「郵政民営化に賛成か、反対か」。それを国民に問うために解散したと小泉首相は述べた。国政選挙で争点を一つに絞ろうという異例の作戦で始まった総選挙に、審判が下る日が近づいた。

 「首相のリーダーシップ」について、本社の世論調査の結果が載った。首相が強いリーダーシップを発揮することに「期待している」と答えた人が58%、「不安を感じる」人が26%だった。期待がかなりある一方で、不安を覚える人も少なくない。党内だけでなく、国民にも二者択一を迫るやり方への戸惑いもあるのだろうか。

 郵政民営化への賛否だけでなく、A党かB党かといった二者択一を、これまでの総選挙以上に迫られていると感じる有権者は少なくないのではないか。小選挙区制では、二つの大きな党の争いの渦で、小さな党がかき消されてしまう傾向がある。

 福沢諭吉が「文 明論之概略」で述べた。「自由の気風は唯(ただ)多事争論の間に在りて存するものと知る可し」。政治学の故丸山真男氏が注釈を付けている。自由の気風は「必ず反対意見が自由に発表され、少数意見の権利が保証されるところにのみ存在する」(『丸山眞男集』岩波書店)。

 諭吉は、こうも書いた。「単一の説を守れば、其の説の性質は仮令(たと)ひ純精善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず」。丸山氏の注釈では、ある社会に一つのものの考え方だけが流通しているような場合には自由の気風はないということだ。

 ものの考え方の、より広い幅を求めて、ともすれば消されそうな主張にも耳を傾けたい。

 朝刊に挟み込まれて届いた衆院選の選挙公報を見る。東京の各政党から来た原稿を、都選管がそのまま印刷して発行した。党首や候補者の写真、キャッチフレーズがひしめく中に、短い一文が目についた。

 「日本を今一度洗濯いたし申し候」。幕末の志士、坂本龍馬の言葉で、姉の乙女に送った手紙の中に出てくる。徳川幕府に対し、薩長連合を策して大政奉還に力を尽くした龍馬の心意気と気迫が伝わってくる。

 言葉は古びていないし、「洗濯」は今の日本にも大いに必要だと思われる。しかしこれが、「改革を止めるな。」のキャッチフレーズや党首の写真とともに、選挙公報の一角に置かれているのは、いささか違和感がある。

 この文の下には「TOKYO自民党も、この言葉のように、断固とした決意をもって改革に臨みます」とある。多くの日本人の心をつかむ龍馬 の言葉と並んでいるのを見て、気恥ずかしい思いもしたが、ほかの各党がどんな「日本の洗濯」を掲げているかを公報で横断的に見るきっかけにはなった。

 アメリカからペリーの黒船が来航して、欧米の列強の脅威にさらされた龍馬の時代には、日本という国の成り立ちそのものが大きく揺らいだ。そこまでの切迫感はないとはいえ、今の日本でも、将来の国の成り立ちが大きく揺らぐような難題は数多くある。

 公報では、各党それぞれに、課題と方策をあげていた。しかし、くっきりと目に浮かんでくるような「洗濯」の仕方は、なかなか見あたらない。龍馬ならどんな「洗濯」をするのか、聞いてみたい気がした。

  怜惜,真是很奇妙的情感。不分对象,只从心底涌起。


  完成了《棋魂》拖沓的最后几集。偶尔按一下快进,偶尔停下来看他们各自回想。往昔一幕幕掠过,与黑白棋子交织。画面停在绪方脸上,他应当很寂寞吧。应当比任何人都期待塔矢、进藤。看漫画时,一度以为这是个坏人角色,后来像老头们关注进藤一样关注他。—-他的眼里只有围棋。一时间,怜惜泛滥。进藤、塔矢、藏马、黄泉……许许多多人物在脑海中呈现。


  下午,课后穿过学生宿舍区,树影下看到了熟悉的笑脸。有些激动,却不自觉地将脸埋在伞后。只想这样远远地看着,看他/她们快乐、悲伤、成长。纵然挂念。


  今日关键词:怜惜


  体味中。


 東京の日比谷公園に松本楼という古いレストランがある。2代目社長の故小坂光雄さんがこんなことを書き残している。「主謀者たちは、打ち合せのため、松本楼を会合の場所とし——」

 「主謀者」というのは、日露戦争の講和条約に反対して日比谷公園で集会を開こうとした政治家や活動家たちだ。集会は100年前のきょう、講和条約が結ばれる日に計画された。

 警察は集会を禁じた。集まってきた人たちは警官隊と衝突し、公園になだれ込む。集会の後、警察署や交番を襲って、焼き打ちした。騒乱は3日間続き、17人の死者と多くのけが人を出した。

 日比谷公園がつくられたのは、その2年前だ。日本で初めての西洋風の公園である。松本楼でカレーを食べてコーヒーを飲むのが、時代の最先端だった。そんな公園に、「条約反対」を掲げる人たちが集まった。

 かろ うじて勝った戦争だが、連戦連勝と思いこまされていた国民は、賠償金を取れないことに不満を爆発させた。一方で、「都市の民衆が政治批判の直接行動に出た画期的なできごと」(『東京百年史』東京都発行)という面もあった。日本はこの戦争を足がかりに韓国の併合、満州の支配へと進む。そのかたわらで、大正デモクラシーが花開いていく。

 集会の舞台となった広場はいま、噴水や芝生に変わった。松本楼は、関東大震災での焼失、米軍の接収、過激派による焼き打ちなどを乗り越えてきた。3代目の社長の小坂哲瑯(てつろう)さん(73)は「100年たって、ようやく平和な公園になったような気がします」と話す。

 畳、ソファ、カーペット、扇風機、クッション、いす。前夜までは家族とともにあった品々が、泥水の名残をとどめた路上に並んでいる。昨日の朝、東京都杉並区の住宅街で見た光景だ。はるか遠くにある台風14号の影響で起きた集中豪雨で浸水した。

 そこここにパトカーが止まり、区職員や消防署員の姿も見える。ガスや電力会社の担当者も復旧へ向けて走り回っている。前夜の冠水による混乱は、既に収まっていた。

 混乱が続き、復旧が遅れて「人災」の面がいっそう濃くなっているのが、アメリカのハリケーン「カトリーナ」の被害だ。被災から1週間、一時の無秩序状態からは抜けだしつつあるが、行政や警察の初動の遅れに批判が強まっている。

 政府は、衛生状態が悪化しているニューオーリンズ市から、全住民を避難させる方針だという。しかし、避難を呼びかけても応じない人も少なくない。行政の意図が空回りしているようだ。

 ブッシュ大統領は急きょ、ルイジアナ州などの被災地を再び視察することにした。2日に視察したばかりだが、その際に見たのは現地の空港と堤防の決壊した場所だけで、略奪や銃撃の続く市街地には目もくれなかった。それが「空からハリケーンの跡を眺めただけだ」と批判された。

 「カトリーナ」よりも暴風域が大きいという台風14号が、日本列島に刻々と近づいている。「阪神大震災以降、地震への防災意識は高まったが、風水害への警戒が薄れている」。京都大防災研究所の所長、河田恵昭さんの警告をかみしめながら備えたい。

 繰り返し見る映画の一つに、黒沢明監督の「七人の侍」がある。大詰めを迎えた総選挙で走り回る7党のリーダーについて「七人の党首」という言葉が思い浮かんだ。

 七という数は、何かをひとまとめにしたり、区切りを付けたりするのにいいようだ。七曜、七草に七変化、七つの海に七不思議。七転八倒やラッキーセブン、七光りというのもある。

 「七人の党首」は、「七福神」のように、それぞれ笑顔をふりまいている。皆、おそらくは「七つ道具」があり、「なくて七癖」もあるのだろう。

 各党首を取り上げた本紙の記事によると、激しく競い合う党首には、重なっているところもある。「尊敬する人」に「信長」をあげるのは、自民?小泉氏と民主?岡田氏だ。共産?志位氏と国民新党?綿貫氏は、ともに「父」という。「好きな映画」では、広島の被爆を扱った「父と暮せば」を、志位氏と社民?福島氏があげた。公明?神崎氏の「男はつらいよ」は、志位氏もあげている。

 カラオケでうたう歌は、さまざまのようだ。X JAPAN(小泉氏)、村田英雄(神崎氏)、ビートルズ(志位氏)、松田聖子(福島氏)、北島三郎(綿貫氏)。新党日本?田中氏は唱歌「ふるさと」、岡田氏は、歌わないという。

 カラオケの歌とは別に、「七人の党首」はそれぞれ、日本の未来をうたっている。ちまたに流れている「七つの未来」のうちで、本当に未来へ希望を託せる「七色の虹」はどれなのか。よく見比べてから「今」を選んで、未来への責任も果たしたい。

  或许人是本能地恐惧死亡,可我却从未有过。我觉得,唯有求生之人才会怕死。因为想要活着,所以会意识到死亡的恐怖。


  意识,追究到大脑活动上,就涉及刺激感应的最小单位–神经。神经可以解释为神经细胞、神经键和神经递质。思考、感受、记忆、目视、耳闻、鼻嗅以及各种动作,这一切身体机能的最小单位就是神经。刺激感应(神经冲动)则是神经细胞中产生电的变化,神经递质经由神经键传递。


  众多神经共同构筑了人类的思考。于是,好像没有什么神明、宗教可言了。细胞并非有意识地活动着,而人,不过是个功能集合罢了。


  我还是不觉得死是件恐怖的事。


  还有33天。

 南北戦争の英雄だったグラント元米大統領は明治の初めに来日し、天皇と握手を交わしている。随行した米紙記者が、その場の天皇の緊張ぶりやぎこちなさを強調し、「歴代天皇で初めての握手」と報じた。

 歴代初かどうか定かでないと断りつつ、ドナルド?キーン氏もこの握手の模様を『明治天皇』(新潮社)で詳しく紹介している。どんなに不慣れでも、握手は開国日本が避けて通れない作法だった。

 維新より前は宮中にも庶民にも握手の習慣はなかった。今でも日本人同士はまずしない。出張先の外国でやむなく握手することはあるが、気恥ずかしさが伴う。できれば省きたいとも思う。

 先日、衆院選の女性候補が、面談した岐阜市長に握手を拒まれる一件があった。帰り際、候補が「じゃ握手でも」と求めると、市長がやんわり断った。特定候補に肩入れしない姿勢の表れだったが、テレビで報じられると、「非礼だ」「大人げない」と批判が集中した。

 昨年秋、球界初のストをめぐる交渉でも握手拒否が話題になった。席上、球団側代表が笑顔で差し出した手を、古田敦也選手会長がきっぱり拒む。球団側の甘い顔にだまされてなるものかという決意が感じられ、こちらは広く共感を呼んだ。

 あいさつ文化に詳しい国立民族学博物館の野村雅一教授によると、お辞儀や会釈が伝統の国々にも握手文化は浸透しつつある。それでも「握手史」の短い人々には、握手はするのも拒むのも難しい。あまり強く握ると粗野な印象を与えるが、日本人は概して握り方が控えめだそうだ。

 新聞記者が書く記事は、大きく三つに分けられると思う。一つは「何が起きているのか」、二つ目は「なぜ起きたのか」、三つ目は「それをどうとらえ、どうすべきなのか」

 一つ目は様々な事実についてのニュース記事だ。二つ目は分析や解説記事に当たる。三つ目は社説やコラムなども入るが、筆者の場合は日々苦吟している。

 記者は「何が起きているのか」を求めて世の中の動きに迫ろうとする。紙面の記事の多くはこの一つ目で、新聞の土台を成している。ここが揺らいだのでは二つ目、三つ目も揺らぎかねない。

 ましてや、虚偽の内容が記事になるようでは、報道機関として成りたたない。その、あってはならないことが、本紙の選挙報道の中で起きてしまった。読者や関係者には、深くおわびしなければならない。

 目方の軽い新聞紙は、いわば、吹けば飛ぶような存在である。しかし、そこには人と時代の営みが詰まっている。そしてそれらが、世の中の姿を的確に映しながらつづられている時に、新聞は初めて、読者の信頼に裏付けられた重みを持てるのではないだろうか。

 新聞記者になって30年以上になるが、今も、輪転機が一斉に回る姿を思い浮かべると心が引き締まる。何もなかった真っさらな紙に記事が印刷され、世の中に出てゆく。出たものは、もう取り返しがつかない。それは、ささやかだが厳粛な事実の誕生であることを改めて胸に刻んでおきたい。これ以上読者の信頼を損なえば、輪転機を止めざるを得ない日すら来かねない。覚悟を胸に出直したい。

 ラフカディオ?ハーン(小泉八雲)は、日本に移住する前、米ルイジアナ州のニューオーリンズで記者として働いていたことがある。その時代に記憶して後に本にまとめたことわざに「水は絶えず川に向って流れる」がある(『ラフカディオ?ハーン著作集』恒文社)。

 大型ハリケーン「カトリーナ」に襲われたニューオーリンズで、湖や運河の堤防を破った水が市街に流れ込んだ。街より周りの湖やミシシッピ川の水面の方が高い所が多く、ことわざとは逆に水が絶えず街に向かって流れようとしているような場所だ。危険性が指摘されていたのに、堤防の強化はなされなかった。

 行政の対応には、まだ疑問がある。地震とは違い、ハリケーンは刻々と近づく「予告された災害」だ。対策をとる時間はあった。常襲地帯の住民が怖さを知らないはずもない。

 避難命令は出されていた。しかし逃げる手だてを欠いた人たちが多く、犠牲になったらしい。行政側は避難のための車の手配や近隣の州との連携を十分とっていたのか。警告を出すだけでは責任を果たしたとはいえまい。

 ハーン編のことわざ集にはこういうのもある。「思案が彼の頭に居つくと、足には居らぬ」。頑固さについてのことわざで「人に足を動かすことを強要できても決心を変えさせることはできない」の意だという。

 災害時には、足を動かすように促されても動けない人がいる。軽くみて、動こうとしない人がでることも考えられる。それを前提にして、住民の全体が速やかに足を動かせるように導く計画が必要だ。

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