は続く。「けれど、私たちはいつも変わらず、昔のままの姿でいます——海も川も、町も荒野も、月も太陽も、森も泉も」


 悠久の大地や大河は、変わるはずがない。そう思えた時代は残念ながら去った。「自然を、むやみには変わらせない」と国境を超えて誓い合う時代が来ている。








???????????????????????????????樱园梦


???????????????????? 作曲:蒋志轩

 ちょうど10年前の「今日」を思い出す。記憶の断片とも言えないような、一瞬の残像が脳裏に焼きついている。それは黄色いカナリアである。

 迷彩服に防毒マスクをつけた捜査員が、列をなす。その先頭にカナリアはいた。重装備の人間とは対照的に、鳥かごの中で無防備な姿をさらしながら。

 その2カ月ほど前、東京都心の地下鉄にサリンがまかれた。強制捜査でも万全の備えが欠かせない。ならば、炭鉱の有毒ガスを感知するカナリアが役に立つはず。そんな理由で連れて行かれた。ふだんの暮らしでは目にしない。不気味な光景だった。

 あのカナリアは、どうしただろう。探してみると、すでに寿命が尽き、手厚く葬られていた。場所は東京都目黒区の警視庁第三機動隊の前庭。樹齢40年を超すソメイヨシノの木陰だ。近くには、現場から持ち帰った岩でつくった記念碑もある。そこに、出動した証しとして、360人の隊員の名とともに「カナリア2羽」と刻まれている。

 あの年の夏、2羽のカナリアには、1羽のひなが生まれた。その子が駆り出される事件などない平和な社会になってほしい。そんな願いを込めて「ピース」と名づけられ、隊員たちにかわいがられたという。

 1995年5月16日朝、オウム真理教代表の麻原彰晃容疑者が殺人容疑で逮捕された。時は過ぎ、流れた。教団は名称を変えた。現場の山梨県上九一色村は来春、甲府市と富士河口湖町に分かれて合併し、村の名前も消えていく。だが、事件は人それぞれの心に残り続ける。たとえば、カナリアの記憶として。

 昭和史の舞台として欠かせない場所の一つに東京?永田町の首相官邸がある。その官邸をできるだけ生かす形で増改築された新しい首相公邸に先月、小泉首相が引っ越した。

 29年、昭和4年に竣工(しゅんこう)した旧官邸はライト風とされる様式を基調としている。外観や玄関ホールはそのまま活用され、新しく茶室などができた。

 旧官邸を語る時に、まずあげられるのが竣工の3年後の5月に起きた「5?15事件」だ。犬養毅首相が、青年将校らに射殺された。「話せばわかる」という言葉が残る。

 この政党政治の終わりを告げた昭和史の日付に、世界の喜劇王?チャプリンが絡んでいる。事件前日の14日に船で神戸に入港し、その日のうちに、東京の帝国ホテルに投宿した。

 15日、犬養首相の次男で秘書官の健氏がホテルに来て、首相が歓迎会をすると告げたという。後にチャプリンは、16日に招かれていたように記している。首相の遺品の中には、「十七日午前、チャプリン氏 午後、閣議」というメモがあった。一時、将校らには、チャプリンの歓迎会を襲う案もあったという。チャプリンは気付かぬうちに事件に近づき、そして気付かぬうちに通りすぎていた(千葉伸夫『チャプリンが日本を走った』青蛙房)。

 「日本がいつまで西欧文明のビールスに感染しないでいられるかは問題だ……日本人の好みも、やがては西欧的企業のスモッグにおかされて、失われてゆくことは必定であろう」(『チャップリン自伝』新潮社)。最初の旅で日本に深い愛着を覚えた彼は、計4回来日した。

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